食事と運動を変えればダイエットできる

「続けよう」と思ったら続かない第1の心がけは、食事に関することです。第2の心がけは、運動に関することです。そんなこと当たり前でしょう!本書を手にする全員がそうおっしゃるでしょう。そうです。そんなこと、当たり前。みなさんよくお分かりです。分かっているけど、変えられない。あるいは、変えるつもりがない。それは、よい変え方•••をご存じないからです。あるいは、食事や運動を変えてみたが、体が変わらなかった、という人もいるでしょう。それは、変え方が間違っているからです。さらには、いちど体が変わったのに元に戻ってしまった、という人もいます。それは、変え続けられないからです。「心がけ•••」とは「普段から気をつけること」です。変え続ける•••のではありません。いちど変えたらもう変えません。戻さなければ、戻りません。「2つだけの心がけ」をいちど始めたら、後はずっとそのままです。いちど体が変わったら、後はずっとその体のままです。心がけているかぎりは、メタボに戻りません。心がけているかぎりは、運動不足に戻りません。それができないから困っているんだ!そうおっしゃる方もいるでしょう。しかし、なぜ、できないと思うのでしょう?なにかめんどくさいことやお金がかかることを想像していませんか?「体が必ず変わる2つだけの心がけ」は、お金も手間も時間もかかりません。第1の心がけは、「たんぱく質を多く摂る」です。第2の心がけは、「体を動かす」です。それができないから困っているんだ!まだ、そうおっしゃる方がいますね。そのとおりです。これくらいのことも、みなさんよくお分かりです。でも、分かっているのにできないのです。していないのです。それは、やり易い方法をご存じないからです。ダイエットや肉体改造も健康改善も大切なことは「やり易さ」です。「やり易さ」において、究極的に「やり易い」のがこの「2つだけの心がけ」です。第1の心がけは、プロテインシェイクを飲む。第2の心がけは、とにかく自由に体を動かす。プロテインは、ドラッグストアで買ってきてシェイクして飲むだけです。体は、いつでも、どこでも、どんなふうにでも、少しでも、自由に動かすだけです。それさえできないとおっしゃる方は手の施しようがありません。健康状態は残念ながらいまのままです。メタボならメタボのまま、運動不足なら運動不足のままです。健康寿命も本当の寿命も早まります。それも人生だと高を括る生き方を私は否定しません。ただし、家族や他人に迷惑をかけない覚悟をしてください。あなたの健康はあなた一人の独占物ではありません。家族のため、愛する誰かのため、愛するペットのため、あるいは自分のため、健康でいようと心がけるなら、まずはとにかくこの「2つだけの心がけ」を心がけてください。そんなことくらいで体が変わるわけがない、と思われるのも当然です。しかし、考えてみてください。「なにもしない」と「なにかする」が同じなわけはありません。そんなことくらいで、と思う人は、そこそこ健康なだけに日常生活でどれほど体を使っているか、いいえ、使っていないか、が分からなくなっている人です。(そういう人の多くは運動不足です)病気になると急に日常生活はしんどくなります。痛くてだるくてつらくて、それまで毎日なにげなくしていたことが困難になります。そんな時に最も必要なのは安静です。つまり、じっとしている、ことです。重病人が絶対安静なのは、少しでも動けば体力を消耗して命が危険になるからです。重篤な病気では「静止」が「生死」に関わります。少しでも動けばじっとしているよりはるかに大きなエネルギーを消費する。つまり、少し動くのも立派な「運動」なのです。テレビのコマーシャルや通信販売などでは次々と新しい運動器具が紹介されますが、そのうちのどれが本当に効くのでしょう?どれでも効きます。どんな方法であろうと、自分で少しでも体を動かす「運動器具」であればそれは立派な「運動」になるからです。しかし、電動のマッサージ器など体を安静にして使う「健康器具」はダメです。「気持ちがいい」だけで、「運動」としての効果は得られません。2004年にカナダのマクマスター大学は「手を軽く握るだけの運動に血圧を下げる効果がある」という研究成果を発表しています。わずかな身体活動がもたらす意外に大きな効果はいま世界中で研究が進んでいます。

「変える」では変わらないが、「加える」なら変わる「2つだけの心がけ」は、ダイエットや肉体改造をしたい人だけでなく、いまより健康になりたい人には誰にでも効きます。いま健康な人はさらに健康になります。この写真をご覧ください。これが「2つだけの心がけ」だけで変わった私の体です。私の体は心がけて1年でこんな体に変わり、それから2年以上この体のままです。そんな私には始めから「心がけている」という意識すらありません。そして、変わったのは体型だけではありません。写真でご覧に入れることができないのは残念ですが、中身の変化、つまり健康の改善ぶりに一番驚いているのは私自身です。私はいま50歳ですが、「2つだけの心がけ」だけで、いまでも毎日わずかずつ健康増進している実感があります。参考までに心がける前の写真もご覧ください。

お腹から背中にかけて贅肉がたっぷり付いていますが、ちょっと分かりにくい写真ですね。こんな写真しかお見せできないのは、「ビフォー・アフター」の「ビフォー」をきちんと撮っていなかったからです。後ほど詳しく説明しますが、健康のためには「ビフォー」の写真は撮らないことをお勧めします。そういう写真を撮ると「さあ、今日からやるぞ」と「やる気」を出します。「続けよう」とも意識します。しかし、健康にいいことを長く続けるために「やる気」や「続けよう」は禁物です。やる気を出して始めたことはやる気がなくなれば終わるからです。心がけは「続ける」ものではありません。「心がけ」とは「普段から気をつけていること」ではありますが、究極の「心がけ」は「普段から気をつけなくてもできること」です。「2つだけの心がけ」がまさにそれです。心がける必要すらありません。「続けよう」なんて思っていたら、たいてい続きません。「2つだけの心がけ」は絵空事でも珍奇な説でもありません。それを裏付けるように、プロテインの売上はいま世界中で拡大しています。あるいは、WHO(世界保健機関)は数年前から「日常生活動作(ADL)」つまり、ふだんの暮らしの中で体を動かすことの重要性を発信し続けています。世界はすでに気づいています。「食事」と「運動」を変えれば体は必ず変わります。とは言うものの、やっぱり「食事を変える」のはかんたんではありません。食事のように長年の習慣になっていて、また好き嫌いもあるものをいきなり変える」というのは容易ではありません。だからこそダイエットは難しいのです。だから、プロテインシェイクだけを加える•••のです。ダイエット不要の方もプロテインシェイクを飲めばかんたんに健康増進できます。自身の食生活を大きく変える必要はありません。まずは、プロテインシェイクを「加える」だけです。最近よく「お肉やお魚を日頃からたくさん食べている元気な高齢者」がメディアで紹介されます。肉や魚はたんぱく源です。プロテインシェイクもたんぱく源で、肉や魚よりずっと効率的にたんぱく質を補える飲み物です。そして、美味しいんです!そこが重要なんです。誤解している人が多いと思いますが、最近のプロテインは昔とうって変わって、飲みやすいんです。おまけに、濃さや量を調節するだけでその目的は、健康増進、ダイエット、肉体改造とかんたんに変更できます。さて、もう一方の「運動を変える」ですが、こちらはさらに難題です。運動習慣を身につける、なんてことができないから困っているのです。私は社会人になってからまともな運動をしたことがありません。スポーツ好きだったのは高校生までです。いまの私は大の運動嫌いです。私はもう20年以上、できるだけ運動しないように心がけてきたのです。ですから、先ほどの写真のような体に変わったのは運動のせいではありません。いまもスポーツ・ジムなんか行きません.自宅でも筋トレなんかもしません。ジョギングどころかウォーキングもしません。試してはみるものの、やっぱり無理。ダメなものはダメです。それなのに、いまは完全に運動不足を解消しています。ということはつまり、運動不足解消のために運動は必要ない、ということです。定期的にスポーツをするといった生活習慣の変更は不要です。大切なのはここでもまた「加える」です。日常生活に適当な「動き」を「加える」だけです。私はこれを勝手に「加動(AddedMotion)」と呼んでいます。いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かす。それだけです。私はこれまた勝手にそれを「自由体操」と呼んでいます。「第2の心がけ」の秘訣は「加動」です。生活に「自由体操」を適当に加えるだけです。「自由体操」については後ほど詳しく説明しますが、その前にまず「第1の心がけ」である、プロテインシェイク飲用の効果についてお話をさせて頂きます。

「結果にコミットする」のは当たり前「ライザップ」をご存じですか?本書を手にされている方にこれは愚問ですね。「ライザップ」は減量(ダイエット)や肉体改造(ボディメイク)の効果を保証する「パーソナル・トレーニングジム」です。CMの「結果にコミットする」に嘘偽りはありません。化粧品、健康食品、美容器具、育毛増毛、機能性衣料、そして、ダイエット。その辺りの業界は「使用前、使用後」の変化を宣伝するのが定番になっています。しかし「すごい効き目です!」と紹介しているときにかぎって、テレビの隅には小さな文字で、「個人の感想で効果を証明するものではありません」というテロップが出ています。ところがです。「ライザップ」はそんな言い訳をしないどころか、積極的に効果を保証しています。なぜなら、「ライザップ」は必ず効くからです。「結果にコミットする」は、宣伝文句というより「必ずそうなる」という科学的事実の言い換えです。「ライザップ」は、個室でマンツーマンでインストラクターが筋トレを指導してくれるスポーツジムです。また、毎日食べる食事の写真をメールで送ったり、スマホ用の専用アプリを通じて栄養管理についての詳細なアドバイスを受けることもできます。「ライザップ」の栄養管理の基本は糖質制限、つまり、ご飯やパン、麺類、スイーツなどの炭水化物=糖質を極力食べない、という方法で行われます。また、肉の脂身やバターなどの脂質も制限されます。つまり、ダイエットの2本柱である「運動」と「食事制限」をきっちり守っているわけです。そんな「ライザップ」の筋トレや食事制限は、厳しいのか、厳しくないのか?それはまさに「個人の感想」です。人はそれぞれちがいます。同じことでも厳しく感じる人と平気な人がいます。一人の人間でも、同じことが日によって、つらくもやさしくも感じられます。あるいは効果の大小にも「個人差」はあります。同じことを行っても身体への影響は人によって多少のばらつきが出ます。しかしながら、「ライザップ」に通ったのに効果が全然ない、ということはありえません。本当に効果がなかったらなにかご病気を疑わざるを得ません。「運動」と「食事制限」は必ず肉体に変化をもたらします。それは自然の摂理です。「あたしだって、お金と時間と近所にライザップがあればナイスバディになれるわよ」そう思う方は多いはずです。それは正解です。しかし、果たして本当に「たった」2ヶ月でCMのように変われるでしょうか?2ヶ月というのはさすがに短かすぎるように感じられませんか?いいえ、短くはありません。むしろ、「2ヶ月」だからこそ、変われるのです。「ライザップ」のこの「2ヶ月間集中メソッド」は偉大な発明です。「ライザップ」の「運動」と「食事制限」に素直に従えば、結果はコミットされます。「運動」については週2回、「ライザップ」の個室スタジオでトレーナーが付きっ切りで行われます。つまり、必ず実行されるわけです。そこに嘘偽りが入り込む余地はありません。そもそもちゃんと通わなければ、「ライザップ」は結果をコミットしてくれません。あとは「食事制限」を守るだけです。こちらは付きっ切りで見守ってくれる人はいません。しかし、いまやスマホや携帯電話があります。専用アプリもあります。なにを食べ、なにを飲んだかは、写真を撮ってメールで送れば正確に報告できます。アドバイスも明確に受け取れます。良心に従って嘘偽りのない報告を行い、「ライザップ」の指導を厳守すれば、2ヶ月後に体は必ず変わっています。さあ、ここで想像してみましょう。厳しい食事制限。食べたいものが食べられない。食べたいだけ食べられない。厳しい筋トレ。インストラクターに叱咤激励されて歯を食いしばってもなかなか持ち上げられないバーベル。本当に苦しい。もうやめたい。でも、「2ヶ月」なら我慢できる、と思いませんか?今月初めから来月末まででいいんです。「3ヶ月」は無理だけど、「2ヶ月」ならやれる。そう思いませんか?「やる気」や「モチベーション」は長くは続きません。でも、たった「2ヶ月」なら、なんとかなりそうじゃないですか?ほら、いま「たった」2ヶ月ならがんばれるかも、と思いましたよね?でも、さっきは「たった」2ヶ月では体型は変わらない、と思っていました。もちろん、3ヶ月がんばればもっと効果はあります。でも、2ヶ月でなんとかなるなら、2ヶ月でいいですよね?そうなんです。「2ヶ月」は本気でがんばれて、そして効果を実感できる絶妙な期間なのです。

「ライザップ」でなくても結果は必ずコミットされる厳しくか優しくかは別にして、とにかく他人に指導されないと運動できない、という人がこの世には大勢います。運動不足を感じている人の多くはそういう人です。後で詳しく述べますが、私たちは大人になるうえで、義務教育を受けて運動方法を「学習」させられます。昔は生活の中で適切な「体の動かし方」を自然に身につけていました。それと同時に充分な運動量が確保されていました。しかしながら、生活と密接な関わりがない「体の動かし方」を「体育」の授業で学んでしまった現代人は、「言われたとおりに動かさなければいけない」という先入観に縛られています。特に日本人には、人前で自由に体を動かすことを「不敬」や「羞恥」と捉える文化さえあります。それは、楽しい時に自然に踊り出す外国の文化とは異なる、運動不足になりやすい文化です。「現代教育」と「独自の文化」によって、日本人は体を自由に動かすことができなくなっています。私たちは「自分」を軽視し他人の情報を重視する「教えて症候群」に陥っています。そんな固定観念に縛られた大人がダイエットや肉体改造をしたいと思い立ったとき、「ライザップ」の入会を検討するのは当然のことです。私たちは「とにかく、誰かに教わりたい」と思っています。そして、実際に入会して教われば、程度の差こそあれ、体を必ず変えることができます。しかし、繰り返してばかりですが、それは「ライザップ」に限ったことではありません。「ライザップ」であろうとなかろうと、個室であろうとなかろうと、マンツーマンであろうとなかろうと、インストラクターがベテランであろうと今日入ったばかりのアルバイトであろうと、「運動」と「食事制限」をすれば、体は必ず変わります。池に石を投げ入れれば水面に必ず波紋が生ずるように、「運動」と「食事制限」を肉体に投じれば、体型は必ず変わります。なぜなら、精神に比べて単純な肉体は嘘をつけないからです。ただし、「ライザップ」であろうとなかろうと、プロの指導を受けるなら、ある程度の金銭と時間の余裕が必要になります。それは、ときに悲壮な覚悟となります。「ライザップ」の場合、2カ月当たり最低でも35万円ほどの費用がかかります。そして、あまり知られていないことですが、さらにサプリメントの購入が必要になります。主なサプリメントは、まさしく「第1の心がけ」のプロテインです。ちなみに、「ライザップ」で勧められるオリジナル・プロテインには2ヶ月分で30万円ほどの商品もありますが、購入は強制されません。

2016年現在、国内主要メーカーの「1キロ入り粉末プロテイン」の標準的な価格は、大手ドラッグストアの店舗で約6千円、ネット通販の最安値が約4千円といった相場です。「ライザップ」のプロテインの価格はその5~8倍です。プロテインの主な成分はたんぱく質です。そもそも「たんぱく質」は英語で「プロテイン(protein)」です。私たちがふだんなにげなく「プロテイン」と呼んでいるものは厳密に言うと「たんぱく質高含有粉末サプリメント」です。このいわゆる「粉末プロテイン」は、たんぱく質の含有率が高いほど品質が高いと評価され、おおむね70%以上だと「高品質」と言われるようです。厚労省の「日本人の食事摂取基準」によれば、成人男性は1日当たり60g、成人女性は50gのたんぱく質摂取が望ましいとされています。「プロテイン」はあくまでもサプリメント=栄養補助食品です。通常食の肉や魚、とうふなどの大豆由来食品からだけでは摂取しきれないたんぱく質を「プロテイン」で補う、というのが本来的な考え方です。しかし、私たちにはそもそも「不足しがちなたんぱく質を補う」という発想がありません。統計によれば実際の日本人のたんぱく質摂取量は年々減少傾向にあるものの、厚労省の推奨基準を下回ってはいません。厚労省の基準を満たしている限り、日本の企業は「たんぱく質は不足してます」と声高に宣伝できません。だから、これまで私たちには「たんぱく質をもっと摂りましょう」という問題意識がまるでなかったのです。プロテインはこれまでずっと「ジムで筋トレして肉体をマッチョにしたい人が飲むもの」でした。プロテインシェイクはいまも「筋トレおたくの飲み物」だと思われています。そして、かつてプロテインは「筋トレおたく」でさえもしょうがなくて飲んでいるものでした。一昔前のプロテインシェイクは「なかなか溶けなくて、まずくて、高くて、できれば飲みたくない」飲み物だったのです。ところがです。状況は大きく変わりました。いまどきのプロテインは「水にも一瞬で溶けて、おいしくて、安くて、むしろわざわざ飲みたい」ものに進化しました。私が愛飲しているプロテインもそれと知らずに飲んだらチョコレートシェイクだとしか思えません。この「溶けやすさ」と「味」と「価格」の進化は、プロテインにまったく新しい「使い道」を与えました。それは、筋トレしなくても、プロテインシェイクを毎日飲むという習慣です。つまり「第1の心がけ」です。

私たちの頭の中には「プロテイン=筋トレ」という固定観念がべったり張り付いていて、「飲むだけでマッチョになってしまう」という不思議な誤解が、特に女性の間に、広まっています。しかし、考えればそれはおかしな話です。「飲むだけでマッチョになる」のなら、どうしてマッチョになりたい人たちは、あんなに一生懸命筋トレしているのでしょう?そうなんです。プロテインはただ飲んでいるだけならマッチョになりません。マッチョになりたければ「プロテイン+筋トレ」が絶対条件です。都合がいいことに、ただ飲んでいるだけで、日常生活に必要なだけの筋肉が維持されます。太りもしません。さらに夢のような話ですが、プロテインは、皮膚、爪、毛髪、内蔵などの「たんぱく質」でできていて壊れやすいところを重点的に修復してくれます。ネット通販世界最大手の「アマゾン」のサイト内で「プロテイン」と検索すると、ページトップに「筋肉はもちろん、皮膚や爪や髪の毛、内臓など体の重要な組織を作る栄養補助食品。それが『プロテイン』です」という説明が表示されます。言うまでもなく、たんぱく質は人体組成の基礎です。たんぱく質、それすなわち「プロテイン」です。つまり、「チョコレートシェイク」を飲めばアンチエイジングができるわけです。「溶けやすさ」「風味」「価格」のすべてにおいてプロテインが進化した今だからこそ、それができるようになったのです。健康で美しい体に必ず変わる2つだけの心がけ。その「第1の心がけ」は、「プロテインシェイクを飲む」です。飲むだけで変わります。

「食前プロテイン」が効くわけ「ライザップ」によれば、プロテインの摂取量はユーザーの健康状態や肉体の状態、目標、目的によって大きく異なり、場合によってはプロテインを摂取しないという判断もあるそうです。その一方で、プロテインを「しっかり飲みましょう」と判断された場合は、先ほど触れたように2ヶ月分で30万円ほどのオリジナル・プロテインを勧められることもあります。「ライザップ」のホームページで紹介されている商品で計算すると30万円は約9キロ分に相当します。60日で割れば1日当たり約150gの摂取になります。これは厚労省の男性基準の2.5倍、女性の3倍です。3倍はさすがに多すぎ、と感じるかもしれませんが、そんなことはありません。じつは、最近のボディビルダーは「自分の体重の3倍のグラム数」を1日のプロテイン摂取量の目安にしています。体重70キロなら、210グラムです。トレーニングをする日もしない日もこの量を摂取する、という方法が最近のトレーニング界の主流のようです。なかには「5倍」という人もいるそうです。最も驚くべき事実は、ボディビルダーでなくても、この「プロテイン大量摂取」の恩恵にあずかれるということです。先ほども触れましたが、プロテインを1日200グラム飲んでも、ハードな筋トレをしなければマッチョにはなりません。そして、日常生活に必要な筋肉が維持され、皮膚、爪、毛髪、内蔵の修復が進みます。この「プロテイン大量摂取」を健康法として取り入れることができるのは「いま」だからこそです。それを可能にしたのはプロテインの進化です。かつてはボディビルダーも、あんなにまずくて高いものをそんなにたくさん飲むのは厄介でした。「ロッキー」の第1作はかれこれ40年も昔に公開された映画ですが、シルベスター・スタローン演じるロッキーはプロテインでなく生卵を5、6個飲んでいました。あの頃はまずくて高いプロテインより生卵の方がよっぽど「まし」なたんぱく源だったのです。しかし、いまはもうちがいます。そこにいち早く着目したのも「ライザップ」です。「ライザップ」のCMには、「お肉や魚も、食べられるものがたくさんあった」というせりふがあります。ただ体重を減らすだけのダイエットではなく、筋肉量を増やして体型を変える肉体改造(ボディメイク)をしたいなら、肉や魚(ただし脂身の少ないもの)は好きなだけ食べてよいのです。たんぱく質=プロテインという材料が体内に豊富になければ筋肉は増やせません。「ライザップ」でハードなトレーニングをした人にとっては、150gのプロテインなんてたいした量ではありません。「ライザップ」は。プロテインの成分のちがいによって摂取のタイミングを、トレーニング直後、トレーニングの翌日、それ以外の日、に分けています。しかし、ハードトレーニングをせずに健康で美しい体に変わりたければ、「成分のちがい」を気にする必要はありません。プロテインは「ホエイ・プロテイン」の1種類だけで充分です。そして、飲むのは食前です。絶対的に食前をお勧めします。食前にプロテインシェイクをたっぷり飲めば、それだけである程度の満腹感を得られます。プロテインシェイクを飲んだ後だと「好きなだけ」と言われても、食べられる量は自ずと制限されます。そこでおかずから食べ始め、ご飯を「締め」に回してみましょう。すると、ご飯(炭水化物)にたどり着く頃にはもうお腹いっぱいです。そうすれば自然にゆるい糖質制限(ローカーボ)のダイエットができます。最近は、運動と糖質制限に並び「食べ順ダイエット」が注目を集めています。食べる順番によって糖質の吸収速度が変わる、という理屈がよく説明されていますが、この点については根拠を疑問視する専門家も多いようです。なぜなら「野菜から食べることで、糖質の吸収速度は変わるが、糖質の吸収量の総量は変わらない」という医学的見解があるからです。それでも「食べ順ダイエット」に効果があると感じる人が多いのは、食事の後半に「ご飯もの」を回すことによって結果的に炭水化物(糖質)の摂取量が減少しているからです。野菜からでも肉からでもけっこうです。とにかく、炭水化物にたどり着く前にできるだけ満腹にしておけばいいわけです。後回しにして炭水化物の摂取量を減らすのが「食べ順ダイエット」を行ううえでの重要な点です。健康で美しい体に必ず変わる「第1の心がけ」は「食前にプロテインシェイクを飲む」です。食前にプロテインシェイクを飲み、食事の最後に炭水化物を食べるように心がければ糖質のコントロールはかんたんにできます。もう空腹感を我慢する必要はありません。お腹いっぱいになってもう食べられない炭水化物はもちろん残して下さい。本格的にダイエットに取り組むなら、外食時も「食前プロテインシェイク」です。あらかじめプロテインをシェーカーに入れて持ち歩きましょう。食前に水を入れてシェイクして飲むだけです。そして、締めの炭水化物は始めからオーダーしないようにしましょう。プロテインシェイクがお腹に溜まるので、いつものように「締め」なくてもよくなります。炭水化物で締めずにお会計を締めれば、体にも財布にもやさしいダイエットになります。「食べ物は残してはいけない」私たちはそう教わってきました。たしかにそうです。もったいないです。ですから、残すような品数を注文してはいけません。おうちでは残すほど調理して食卓にわぁっと並べないようにしましょう。ダイエットは自分への「やさしさ」が大切です。いくらダイエットを急いでいても糖質を完全にゼロにしようと自分に厳しくするのは危険です。ご飯、パン、パスタ、うどん、ラーメン。そんな炭水化物たちを忌み嫌うようなストイックな糖質制限をすると、あとで面倒なことが起きます。そうです。禁断症状です。覚醒剤と同じです。それだけではありません。糖質をまったく摂らないととにかく元気が出ません。元気なんか出なくてもいい、ヘロヘロになってもいい。そんなストイックなダイエットは長続きしません。長続きしないということは、早く終わる、ということです。厳しくすればするほど、リバウンドの危険性が高まります。元気でいなければ体は動かせません。健康で美しい体に必ず変わるもう一つの心がけは「体を動かす」です。それができなくなっては元も子もありません。体を動かせないような極端な糖質制限は避けて下さい。「天国から来たチャンピオン」という映画をご存じですか?「ゴースト」などその後にヒットした「死んだ人の魂が帰ってくる」という設定の先駆け的な映画です。1978年の公開ですが、映画の中にはもうプロテインシェイクが登場しています。見るからに「まずそう」なことが物語の上でもキーポイントになっています。ウォーレン・ベイティ演じる主人公のアメフト選手の前には「Protain」と書かれた缶がありますが、英語のせりふではこれを「ホエイ(whey)」と呼んでいます。日本語字幕では「乳清」と訳されていますが、それは、このプロテインが牛乳からチーズを分離するときにできる「乳清=ホエイ」を主原料とする「ホエイプロテイン」だからです。吸収がいい「ホエイ」は現在のプロテインの主流です。プロテインは原料のちがいによって他に、カゼインプロテイン、大豆プロテイン、卵プロテインなど数種あり、それぞれ少しずつ性質が異なります。さすがプロテイン先進国のアメリカでは40年前から、プロテインをその「種類」で呼んでいたわけです。日本語訳は「プロテイン」の方が分かりやすかったと思いますが。

「プロテイン」の大誤解世の中にはその名もずばり「プロテインダイエット」という商品があります。化粧品・健康食品の「DHC」と菓子・乳製品の「明治」。これら大手企業は、それぞれ「プロテインダイエット」という名前の商品を製造販売しています。いずれも牛乳か水に溶かして飲む、つまりシェイクして飲む粉末製品です。たんぱく質成分はふつうの「プロテイン」より少なめで、ビタミンなどが豊富に含まれていることが特徴です。競合する商品には、このジャンルの先駆けとも言える「マイクロダイエット」もあります。これらの「ダイエット用粉末製品」に共通する飲み方は「置き換え」です。朝昼晩の食事のうちどれか1食(または2食)を本品だけで済ませて他のものは食べない、というダイエット法です。「第1の心がけ」のような「食前」の飲用法は想定されていません。この「置き換えダイエット」関連商品はいまや、スムージー、ヌードル、リゾット、クッキーなどそのバリエーションを大きく広げています。あるいは、グレープフルーツ、ゆで卵、キャベツ、こんにゃくなどだけで1食を済ませる「単品ダイエット」も広い意味では「置き換えダイエット」に入ります。「置き換えダイエット」はダイエット法として一つの分野を築いています。たしかに、この「置き換えダイエット」は「カロリー制限」という観点からはとても有効です。ダイエット中の女性がランチで摂取するカロリーは6~700キロカロリーと言われますが、「マイクロダイエット」の1食分は約180キロカロリーしかありません。短期間の減量を目指す場合は1日2食の置き換えが推奨されます。もちろん、それが実際にできたなら、その2食についてだけ••は摂取カロリーを非常に少なく抑えられます。しかし、それはかんたんではありません。1食を「プロテインダイエット」に置き換えただけでも、その後の空腹感は無視できません。ましてや、2食を置き換えるなんてことが果たして現実的なのでしょうか?いいえ、ほとんど幻想的です。そもそも、「置き換えダイエット」には、「置き換えない通常食には制限がない」という「暗黙の了解(!?)」があるので、置き換えをしない通常食でついつい過食してしまいます。何食置き換えたって、それ以外のところでたくさん食べていたら、摂取カロリーは減らない、体重は減らない、よってダイエットはできません。タレントさんがこの方法でダイエットに成功するのは、その商品の広告塔として「契約」しているからです。タレントさんにとってそれはお仕事です。仕事ですから一生懸命です。ストイックにもなります。ストイックになれるなら、別に「置き換えダイエット」でなくても、なんでもいいはずですが。しかし、ストイックは健康によくありません。私たちは修行僧ではありません。精神と肉体に厳しい負荷をかけ続けていればいつか必ず健康は破綻します。ストイックなダイエットはいつか必ず終わりを遂げます。タレントさんの場合、ダイエット食品メーカーとの契約期間が終了すればストイックも終了し、そこからリバウンドが始まります。昨春、気になるニュースがありました。明治がその「プロテインダイエット」の生産を打ち切ったのです。それは、プレスリリースもない静かな撤退でした。しかし、この撤退には裏があります。いえ、「裏」と言うより「表」です。そこには、表向きにも正当な理由があります。明治はプロテインの売上で国内最大手です。明治の「ザバス」は、駅前のドラッグストアでも売っている日本で一番手に入りやすい「プロテイン粉末製品」です。明治は、国内に限れば、プロテインのプロ中のプロです。今回の「プロテインダイエット」の販売終了について明治の広報にお話を伺ったところ、「減量したい方には、今後『プロテインダイエット』の代わりに、『ザバス』シリーズの『ウェイトダウン』という商品をお勧めしていきます」というお答えを頂きました。つまり、明治は「プロテインダイエット」という中途半端な商品に見切りをつけ、日本におけるプロテインの代名詞的存在である「ザバス」で、「プロテイン」そのものの有効性を訴えていく、という戦略へと舵を切ったわけです。なんだか「ビジネスサテライト」みたいな話になりましたが、なんだかんだ言って、結局は「置き換えダイエット」が無理だから「プロテインダイエット」は売れなかったんじゃないかな?というのが私の率直な感想です。近年、海外のプロテイン市場は拡大を続けており、世界的な原材料不足が懸念されているほどです。国内でも市場は拡大していますが、まだ「裾野は広がっていない」と言われています。どうやら「プロテイン大量摂取」の効果にいち早く気づいた人たちがたくさん飲むようになっただけで、新たな「プロテイン愛飲者」はさほど増えていないようです。そこにはプロテインに対する大きな誤解が立ちはだかっています。プロテインを「昔飲んだことがある人」や「飲んだことがない人」は、プロテインに対して「溶けにくい」「まずい」「値段が高い」というネガティブなイメージを持っています。明治だけでなく業界各社はいまこのプロテインの古いマイナスイメージを打ち砕こうと努力しています。明治の「ザバス」に対して、森永は「ウィダー」というプロテイン関連商品を展開しています。コンビニでも必ず売っている「ウィダーインゼリー」は有名です。その森永は近頃こんな宣伝文句を使い始めました。「じつは、プロテインとたんぱく質は、同じです」

当たり前ではありますが、これくらい言わないと消費者の誤解は解けないと広報担当者は考えたのでしょう。私は強く賛同します。あるいは、サントリーも最近、「ロコモア」という新商品の宣伝にこんな言葉を使っています。「生涯の力強い歩みに筋肉成分」この「ロコモア」に含まれる「筋肉成分」は「イミダゾールペプチド」という名のアミノ酸です。アミノ酸はいくつも繋がるとたんぱく質になります。そして、たんぱく質とプロテインは、同じです。つまり、この「筋肉成分」もプロテインの仲間、ということです。「プロテイン=たんぱく質」は広い意味を持つ言葉なので、状況や目的に応じて、もっと分かりやすく説明する必要があります。「筋たんぱく成分」などと言い換えてもよいでしょう。「じつは、プロテインとたんぱく質は、同じです」当たり前なのですが、それが当たり前ではない世の中、なのです。

食べたいから、食べちゃうダイエットの最大にして唯一の敵は食欲です。しかし、食欲そのものをコントロールすることは困難です。不可能と言ってもいいでしょう。そもそも、思うようにコントロールできない人間の心情を「欲」と呼ぶのです。物欲、金銭欲、睡眠欲、性欲など、「欲」はコントロールできれば生き様を変えられるものばかりです。食欲は、我慢できれば減量できます。減量できてスタイルが変わればライフスタイルも変わります。しかし、我慢はできません。なぜなら、それは「欲」だからです。なぜ、食べてしまうのか?それは愚問中の愚問です。そんなの「食べたいから」に決まっています。それは「欲」だからです。食べなければ痩せる。そんなこと百も承知ですが、食べちゃうのです。1食抜いたり、1食を極端に減らせば、空腹感が増します。それは、「食べちゃう」人にとって最も難しいダイエット法です。食欲が抑えられないのは空腹を感じるからです。先ほど述べたとおり、プロテインダイエットは朝昼晩のどれか1食をコップ1杯のプロテインシェイクだけで我慢しなさい、というダイエット法です。つまり、空腹感に対してなんの工夫もないダイエット法です。ちなみに、「ライザップ」では、炭水化物やアルコール類は厳しく制限されますが、緑色野菜や脂身の少ない肉、魚はほとんど「食べ放題」です。そして、2ヶ月で9キロ飲むプロテインシェイクは、ほぼ「飲み放題」です。それなら空腹を感じる暇さえありません。ところがです。「ライザップ」の食事制限の基本は厳しい糖質制限です。厳しい糖質制限をすれば、激しい禁断症状が現れます。これは空腹による食欲とは次元がちがいます。やがて、ご飯や麺やパンをどうしても食べたい、それも大量に食べたい、という激しい衝動に襲われます。遅かれ早かれ、リバウンドのきっかけとなる「過食」の危険にさらされてしまいます。そして、食べたくてたまらない「Xデー」は「2ヶ月」後に訪れます。「ライザップ」に通っていた2ヶ月間は肉体にとっていわば「非常事態」です。ダイエットの効果が実感できて精神的にも高揚しています。そしてなによりも、「たった」2ヶ月です。つらい禁断症状はそうすぐには出ません。2ヶ月後に「ライザップ」を卒業して元の生活リズムに戻っても、しばらくは高いモチベーションが続きます。せっかく手に入れた体型を維持したいからです。そのため、しばらくは糖質制限を厳しく守り続けます。しかし、お酒が好きな人なら、まずは「少しくらいならいいか」とお酒が解禁されます。次に「少しくらいならいいか」とご飯やパンやラーメンを口にします。すると、糖質に飢えた肉体にあの締めのごはんの「幸福感」が戻ってきます。このメカニズムは覚醒剤と同じです。こうなるともう理性では止められません。ましてや、酔っていたらなおさらです。ある朝目覚めると、前夜の飲み会の後、締めのラーメン屋をハシゴしたことを思い出すハメになります。後悔先に立たず、です。こうしてリバウンドが始まり、元の体型に戻るのには2ヶ月かかりません。「ライザップ」の2ヶ月コースを卒業した後は、誰にすがることもできず、孤立無援でリバウンドという最強の敵と戦わなければいけません。この孤独でつらい戦いにおける最大の味方はなんだか分かりますか?それは、「ライザップ」に支払った多額の現金です。ダイエットやボディメイクに成功した後に、突如襲いかかる「食い意地」という強敵。パスタを大盛りにしたい。カツ丼とうどんをセットにしたい。パーティー用の特大ポテトチップスを一人で全部食べ切りたい。バイキングのスイーツを全制覇したい。そんな衝動に対抗できるのは、「あのお金を無駄にしたくない」という意地だけです。

「腹八分目」がこんなにかんたんにできちゃう古今東西、最善のダイエット法はおそらく「腹八分目」でしょう。しかし、古今東西、最難関のダイエット法も「腹八分目」です。「腹八分目」は「言うは易く、行うは難し」のダイエット法です。「腹八分目」は結局、食事の最後の最後に、あの「空腹感」という最大の敵と戦わなくていけません。「腹八分目」は覚悟のダイエットです。ストイックな人にしかできません。これこそ究極のダイエットかもしれません。ところがです。食前にプロテイン・シェイクを飲むと、それだけでもう「腹二分目」は埋まります。あとは、好きなものを好きなだけ食べていいのです。細かいことは気にしなくてけっこうです。極端な偏食をしなければいいのです。たんぱく質、脂質、炭水化物という「三大栄養素」は自然に摂れます。糖質をまったく摂取しない。野菜しか食べない。断食してなにも摂取しない。このような極端な食事制限は、「痩せる」ための近道であっても、健康のためには回り道になります。それどころか、道を誤ることにもなります。たんぱく質は体を造り、炭水化物はエネルギーを作り、脂質は思考を創ります。脳の半分以上は脂質でできています。さらに、脂質はたんぱく質と炭水化物をはるかに上回る効率的なエネルギー源でもあります。毎食「食前プロテインシェイク法」を実践すれば、空腹知らずのダイエットができます。ゆるいダイエットですがとても健康的です。2ヶ月で10キロは痩せられませんが、1年で10キロは痩せられます。ダイエット効果を高めるには、ご飯、パン、麺類、パスタなどの炭水化物を後回しにするだけです。「食べ順ダイエット」の理屈としてよく語られる「インスリン抵抗性」についての難しい話は抜きにして、ただ単純に「締め」の炭水化物を減らすだけです。「食前プロテインシェイク法」なら、食事制限ダイエットで近頃よく指摘されている「筋肉量の減少」の心配がないどころか、筋肉量を増やすことができるのです。筋肉は内臓や脳とともにエネルギーをとてもたくさん消費する臓器です。ですから、過度な食事制限で筋肉量が減るとエネルギーの消費量が減ってしまいます。じっとしている間に使われるエネルギーが減るのです。すると、ダイエット以前と同じ食事をすると太ることになります。感覚的には「そんなに食べてないのに太る」わけです。こうして食事制限でダイエットした体はリバウンドしやすくなるのです。それだけではありません。筋肉が減ると老後に「寝たきり」になるリスクも高まります。後半でも述べますが、いま筋肉量の維持は長寿の秘訣だと考えられています。「食前プロテインシェイク法」なら、筋肉量を維持、あるいは増量しながら、体にやさしいダイエットができます。このダイエット法では体重は劇的には減少しませんし、プロテインを大量に摂取するだけでは筋肉は肥大もしませんから、外見的にはさほど細くも太くもならないわけです。しかし、体組成の計れる体重計があれば「骨格筋率」が徐々に上がってくることが分かります。日常生活のなかで動かしている筋肉はプロテインによって補強されながら引き締まっていきます。軽いトレーニングでもすれば、ある程度の肉体改造はおまけのように自然にできます。「細マッチョ」でよろしければ努力は完全に不要です。ジムで筋トレする必要はまったくありません。運動不足人にとって「運動」するのは大問題です。でも、「細マッチョ」なら運動しないでもなれます。その証拠が冒頭でご覧に入れた私の写真です。私は「軽いトレーニング」さえしていません。スポーツジムにも行きません。自宅でも筋トレをしません。サラリーマンは1日約6千歩歩くと言われますが、通勤もしていない私は1日1千歩も歩きません。そんな私が本当になにもしなかった••••••••らとんでもない運動不足になるはずです。だから、私は4年前まで本当にとんでもない運動不足だったのです。私はいま50歳ですが、4年前はこんな体ではありませんでした。お腹周りに贅肉がぽったりとくっついた典型的な中年男でした。そして、筋金入りの運動不足でした。そして、重いだるさ、積年の肩こり、あちこちの関節痛など、いろいろな健康不調に悩まされていたのです。ところがです。46歳のある時期から1年ほどかけて、私の肉体は少しずつ変わっていきました。それと同時に、運動不足も少しずつ解消されていきました。そしていまでは、すべての健康不調から解放されています。しかしながら、私はそのためになにも始めてはいなかったのです。スポーツ、エクササイズ、フィットネス・・・。「運動」と呼べるものはおろか、散歩さえしていませんでした。もちろん、「なにもしなかった」とは申しません。なにも投じなければ池の水面に波紋は生まれません。しかし、たとえ砂粒であろうとも、それを投げ入れれば波紋は生まれます。それはたしかに些細です。しかし「無」ではありません。しかも、たとえ砂粒であろうと、時間をかけて少しずつ投じ続ければ、やがて池の底にはたくさんの砂粒が溜まります。私はいつのまにか「2つだけの心がけ」の一つを心がけていました。後から思えば、それが「自由体操」だったのです。

「2つだけの心がけ」だけで体型が変わったり、健康になったりする。そんなバカな、と思われますか?いますぐ信じくれとは申しません。でも、今日から心がけてみてください。そうすれば、あなたの体は必ず変わります。本書を信じる必要はありません。でも、自分を信じてください。次章では、「第2の心がけ」を中心に、運動をしなくても運動不足が解消でき、健康で美しい体に変われるその驚きの理由について説明して参ります。

 

ダイエットにおける運動の非常識な新常識

大切なのはとにかく「する」こと○3日に1回「がんばる」のと、毎日「がんばらない」のは、じつは同じ。もういちど「ライザップ」のお話に戻ります。先ほどの「池に石を投げ入れる」の例え話なら、「ライザップ」の指導法は3日に1回、大きな重い岩を「よっこらしょ!」と池に投げ込むようなものです。そのたびに水面には巨大な波紋が現れます。食事制限をしながらジムでトレーニングをするのはほんとにつらいことです。しかし、がんばれば結果はすぐにはっきりと現れます。「ライザップ」のCMに登場する男女の体型に、多少の演出はあっても、嘘はないはずです。2ヶ月あれば必ず体型は変わります。「ライザップ」に2ヶ月通うだけの「お金」と「やる気」があれば、肉体改造は難しくありません。さて、問題は2ヶ月後です。2ヶ月で体型は変わりました。結果には満足しています。しかし、そこで終わりではありません。人生はその後も続きます。しかし、放っておけばすぐ元に戻ります。「たった2ヶ月でこんな体になれた」という喜びと「たった2ヶ月であんな体に戻る」という恐れは表裏一体です。下手をすると、もっとひどい結果になります。リバウンドの仕方によっては以前より太るからです。お金が続くなら「ライザップ」に通い続けるという手段があります。同じペースで1年間通い続けるコースは130万円ほどだそうです。なら続けよう、という人も世の中にはいるでしょう。お金はあるところにはあるでしょう。しかし、「やる気」はどうでしょう?いくら「お金」があっても「やる気」がなくなれば「ライザップ」に通い続けるのは困難です。「お金ならいくらでもある」と言う人はたくさんいるかもしれません。でも、「やる気ならいくらでもある」と言える人はそれほど多くはいません。とりわけ「運動」というジャンルにおいて「やる気」を持ち続けるのは容易ではありません。たった2ヶ月で驚くほどの肉体改造を成し遂げた人には、驚くほどのリバウンドの危険が待ち構えています。「ライザップ」で肉体改造した体は筋肉量が増えますから以前より基礎代謝が増えます。その点では、「ライザップ」の肉体改造は筋トレなしのダイエットよりリバウンドしにくいはずです。しかし、以前以上に食べれば、以前のようには太ります。「ライザップ」のトレーニングが「3日に1回、大きな岩をドボンと池に投げ込む」のだとしたら、「第2の心がけ」は「毎日朝から晩まで、砂を池にパラパラと落とす」ようなものです。運動方法としてはまるで正反対のように異なりますが、写真をご覧頂いたとおり結果は大差ありません。つまりは、岩でも砂でも同じなのです。どちらでも池の底には溜まります。「3日に1回きつくする••」も「毎日ゆるくする••」も「する」という点は同じです。どちらでも「すれば」人体に作用します。人間の体は魔法で動いているのではありません。運動生理学という科学的な法則に従って動いています。理論上、指一本動かせば、超微量ながらエネルギーは消費されます。体を1分動かせばその分の糖と脂肪が燃焼してそれ相当の質量は失われます。体重計で量れるほどではありませんが、その分の体重はちゃんと減ります。かつて「運動は20分以上続けなければ脂肪は燃焼しない」という話がまことしやかに語られていましたが、いまはもう否定されています。「ウサギ跳び」や「水を飲まないで根性で頑張る」のように「20分の説」も「昭和の大誤解」の一つに数えられようとしています。厚労省はこう指摘しています。身体活動の最短持続時間や実践頻度については、例えば「1回の身体活動で20分以上継続しなければ効果がない」といった指摘があるが、これには科学的根拠が乏しい。ごく短い時間の積み重ねでよいので、個々人のライフスタイルに合わせて毎日身体活動に取り組むことが望ましい。スポーツジムによっては、いまだに「20分の説」を語るインストラクターがいますが、厚労省は「ごく短い時間の積み重ねでよい」と考えています。まさしく「塵も積もれば山となる」です。日常生活の中に適当な動きを「ちりつも」的に加えれば、「運動」と同じ効果があります。たしかに、心臓がドキドキするくらいのややきつい運動を20分以上続けると糖よりも脂肪の燃焼が活発になる、という研究結果はあります。運動開始時は「糖質6割、脂質4割」、20分後は「糖質5割、脂質5割」、60分後は「糖質4割、脂質6割」というように、運動時間に応じて使われるエネルギー源の比率は変化します。そのせいで「20分以上運動しなくちゃいけない」という誤解が広まったのでしょう。しかし、この誤解のせいで「20分以上運動しないと意味がないのなら、1分も運動したくない」という人たちが大勢現れて全員が運動不足になったのです。しかし、右に示したとおり、実際には最初から脂肪もそれなりに燃焼しています。「効率的に脂肪を減らしたい」というお気持ちはよく分かります。しかし、20分後の変化率はたった1割です。「どうせ脂肪が減らないのなら20分以内の運動もしない」という言い訳は、もはや言い訳になりません。運動開始時から脂肪もそこそこ燃焼しているのです。しかし、「1分の運動」さえしたくない、というお気持ちもよく分かります。「運動」という言葉を聞くだけで運動をしたくなくなる。それが「運動不足人」です。

「運動」はしなくていい○運動しなければ運動不足は解消できない?そんなことありません!もう何年も運動をしていない。「運動」と聞くだけでやる気がなくなる。やる気まんまんではじめた運動がなかなか続かない。本書を手に取る人の多くはそんな悩みをお持ちのはずです。私も1年前までは筋金入りの「運動不足人」でした。でも、いまはちがいます。でも、体操もエクササイズもなにもはじめていません。なにもはじめなかったのに、運動不足は解消できました。それは、なぜでしょう?体を動かしたからです。「やっぱり、運動してたんじゃないの」そうおっしゃる方もいるでしょう。でも、ちがいます。私には「運動」をしているつもりはまったくありませんでした。いまもそうです。「本人が運動のつもりでなくても、きっと運動してるのよ」そうおっしゃる方もいるでしょう。でも、私の日常生活を24時間監視しても、みなさんが「常識」で考える「運動」はどこにも見当たりません。ジムにも行きませんし、自宅で筋トレも体操もしていません。「じゃ、いったいなにをするの?」繰り返しになりますが、私は、体を動かしています。私はふだんの生活の中で体の動きを少し増やしているだけです。それが「加動」であり、「自由体操」です。それは、どこからどう見ても常識的には「運動」ではありません。世の中にはあまりにも常識的なこんな「常識」があります。

「運動をしなければ運動不足は解消できない」私もこの「常識」に長年囚われていました。多くの人はいまでもそう信じています。そして、疲れやすくなったり、寝付きが悪くなったりすると、「運動しなきゃなあ」とため息を吐きます。でも、運動はしません。それはまだいい方です。私はちがいました。私は「運動しなきゃなあ」とさえ思いませんでした。運動が大嫌いだったからです。40代も半ばを過ぎると、体のあちこちにガタがきます。疲れやすくなります。風邪をひきやすくなり、治りにくくなります。階段を上るとすぐに息が切れます。自転車をこぎ始めるとすぐに腿が張ります。肩や腰や膝が痛みます。肌つやを悪く感じます。太りはじめます。そんなに飲んでいないのに二日酔いになり、お酒が抜けにくくなります。そして、とにかく一日中だるいのです。だるくてなにをするのもめんどくさいのです。しかし、それはぜんぶ「歳のせい」です。肉体のトラブルは年を追うごとに増します。特に40代後半から急増します。それは「加齢」あるいは「老化」のせいです。どちらでも同じです。私は常識的に考えて、自分が年相応に衰えていると感じていました。運動不足のせいではなく歳のせい。私はそう思おうとしていました。人生80年ならその折り返し地点はとっくに過ぎました。あとはずっと「下り坂」です。あとは悪化の一途でしょう。運動すればましになるでしょうか?いいえ、そうは思えません。もう「歳だから」仕方ありません。私はそう思おうとしていました。こう見えてそこそこのアスリートだった私ですが、それは高校生までのお話です。それは昔話です。こどもといっしょによく行く公園にうんてい鉄棒があります。あるとき試しにそこで懸垂をしようとしましたが、1回もできませんでした。アメリカンフットボールに情熱を注いだ高校時代は、2、30回できたような気がします。でも、それは30年以上前のことです。そもそも「2、30回できた」という記憶すら怪しいものです。「ああ、歳をとったものだ」小さい娘の遊ぶ姿を見守りながら、私は甘く切ない気分にひたっていました。スポーツマンのティーンネイジャーもいつのまにやら中年太りで運動不足のおとうさんです。子供と遊んでいてもすぐ疲れちゃいます。だるいのです。できれば、温泉なんかにゆっくり浸かって休みたいのです。歳のせいです。それはあながちまちがいではありません。だって、実際に「歳」なんです。それは否定できません。しかし、運動しない理由はもう一つあります。それは「めんどくさがり」です。

家族団らんの食卓で、「パパ、お塩取って」と言われても、「自分で取って」と応えます。そんなことさえ、めんどくさいのです。靴は脱ぎっぱなし、服も脱ぎっぱなし、ごはんは食べっぱなし。片付けがめんどくさいので部屋が散らかります。そして、片付けない理由を「めんどくさがりだから」で片付けます。これはじつに都合のいい理由です。「めんどくさがり」という性格だから直せない、と言いたいわけです。ところがです。この「めんどくさがり」は直ります。いや、「治る」と言った方がいいでしょう。「めんどくさい」には精神的理由と肉体的理由がありますが、日常的な生活動作が「めんどくさい」とき、その理由は主に「だるさ」です。だるくて動き出せません。「だるさ」は肉体的なトラブルです。そんな「だるさ」は「第2の心がけ」でかんたんに解消できます。つまり、「治せる」のです。「だるさ」がなくなれば、パッと立って、サッと動いて、キッチンからお塩を取ってきてくれるパパになれます。しかし、「だるさ」に慣れきった体では、自分が「だるい」ということにさえ気づけません。だるいという自覚がないため、代わりに「めんどくさがり」という性格のせいにしているだけです。

  • 「動かさない」と「動かせ•ない」○運動不足がいっそうの運動不足を呼ぶ悪循環とにかく動きたくない。立っているだけで疲れる。座りたい。いちど座ったら立ちたくない。エスカレーターやエレベーターを使いたい。階段しかない?じゃあ行かない。歩きより自転車。電車より車。近所のスーパーも車で行く。もちろんスポーツなんてしない。ジョギングもゴルフもテニスもスキーも卓球もボーリングもフリスビーもバドミントンも縄跳びもしないし、野球やサッカーはテレビで見るスポーツです。そんなになにもしなければ運動不足になるのは当たり前です。でも、しかたありません。なにをするのもめんどくさいのです。するのは仕事だけで充分です。仕事が忙しいんです。忙しくて疲れているんです。疲れているから休むんです。休むために体を動かさないでいるんです。いけませんか?私もずっとそう思っていました。でも、それは完全にまちがいでした。体が疲れているから体を動かさない。それではいけません。体を「動かさない」でいると「動か・せない」体になってしまいます。・だるいからじっとしている。じっとしていると運動不足になる。運動不足だとさらにだるくなる。私はこの悪循環に完全にはまっていました。もしいまでもあのままだったら、と思うだけでゾッとします。ところが、です。ひょんなことから、その悪循環は断ち切られました。きっかけは、肩凝り解消でした。しかし、私にはそれを「はじめた」という意識はありませんでした。この「無意識」がよかったのです。

私の肩凝りはそれはひどいものでした。あらゆる解決法を試みた、と言っても過言ではありません。しかし、どれもだめでした。結局、どれもが対症療法だったからです。対症療法とは原因を治さず、「その場しのぎ」的に症状を軽減させる方法のことです。それゆえ「姑息的療法」とも呼ばれます。お腹が痛いときに痛み止めを飲むのは対症療法です。しかし、お腹が痛い原因がガンだったら、ガンを治さなければいけません。このとき、ガンの治療は原因療法と呼ばれます。私がそれまで試した肩凝り対策はすべて、凝りをやわらげるだけの対症療法でした。凝りの原因を取り除く原因療法ではありませんでした。思い返せば、肩凝り解消グッズを買い漁る私を見て、妻はいつも「そんなものいくら買っても、運動しなきゃダメよ」と言っていました。しかし、私は妻の言葉に耳を貸しませんでした。なにしろ、運動だけはしたくなかったもので。「なにをやっても治らない肩凝りが、運動くらいで解消するわけがない」私はそう信じていました。いえ、そう信じたかったのです。運動が嫌いだったので。そんなある日のことです。私はインターネットで「あべこべ体操」を見つけました。後にちょっとしたブームになるこの体操は「あべこべ」の名のとおり体の動きが自然な動きに反していてかんたんではありません。覚えられないのでパソコンでなんども動画を再生しながら、こっちか?いや、あっちか?と苦労していました。そして、諦めました。運動も体操も嫌いなもので。ところが、です。私はいつの間にか自己流の勝手な体操を始めていました。

「諦め」から偶然生まれていた「自由体操」○適当に体を動かすだけで体調は驚くほど良くなる「あべこべ体操」を諦めてから3ヶ月ほど経ったある日のことです。私はその日、当時5歳だった娘と一緒に公園に来ていました。「上手く乗れなくてもいいから、とにかく乗ってみよう」それは自転車の練習に尻込みする娘にさっき私が言った言葉です。娘は「うん」と小さくうなずいて、とにかく乗ろうとがんばりはじめました。ふらつきながら、足を着きながら、なんどもなんども転びそうになりながら、娘はいっしょうけんめい自転車に乗り続けています。後から思えば、自転車の練習も「あべこべ体操」も、同じだったのです。(ちゃんとできなくてもいいから、とにかく動かしてみよう)その時はそんなこと思ってもいませんでしたが、そうだったのです。私は娘に向かって手を振ると、その手をぐるっと回し、首を倒し、腰をひねり、とにかく体を動かしていました。私はただ、娘が自転車の練習をしている間することがなかったので、いいかげんに体を動かしていただけです。そうなんです。私は「あべこべ体操」を諦めた後も、思い出せないなりに「あべこべ体操」をしていたのです。いつの間にか「あべこべ体操」とは全然ちがう「動かし方」になっていましたが、とにかく結果的に続けていました。「体操」とは思いもせず、ただ体を動かせるときに動かしてただけでしたが。しばらく経って、娘は自慢げに戻ってきました。いつのまにか、補助輪なしの自転車を上手に乗りこなしていました。「すごいね、上手に乗れるようになったね」私がびっくりしてそう言うと、娘はにっこり笑って「うんっ!」と大きくうなずきました。「パパもがんばってたいそうしてたね」娘に見られていたようです。「体操っていうか、適当に体を動かしてただけだよ」照れながら肩に手を当てると凝りは少しほぐれていました。適当に動かしても少しは効きます。少しでいいのです。自由体操はもうとっくに始まっていたのです。

始まったことには全然気づいていませんでしたが。適当に少しだけ体を動かしていれば健康は改善する。そんな話は聞いたことありませんでした。誰に言われたでもなく、私はただ毎日なんとなく体を動かしていました。気をつけないで、ただ、そうしていました。無意識に心がけていたわけです。それからさらに3ヶ月くらい経ったでしょうか。「あれ?いつもより楽だな」階段を1段飛ばしたときにそう感じました。それだけではありませんでした。本棚の上の段に楽に手が届く、靴を履くときにしゃがみやすい、振り向ける範囲が広がった、などなど思い当たることがいくつもありました。私の体は以前より少し動かしやすくなっていました。まだありました。なんと、以前ほどだるくないのです。これには驚きました。40代も半ばを過ぎて、これから「体調の下り坂」がきつくなると覚悟していたのに、知らないうちにだるさが減っていました。健康が改善しているのです。体にいいことをなにかはじめただろうか?思い出せません。もうボケちゃったのでしょうか?私は思わず首をひねりました。・・・・・・・・そのとき、私の「?」は「!」に変わりました。「これが効いてるんだ!」私はその時はじめて、「この頃、体を動かしている」という事実に思い当たりました。「あべこべ体操」を自分流にアレンジして体を動かしていたことに、私はその時やっと気づきました。そういえば、もう何ヶ月も前からやってます。いつでも、どこでも、体のどこかを適当に動かしていました。たしかに、首もひねります。腰も肩も回します。膝も曲げます。しかし、本当にそのせいでだるさが減ったのでしょうか?あまりにわずかで適当すぎて、健康改善ができるとは思えません。

私は常識的に「まさか、それくらいのことで」と思いました。しかし、同時に「もしかして、このくらいのことでも」とも考えました。自分の肉体のどこがどう変わったのか?私は考えました。

  • 「微々たる」で「微々足る•」○誰でもまねできるイチロー選手の心がけ答えは意外なほどかんたんでした。階段の1段飛ばしが楽にできたのは股関節が少しやわらかくなり、脚が以前より広げやすくなったからです。本棚の上の段に手が届くのは肩の筋肉がわずかにやわらかくなり腕を上げやすくなったからです。私の体はほんの少しですが、以前よりやわらかくなっています。それは、わずかではありましたが確かな変化でした。機械で計れば「数ミリ」とか「数度」のちがいかもしれません。でも、階段を上るときに感じたのは充分な変化でした。実測すれば「微々たる」変化でも、それは実感として「微々でも足りる」、つまり「微々足る••••」変化でした。自分の体の硬さに慣れた運動不足人は、無自覚にそれを受け入れています。昔から硬いんで、とか、歳だから仕方ない、と思っています。そもそも、健康と体の硬さにそれほど重要な関係があることはあまり知られていません。世の中では、少しくらい体がやわらかくなってもどうにもならない、と思われています。しかし、それは大間違いです。プロテインと同じように、柔軟性にも大きな誤解があります。「柔軟性を高めれば健康になる」のなら、180度開脚ができる人はものすごく健康でしょうか?そんなことありません。もしそうなら、みんなこぞってストレッチをするでしょう。ん?そういえば、健康志向が強い人はストレッチを積極的に行っていますね。そうなんです。みなさんよくお分かりです。多くの人は「ストレッチは体にいい」と思っています。一方で、多くの人が「柔軟性と健康はあまり関係ない」とも思っています。この二つは矛盾しているように聞こえますが、じつは二つとも筋が通っています。つまり、多くの人が「ストレッチをしても体はそんなにやわらかくはならないが、ストレッチ自体は体にいい」と思っているのです。「プロテイン」には「まずい」とか「高い」とか「飲んだらマッチョになる」などの誤解がありましたが、「柔軟性」には「努力しても無駄」とか「少しくらいでは意味がない」という誤解があります。でも、ストレッチなら「やった方がいいかも」となるのです。この誤解が生まれた理由はたくさんあります。

「運動」と聞いただけで体が動かなくなる「運動不足人」は、「柔軟」と聞いただけで体が硬くなります。「運動不足人」の深層心理には、昭和の部活のようなつらい「柔軟体操」が刻まれています。つらい経験があれば当然拒絶します。「柔軟」という言葉自体が嫌いだし、したくないし、しても無駄、なのです。日本政府もずっと「柔軟性」を軽視してきました。2000年に厚生省(当時)が策定した「21世紀における国民健康づくり運動」(通称「健康日本21」)は政府の健康に対する基本政策ですが、そこには、「柔軟性」に関する記述はいっさいありません。たとえば「メタボ健診」の指導員マニュアルでも、「柔軟性」にはほとんど触れられていませんでした。あるいはマスコミは「柔軟性」を特別視します。トップアスリートの秘密を探る番組ではたいてい「柔軟性」が取り上げられます。イチロー選手や荒川静香元選手など、体がやわらかいことで有名なトップアスリートたちの常人とは桁外れの才能や努力を見せられて「柔軟性」はどんどん遠い存在になっていきます。たしかに、イチロー選手は特別です。しかし、柔軟性は特別ではありません。柔軟性はもっとずっと身近です。そして、イチロー選手のような「努力型の天才」には私たち常人にもまねできる「心がけ」があります。それこそが「とにかく動かすこと」です。イチロー選手が出場している試合を見たことがある人ならピンとくるはずです。打席で肩に手を当てるあの有名な「ルーティン」も「動き」ですが、注目してほしいのは外野の守備やベンチのイチロー選手です。イチロー選手は「いつでも体を動かしている」のです。ライトの守備位置でストレッチ、ベンチに戻ってきてまたストレッチ。そして、自宅に帰れば専用のマシンでトレーニング。試合がない日もトレーニング。特別なイチロー選手は特別なストレッチやトレーニングをいつでも••••しています。ふつうの私たちはふつうのストレッチやふつうのトレーニングをいつでも••••すればいいのです。いや、ふつうでなく、適当でいいのです。大切なのは「いつでも」の方です。やり方なんてどうでもいいのです。

少し動かせば、少しやわらかくなる○運動不足の悪循環は適当に動かすだけで逆回転を始める。「だるさ」に慣れきった体は「だるさ」を自覚できないように、「硬さ」に慣れきった体は「硬さ」を自覚できません。しかし、いつでも、どこでも、適当に動かしていればそのうち体は少しずつやわらかくなります。そして、少しでもやわらかくなれば、それまで体が硬かったことに気づきます。骨折してギプスで固定した関節は1ヶ月もすれば固まって動かなくなります。もとどおり動かせるようにするために、リハビリで少しずつ動かしていきます。体は動かさなければ硬くなります。体は動かせばやわらかくなります。体が硬くなるのはカルシウムなどの「緊張成分」が凝固剤のような働きをして筋肉を緊張させるからだと言われています。体を動かさないと血流が減って「緊張成分」が流されずに残るため、筋肉は硬化します。逆に、体を動かせば血流が増えて「緊張成分」が流されて残らないため、筋肉は軟化します。筋肉が軟化すると、それまで圧迫されて細くなっていた末梢血管が太くなります。すると、さらに血流が増えて、新陳代謝が活発になり、体表面の温度が上がり、温められた筋肉はさらに軟化します。体を動かすことによって筋肉にはこのような好循環が生まれます。こうして老廃物の除去が早まり、「だるさ」や疲れが溜まらなくなります。「だるさ」や疲労感といった身体の感覚も、突き詰めれば「緊張成分」のような物質が引き起こしています。「気分」のような「形のないもの」であっても、科学的に電子顕微鏡レベルで追求すれば、なんらかの「目に見えるもの」に行き着くわけです。そして、そんな目に見える「原因物質」を取り除くことができれば、「気分」だって改善するというわけです。実際に、うつ病などの「気分障害」にもこのような物質面からのアプローチは行われています。体を動かすことで生まれた好循環は、この「原因物質」を除去しその蓄積も防いでくれます。その効果は筋肉内だけでなく行動面にも広がっていきます。体を動かせば体はやわらかくなり、体がやわらかくなると体は動かしやすくなります。すると、もっと体を動かすようになり、もっと体はやわらかくなります。この好循環は、運動不足人の「動かさないと動かせなくなる悪循環」と正反対の行動パターンを引き起こします。体がやわらかくなると、動き出しがとてもスムースになります。めんどくさがらず、ためらわず動き出すので、体を動かす機会がどんどん増えます。「パパ、お塩取って」と言われたら「はいよ!」とすぐに動き出せます。体を動かす機会が増えると運動量が増えます。一つ一つの動きは些細でも「ちりつも」的に運動量は溜まります。運動量が増えれば持久力や筋力も向上します。このとき「第1の心がけ」により、体内にたんぱく質という筋肉の材料が豊富にあれば、増えた運動に相当する筋肉が造られていきます。「2つだけの心がけ」はその両方を同時に行うことで、誰も予想さえしなかった超かんたんな肉体改造トレーニングの働きを生みます。「持久力、筋力、バランス能力、柔軟性」は「体力を構成する中心的要素」と呼ばれますが、柔軟性こそが他のすべての要素を向上させる「中心の中心」的要素です。「運動不足人の悪循環」を逆回転させて健康の好循環にするには柔軟性の向上が必要です。そのために必要なのは、ただ適当に体を動かすことだけです。それが「第2の心がけ」、つまり自由体操です。放置された自転車は、そうかんたんには動き出しません。錆を取り、油を注して、ハンドルやチェーンやギアが動くようになってやっと再び走り出します。人間も同じです。運動不足のせいで筋肉や関節が固くなったままではかんたんに動き出せはしません。まずは少しずつ適当に動かして、やわらげていくことです。放置でなくても、たまにしか乗らなくても、自転車の動きは悪くなります。でも、乗り続けてさえいれば、メンテナンスなんてあまりしなくても、自転車はそこそこ軽快に走り続けます。人間も同じです。たまにしか乗らない自転車と「運動不足」は同じです。いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かしていれば、スポーツやエクササイズなんてしなくても体は軽快に動き続けます。運動不足を解消するために大切なのは、「運動量を増やそう」というやる気ではなく、「静止時間を減らす」という心がけです。

少しでも動かしていれば、関節はやわらかい状態を保てるからです。体を動かせば動かすほど筋肉と関節はやわらかくなり、関節可動域が拡大します。関節可動域とは、体の各関節の動く角度、動く範囲、動く広さのことです。首、肩、腕、手、背中、腰、脚、足。体の各所が動くのはそこに関節という「つなぎ目」があるからです。リハビリテーションでは、関節可動域の広さが怪我や麻痺からの回復度合いを測る指標になっています。みなさんがご存じの「ストレッチ」や「柔軟体操」は、関節可動域の限界に挑戦する運動です。しかし、限界近くまで伸ばして痛みや不快を感じると、肉体は守りに入ります。「それ以上伸ばしたらダメだ」と反応した筋肉は反射的に硬直します。実際に限界を超えてしまえば筋肉は壊れてしまいます。最悪の場合、筋の断裂という大けがにも至ります。ストレッチは絶対に無理をしてはいけません。最近のアスリートの「ストレッチ」は「昭和の柔軟体操」とは様子がちがいます。無理をしないのです。最近のトップアスリートのストレッチには「ゆるめ」「短時間」「回数多め」という共通点があります。自由体操はこのトップアスリートのストレッチの日常生活バージョンです。「ゆるめ」は「適当」、「短時間」は「少し」、「回数多め」は「いつでも」です。その結果、筋肉がやわらかくなり、関節が動かしやすくなり、生活動作がスムースになります。じっとしていれば、靭帯や筋肉の柔軟性と伸縮性が失われて関節可動域が狭まります。それだけでなく、肉離れ、ぎっくり腰、捻挫などの怪我もしやすくなります。つまり「ロコモティブシンドローム」になりやすくなるのです。思うように体を動かせない状態のことを「ロコモ」と呼びます。日本整形外科学会は2007年に「ロコモティブシンドローム(運動器症候群)」を提唱しました。その通称が「ロコモ」です。「ロコモ」の定義は、「運動器の障害による要介護の状態や要介護リスクの高い状態」です。「運動器」は平たく言うと「足腰」です。つまり、「ロコモ」は「足腰にガタがきた状態」です。40代半ばになれば誰だって少しは「ロコモ」です。すでに「超高齢社会(*)」を向かえた日本において、「ロコモ」は誰もがいつかは直面する「国民病」です。(*総人口に対して65歳以上の高齢者人口が占める割合を高齢化率といい、国連は高齢化率が21%を超えた社会を「超高齢社会」と定義している。日本の高齢化率は2007年に21%を超えている)「ロコモ」と「メタボ」は「食事」と「運動」に直接関わる問題です。先に触れたサントリーの「ロコモア」はロコモ予防のサプリメントですが、ロコモ予防の運動は「ロコトレ」と呼ばれます。「第2の心がけ」の自由体操も「ロコトレ」です。自由体操は究極のロコトレ、あるいはロコトレ前のロコトレ、とも言えます。「ロコモ」、つまり日常の生活動作の制限は、高齢者だけの問題ではありません。本人は気づいていませんが、早い人では30代で始まり、40代ではかなり進行しています。40代になると、無理なく動かせる角度はいつのまにか、体中至る所で大きく制限されています。適当でも少しでも、体を動かせば、体は少しはやわらかくなり、体は少し動かしやすくなります。身体の柔軟性は、少しずつであれば、ある程度まで回復します。これすなわち、リハビリです。リハビリは怪我人や病人や高齢者だけのものではありません。運動不足人にもリハビリは必要です。運動不足人のリハビリは病院に行かなくても自分で適当にやればいいのです。いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かす。これが健康改善の究極のリハビリです。

あなたの運動不足は、あなたにしか分からない○運動不足は計測できないが、体重ならかんたんにできる。運動をしなくても、適当に体を動かしてさえいれば、運動不足は解消できる「?」が「!」に変わったとき、私はそう仮説を立てました。自分で気づかないうちに「第2の心がけ」を心がけるようになって6ヶ月が過ぎていました。体がやわらかくなった実感があり、だるさも減り、半年前より体が軽くなりました。仮説はあまりに突飛でしたが、それが真実だとしたら運動不足人にとってこれほど都合のいい真実はありません。私は当時の最新型でしかもリーズナブルだったオムロンの「体重体組成計」を買って仮説を立証しようと思いました。私は直感的に「体を動かす」ことと「エネルギー消費」の関係について検証しようと思いました。(結果的にそれは大正解でした。)そして、新品の体重体組成計で初めて測った数値はこうでした。平成25年3月12日体重58.15キロ体脂肪率18.3%体年齢32歳(ちなみに身長167センチ、当時46歳でした。)じつは、この数値にはすでに「ダイエット効果」がばっちり現れていました。冒頭で紹介した写真のとおり、前年の夏、私の体はもっとムチッとしていたのです。記録には残っていませんが、記憶では体重は65キロ以上でした。私は体重を量り始めたときすでに「6ヶ月で7キロくらいのダイエット」に成功していました。もし、ダイエットが目的で「運動」をしていたなら、目的を達成したことで「運動」を止めていたでしょう。しかし、私は「ダイエット」も「運動」もしているつもりはありませんでした。そもそもの目的は肩こり解消だったのです。肩こり解消のために「あべこべ体操」を始めて、できなくて止めて、その代わりにいいかげんに体を動かしていたら、いつの間にか肩こりも運動不足も解消されていました。しかし、残念ながら肩こりも運動不足もその解消度合いをみなさんに数値でお見せすることはできません。肩こりの方は「触ってもらう」という確認方法がありますが、それは現実的ではありませんし、運動不足の方はそれさえできません。運動不足も、運動不足を原因とするだるさも、それは「自覚」でしかないからです。他人に口で伝えることはできても、他人にお見せすることは不可能です。運動不足は主観的なものである。それは、現代人の多くが運動不足になる一つの大きな要因です。健康診断や人間ドックでも自己申告しなければ運動不足は問題視されません。さらに、残念なことに、「運動不足です!」と勇気を持って医師に打ち明けても、たいていは「じゃあ、運動してくださいね」と言われるのがオチです。そして、運動しないのです。だから、悪化するのです。放っておけば年齢とともに着実に悪化します。運動不足のだるさと同じく「運動後の疲労感」も、その実態を数値化することはできません。運動後の血液検査でわかる「乳酸値」は、疲労感の「目安」にはなりますが、当人の感じている「疲労感」そのものではありません。おまけに、最新の研究では長らく疲労物質と考えられてきた「乳酸」はじつは疲労の結果物質であることが分かってきました。つまり、乳酸は疲労の犯人ではなく、犯人を逮捕するために集まった「おまわりさん」らしいのです。このように、気持ちの問題は計れません。しかし、「体重」なら量れます。それも、かなりかんたんに。「適当に体を動かせば運動不足は解消する」それは証明できません。しかし、「適当に体を動かせば消費カロリーは増える」これは証明できます。体重体組成計を買った私は、「仮説」を証明するために、毎日体を適当に動かし、毎日何回も体重を量りました。私が購入した体重体組成計はパソコンやスマホと連動しているので、データの収集と統計分析は非常にかんたんです。そして、約3年半のデータを分析して分かったのは「食べなければ痩せる」という事実です。そんなの当たり前だろう!すみません、本当に当たり前だったんです。では、どのくらい痩せると思いますか?一般的には「体重1キロあたり1日15g」と言われています。体重60キロの人はなにも食べなければ1日に900グラム痩せます。これは「不感蒸泄」のせいです。

深呼吸だけで2倍痩せる○人体実験で証明された驚きの代謝アップ。私たちはじっとしていても基礎代謝によってカロリー消費をしています。その際に分解された水分を口と皮膚の呼吸で体外に排出する作用が「不感蒸泄」です。コンビニ袋を口にしっかり当てて息を4、5回吹き込むと、それだけで袋の内側はかなり湿った感じになります。あれはエネルギー消費に伴って体外に排出された水蒸気です。口呼吸のこの作用と同じことは皮膚呼吸でも行われています。「人は寝ている間にコップ1杯分の汗をかく」と言いますが、本当の•••汗をかかない快適な寝室で寝ていれば、睡眠中に体外に出ていく水分のほとんどは「不感蒸泄」によるものです。CMでは分かりやすく「汗」と表現していますが、それは本当の•••汗とはちょっとちがいます。この汗のような••••「不感蒸泄」の量はかんたんに量ることができます。就寝前後の体重差がそれです。一般的な「不感蒸泄」と自分自身の数値を比較することもとてもかんたんです。ちなみに、私の3年半の体重測定データからは「体重1キロあたり1日平均約14g」という結果が出ました。どうやら私の不感蒸泄はほぼ••一般的なようです。運動をしなくても、安静にしていても「不感蒸泄」によって生きるためのエネルギーは絶えず消費されています。生きるためのエネルギーはふつう食事から得ますが、食事が足りなければ体内に蓄えられた脂肪やたんぱく質も使われます。すると、体重が減ります。睡眠中は「プチ断食」の状態で、飲食と排便によるプラスマイナスがありませんから、就寝前後の体重減少は「不感蒸泄」の値と等しくなります。私はこの3年半、毎日のように就寝前後の体重を量り続けてきましたので、その平均値として先ほど示した「14g」という結果を得たわけです。もちろん、まる1日安静にして断食すれば体重の減少は1日分の「不感蒸泄」に等しくなるはずです。私の場合、理論的には「14g×58=812g」となるはずです。そこで実験です。もとはと言えば、「適当に体を動かしていたら、体がやわらかくなってだるさが減った」ということを検証するために体重体組成計を買ったのですが、毎日のように朝昼晩と体重計に乗っていたら余計なこともしたくなりました。いえ、余計ではありません。「体を動かす」ことと「体重減少」の関係を調べるためには、まず最初に「体を動かさない」安静のときの体重の変化を確かめておく必要があります。そこで3日間、1日3食すべてを水と0キロカロリー食品だけにして、外出を控え、できるだけ体を動かさないようにしてみました。すると、3日間の飲食の摂取量と大小便の排泄量が相殺されたうえで、体重は1日平均950g減少しました。この数値は、私の「不感蒸泄」の理論値812グラムをわずかに上回っていますが、完全な安静ではなく最低限の生活活動を行っていたことを考えるとちょうどよい結果です。このことから分かるのは、体重約60キロの人は、なにも食べなければ、1日に自分の肉体を約1キロ消費する、ということです。1日に1キロの人肉が失われるわけです。1キロの肉って想像できますか?レストランで300グラムのステーキがテーブルに運ばれてきたらふつうの女性は驚きます。男性でも食べきるのは大変です。そんな極厚ステーキ3枚分の肉が1日のうちに人体から失われるのです。恐るべし「不感蒸泄」、恐るべし「基礎代謝」です。そんなに減ったらすぐに死んでしまいます。それすなわち、餓死です。だから、私たちは食べているのです。私たちは死なないために食べているのです。死なないために「食欲」が出てくるのです。さて、「体を動かさない」ときの数値が確認できたところで、次はいよいよ「体を動かす」ことがどのくらいエネルギー消費を増やすか確かめる実験です。そこでまずは「最小限の運動」がなにかを考えてみましょう。運動が大嫌いな運動不足人でも必ず行える「運動」はなんでしょう?それは「呼吸」です。呼吸は「呼吸運動」とも呼ばれる立派な「運動」です。「不感蒸泄」の体重減少も呼吸によるものでしたね。「でも呼吸だけでは、筋肉を使わないでしょう」そうおっしゃる方もいるでしょう。いいえ、呼吸は多くの筋肉を使います。横隔膜、内肋間筋、外肋間筋、胸鎖乳突筋、前斜角筋、中斜角筋、後斜角筋、腹直筋、内腹斜筋、外腹斜筋、腹横筋。呼吸はこれだけの筋肉をすべて動かすりっぱな運動です。呼吸には無意識に行う安静時正常呼吸(自然呼吸)のほかにもう一つ、意識的に行う努力呼吸があります。深呼吸はこの努力呼吸です。まさに「努力」です。努力呼吸の「運動量」は安静時正常呼吸より増えるにちがいありません。たいした量ではないかもしれませんが、確かめる価値はあります。ではまた人体実験です。すると、驚くべき結果が出ました。なんと、深呼吸では自然呼吸の倍の体重が減少したのです。

つまり、深呼吸の運動量は「じっとしている」の2倍だったのです。やる気がまったく出ないとき、モチベーションが最低なときはなにもする気が起きません。そんなときでも、深呼吸をするだけで「運動量」は倍に増やせます。深呼吸には「なにもしない」より2倍のダイエット効果があるわけです。

過剰なダイエットとリバウンドの恐怖○ついに、食べたくなった!そのときに取った苦肉の策こそが・・・いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かす。その効果を確かめるためにこんな人体実験を繰り返していたら、私の体重は一気に減少してしまいました。その頃、私はまだ「第1の心がけ」を心がけていませんでした。絶食実験のときは水とこんにゃくゼリーだけで3日間過ごしました。スプーン1杯ほどのこんにゃくゼリーを30回くらい噛んで、できるだけすこーしずつ飲み込んだりしていました。お腹が空いていると胃が食べ物を欲しがるのでついつい早食いになり、結果的にたくさん食べてしまいます。そこで、すこーしずつ飲み込むため、あごがのどにくっつくほどうつむいて食べる、という方法まで編み出しました。単純な対策ですがよく効きます。こうすると水さえ飲み込みにくくなります。腹八分目の効果を確かめているときは、来る日も来る日も食事の終わりのあの空腹感に耐えていました。またあるときは、あのつらい「糖質制限」も行いました。腹八分目と同時に行ったときは本当につらかったです。「締め」のごはんの満足感がないため、腹二分目の空腹感はおそろしいほど強調されます。絶食よりもこっちの方がつらい!でしょう。そんなことをしていたら、4ヶ月後の7月にはこんな数値が記録されてしまいました。体重52.05キロ体脂肪率5.8%体年齢21歳この頃、「第2の心がけ」のおかげで私の「だるさ」はかなり減っていました。体がすぐ動くので「めんどくさい」も減りました。しかし、体型はどうでしょう?なんとも貧弱になってしまいました。「糖質制限+腹八分目」という厳しい食事制限は筋肉を削げ落とすように減らしてしまいます。これが食事制限の怖さです。スーツが似合いません。Tシャツもだめです。ゆかたは大丈夫ですが、ゆかたは温泉でしか着ませんし、温泉にいる間はほとんど全裸です。まさにその裸がやけに貧相です。データは集まりました。お腹は空いています。もういいでしょう。人体実験は終了です。体に肉をつけよう。好きなものを好きなだけ食べよう。そう思っただけでよだれが出ます。食べ始めたら箸が止まりません。私はもともと1食を極端に過食できるタイプです。フードファイターの素質があります。そんな私に糖質の禁断症状が現れたらどうなってしまうでしょう。いえ、その頃すでに私は禁断症状を感じていました。丼物を、スパゲッティーを、ラーメンを、無性に食べたくなります。もちろん、大盛りで。できれば、食べ放題で。糖質と脂肪を体が貪欲に欲しています。ダイエットに成功した人が「胃が小さくなったので、もうたくさん食べられません。だからリバウンドの心配はありません」などと発言するのはダイエットの直後だけです。一時的に胃に大量の食物が入らなくなっているだけです。しかし、動物の生存本能はそんな生やさしいものではありません。胃はやがて柔軟性を取り戻します。おまけに、ダイエットによって外の世界を「飢餓状態」だと認識した肉体は、厳しい環境を生き抜くために以前より多くの栄養、特に脂肪を積極的に体内に蓄えるようになります。だから、太りやすくなるのです。原始より動物の体は生き抜くためによくできています。痩せたり太ったりは外見を気にしてなるものではありません。現代ではそれをリバウンドと呼びますが、本来それは「生存競争」を勝ち抜くための人体の工夫でした。原始よりヒトは「痩せたり太ったり」を繰り返してきました。何万年、何十万年と培われてきた人体の仕組みは私の中でも同じように働いています。すべての食事制限を終了して通常食に戻った私の肉体は、栄養素を溜め込むために、腸がとことん吸収するので排泄物が減って便秘がちになりました。そして、早くもお腹周りに贅肉がつき始めました。「いかん、いかん、このままでは以前より太ってしまう」数々のつらい人体実験を終えたばかりの私にはまだ欲望に飲み込まれない科学の理性が残されていました。私は考えました。「贅肉だけでなく筋肉まで落ちてしまった体に筋肉だけをつけ直すには、どうしたらいいのだろう?」そうだ!たんぱく質をたくさん摂ろう!そうはいっても家族と一緒の食卓で私一人だけたんぱく質を多めにするのは手間がかかります。そこで、私は手っ取り早くプロテインを飲むことにしました。安易ですが、それが良かったのです。「シンプル・イズ・ベスト」です。冒頭で申し上げたとおり、食生活を「変える」のではなく、ふだんの食事にただプロテインを「加える」だけです。プロテインはまずくて値段も高いけど、とりあえず試してみよう。そう思うと早速駅前のドラッグストアに行って、明治の「ザバス」と専用のシェイカーを買ってきました。そして、作ったプロテインシェイクを飲んだ私は驚きました。何十年ぶりかに飲んだプロテインはとてもおいしかったのです!

正直、「これならいくらでも飲める」と思いました。「ザバス」にはこんな説明がありました。〈プロテインを飲むタイミング〉特に、運動後30分以内の摂取はゴールデンタイムとも言われ運動後の「カラダのケア」そして「カラダづくり」の観点からも一番おススメです。また、たんぱく質の不足しがちな食事の補助として、朝食時の摂取もおススメの摂取タイミングです。また、「睡眠中は成長ホルモンが分泌されるので寝る1時間前に摂取」という表記もありました。しかし、思い出して下さい。私は運動嫌いです。そもそも、私は「第2の心がけ」を証明するために人体実験をしていたのです。いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かす。そう心がけていれば、運動しなくても運動に等しい効果を得られる。それを明らかにするためには食事制限は止めても運動はできません。私はプロテインの「ゴールデンタイム」を無視して、朝と晩にプロテインシェイクを飲むことにしました。1食分20グラムを400mlくらいの牛乳で溶かし、1日2回です。お腹に溜まるように牛乳は多めにしていました。ところがです。1ヶ月も経たないうちに「1050グラム5150円(税別希望小売価格)」を飲みきってしまいました。2日に1本ペースの牛乳代もバカになりません。おいしくはなっても、まだお高いのです。たくさん飲みたくても、そうもいきません。こういうときはインターネットの出番です。ネット通販で安い商品を探します。すると、海外の通販で「安価で高品質」という評判のプロテインを見つけました。さすがプロテイン先進国です。アメリカのロサンゼルスから直輸入で「10キロ2万4千円(輸送費込み)」でした。「ザバス」を同じ10キロ分買えば5万円になりますから半額以下です。日本語のホームページはわかりやすく、商品のラインナップも豊富です。「日本ボディビル・フィットネス連盟の公式スポンサー」という表記もあります。とはいえ海外からのネット購入です。正直なところ「恐る恐る」でしたが、手続きはスムース、配送は迅速でした。しかし、届いたプロテインを見て驚きました。どでかい••••のです。大容量の方が単価が安い。それだけの理由で「10キロパック」を注文しましたが、こんなに大きいとは思っていませんでした。ドラム缶とは言いませんが、「丸いす」くらいの大きさです。キッチンに置く場所がないので、パソコンのあるデスクの脇に置いて座布団を敷き、本当にいす代わりにしました。しかし、この「大きさ」こそが、後に「第1の心がけ」のきっかけになるのです。

むしろ「美味しい」プロテインシェイク○やっぱり筋トレは続かない。ところが・・・。大きな容れ物に入っていると消費量が増える。おそらくそれは経済行動の基本原則です。私のプロテイン摂取量はこの「いすのような容れ物」のおかげで自然に増えました。とにかく「もったいない」という感覚がなくなります。メガ盛りチャーハンを食べるときの一口になんのためらいもないのと同じです。まったくためらうことなく、もう1カップ、さらに2カップと溶かすプロテイン量が増えていきました。52キロまで減量してしまった私の体はつねに飢えていました。遺伝子は私に「食べろ、食べろ」と囁いています。このままでは確実にリバウンドする。私はそう思いました。しかし、満腹まで食べる喜びと糖質と脂肪をガッツリいく幸せを思い出した体はもう後戻りできません。私はとりあえず、慢性的な空腹感をプロテインシェイクで満たしておくことにしました。そして、とりあえず溶かす量を2倍にしました。「ザバス」の半値だから「ザバス」の2倍飲んでもお財布への影響は同じ。そんな適当な考え方でした。しかし、すぐに問題が発生しました。牛乳です。牛乳で割ったプロテインシェイクをそんなに飲んでいたら毎日1パック以上の牛乳を一人で飲みきることになります。そこにはお財布的な問題もありましたが、それ以上に困ったのはお腹の問題でした。育ち盛りのこどもじゃあるまいし、そんなに牛乳を飲んだらお腹がゆるくなってしまいます。さらにもう一つ、脂質も問題でした。牛乳には脂肪が含まれています。その量はたんぱく質以上です。痩せた私の体はその脂肪を蓄えたくてウズウズしています。さあ、困った。どうしたものでしょう?とりあえず、無脂肪乳にしてみる、という方法もあります。しかし、私は思い切って水で溶かすことにしてみました。すると、なんとよく溶けることか!そして、おいしいんです!個人的には牛乳より溶けやすくておいしいと思います。昔のプロテインではこうはいかなかったでしょう。プロテインを多めにして、いちど水でシェイクしたあと、氷を4、5個入れてもういちどシェイクすると、冷たくておいしい完璧なチョコレートシェイクのできあがりです。個人的にチョコ系が大好きです。水で溶かすからこそプロテイン多めのねっとりとしたシェイク感が活きてきます。この「美味しさ」と「容れ物の大きさ」がダブルで効いたため「プロテイン過剰摂取ダイエット法」が誕生しました。長い名前なので言い換えましょう。「プロテイン・ハイパー・チャージ・ダイエット」もっと長くなっちゃいました。

水でシェイクすることにしたら、お財布、お腹、脂肪の問題が全部いっぺんに解決しました。そして、「あべこべ体操」がいつの間にか「自由体操」という心がけになっていたように、プロテインを毎日多めに飲むこともいつの間にか心がけになっていました。「第2の心がけ」知らないうちに心がけながら、「第1の心がけ」もいつの間にか始まっていました。私たちが購入できるプロテインの種類はここ数年で一気に増えました。国内大手でメジャーな商品はすでに触れたとおり明治の「ザバス」です。主力の「ホエイプロテイン100」の希望小売価格は1050グラムで5150円(税別)です。ちなみに、通販サイトでの実売価格はココア味が4000円前後です。国内の商品で安くて人気なのはネット販売中心の「ビーレジェンド」です。チョコ風味は1キロで3100円(税込)、ミルク風味はなんと1キロで2600円(税込)です。ちなみに、私が愛飲しているプロテインは「LANUTRUTION」の「LIVEWHEY(ライブホエイ)」です。価格は240ドル(送料込み)+9.50ドル(手数料)です。プロテインの価格がここまで安くなると、他の食品からたんぱく質を摂取するよりお得です。ライバルは高たんぱく・低脂肪でダイエッターに人気の「鶏ささみ」ですが、100グラムのたんぱく質を摂取しようと思ったら、「鶏ささみ」を500グラム食べなければいけません。私が愛飲するプロテインより安価であるには100グラム50円以下となりますが、これはかなりの特売価格です。なにより、500グラムの「鶏ささみ」を一人で食べきること自体がかなり難しいはずです。本書の冒頭で、私は以下のように申し上げました。「お金も不要」とは言えませんが、考えようによっては「得をする」とも言えます。そのわけはこういうことだったのです。というわけで、「第1の心がけ」はお財布にも体にもやさしい健康法なのです。この頃の私はもう昔の私ではありませんでした。「第1の心がけ」の効果がすでにハッキリ現れていました。「めんどくさい」が減って、代わりに「やる気」が出てきたのです。そうです。ダイエットの敵とも言える、あの厄介な「やる気」です。「プロテインを飲むだけではマッチョにはならない。ハードな筋トレをしなければ筋肉量は増やせない」と思っていた私は一念発起しました。

「せっかくプロテインを大量に摂取するんだったら、筋トレをしよう」MOTTAINAI(もったいない)の発想です。体内のプロテインを無駄にしてはMOTTAINAIじゃないですか。そうは言うものの、運動嫌いに変わりはありません。もちろん、ジムなんか絶対行きたくありません。さて、どうしましょう?こういうときに頼れるのはやはり通販です(笑)できるだけ少ない運動量で効果的に筋肉を付けたい。そういう願いを叶えてくれそうな•••••商品はネット通販にたくさんあります。早速パソコンで検索すると「シェイクウェイト」という運動器具が目に留まりました。こちらがその「シェイクウェイト」です。ダンベルのような形をしていますがプラスティック製なのでたいして重くはありません。持ち上げるのはかんたんです。つまり、ダンベルとして使うものではないのです。「本体の中心を両手で握って、胸の前で前後に振る」

これが「シェイクウェイト」の使い方です。早速やってみたら、30秒もできません。腕や胸にかかる負荷は予想以上です。効果は期待以上、かもしれません。これを続けることができたら、上半身はかなりマッチョになる、かもしれません。しかし、続けられませんでした。買って3日目にソファの下に置いたのが運の尽き。目に付かなくなったらいつの間にか買ったことさえ忘れていました。これがホントの三日坊主です。私の「一念発起」は一瞬のうちに消えてなくなったのです。

知らないうちに筋肉増強した驚きの理由○プロテインシェイクは「飲むだけ」ではなかった!ところがです。いつの間にか上半身に筋肉が付いてるではありませんか。「シェイクウェイト」は相変わらずソファの下に放置されていましたが、気がつくと細マッチョになっていたのです。第1の心がけは、プロテインシェイクを飲む。第2の心がけは、とにかく自由に体を動かす。この「2つだけの心がけ」であの貧相だった体は冒頭の写真のように変わりました。プロテインシェイクで摂取した大量のたんぱく質の大部分が上半身の筋肉増量とその維持に使われ、余った分は毛髪、爪、皮膚、内臓などの修復に使われている。その実感は確かでした。そして、筋肉の増量は体重体組成計により明らかでした。他にはなにもしていません。この2つだけを心がけるようになってから1年後の2014年の夏には、私の体はもう冒頭の写真と変わらぬ体型に変わっていました。現在はさらに2年が経っています。「2つだけの心がけ」を心がけているだけで、体重と体型はびっくりするほど変わりません。健康状態もきわめて良好です。50歳を過ぎたのに肉体の衰えを感じないどころか、少しずつよくなっている実感があります。いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かす。その効果は予想以上でした。しかし、プロテインシェイクを大量に飲んだだけで上半身の筋肉が増えたことはさすがに想定外でした。筋肉は強い負荷をかけないと大きくはならないはずだからです。だから、人々は肉体改造のために日夜筋トレをするのです。私は自由体操で体をよく動かしていますから、生活に必要な最低限の筋肉が維持されるのは分かります。それは想定内です。しかし、胸や肩や二の腕の筋肉は明らかに大きくなっています。しかし、私は本当にプロテインをたくさん飲んでいるだけです。これが本当なら(本当ですが)、世の中からスポーツジムが消えてなくなるかもしれません。

私は自分でも知らないうちに筋トレをしていたのでしょうか?やはりボケちゃったのでしょうか?私は思わず首を傾げました。しかし、こんどは私の「?」も「!」には変わりません。首を傾げつつ私はいつものように食前プロテインシェイクの用意をしていました。まずはシェーカーに水を少し入れます。次にプロテインを入れ、その上からもう一度水を注ぎます。(こうすると、底にもふたにも粉末は残りません)それからふたをしてシェイクします。30秒くらい振るとプロテインの粉末はすっかり溶けます。ここでいちどふたを開けて氷を4、5個入れ、さらに30秒ほどシェイクします。あとで氷を入れるのが「ダマ」を作らずになめらかに仕上げるコツです。これで冷たくておいしいプロテインシェイクのできあがりです。そのときです。私の「?」は「!」に変わりました。こちらをご覧下さい。なにかお気づきになりませんか?そうなんです。この動きはあの「シェイクウェイト」とまったく同じです。この器具の名前はまさしく「シェイク••••ウェイト」だったのです。

「シェイク•••ウェイト」は続けられませんでしたが、食前プロテインシェイク••••は続けています。プロテインシェイクを1日2、3回飲み続けた結果、私はいつの間にか「シェイクウェイト」と同じ筋トレを1日2、3セットすることになっていました。しかも「30秒振って、氷を入れるために15秒くらい休んで、また30秒振る」は「シェイクウェイト」付属の説明書に記載された「理想的な1セット」だったのです。それに気づいて以来、私はもう少し力を込めてプロテインをシェイク••••するように心がけています。その結果、私の現在の肉体はもう少し筋肉増強されています。私はまったくの偶然から、いつの間にか「食前プロテインシェイク」(または「プロテイン・ハイパー・チャージ」)と「自由体操」を心がけていました。その動作は軽い筋トレと同じ働きをし、筋肉の材料は豊富に供給されていました。その結果、およそ1年かけて12キロほど減量して貧弱になった体は、また1年かけて8キロほど増量しました。その後は現在に至るまで、私の健康と体型はとても良好な状態でキープされています。つまり、完全にリバウンドをしていない、ということです。

「筋肉量減少」という名の恐ろしい病気○「2つだけの心がけ」も「ジム通い」も、止めたら元の体に戻る。しかし、みなさんは偶然に頼る必要はありません。「2つだけ」の効果はすでに明らかです。明日から2つだけを心がければ、必然的に健康も体型も改善されていきます。そして、自分にとってベストな状態に収まっていきます。焦ってはいけません。時間は充分にかけて下さい。無理はいけません。続かなくなります。そのうち、やる気なんかなくても、腕立て伏せや、腹筋くらい平気でできるようになります。やりたくなったら自由にやって下さい。1回でもいいんです。やらないよりはましです。私は筋トレが嫌いなのでいまだにやっていませんが、それでも写真の通り、いえ写真よりさらにがっしりした体型です。あの写真は最低限のサンプルと言っても良いでしょう。私よりやれば、私より体型は変わります。やるのは「運動」でなくていいのです。「運動」なんかしなくていいのです。「シェイクするだけで筋肉なんか付くもんか」そうおっしゃる方もいるでしょう。でも、付くんです。逆に言うと、毎日のように••••シェーカーを一生懸命振らなければ筋肉は付きません。腕が太くなると困る人は軽く振ってください。力を入れて振れば筋肉は付き、力を入れなければ筋肉は付きません。そういえば、お太りになっているバーテンダーさんも、ムキムキのバーテンダーさんも、あまりお見かけしません。毎日でなくていいのです。毎日のように••••、でいいのです。プロテインシェイクを飲まない日、シェーカーを振らない日があっても全然かまいません。完璧にやらないのが長く続ける秘訣です。だからこそ「心がけ」なのです。でも、1週間に1度もシェーカーを振らず、プロテインも飲まないと筋肉は早くも減り始めます。あるとき、1週間の旅行から帰った私はそれを実感しました。ほんの少しですが、気づきました。プロテインシェイクを作らず飲まない1週間によって、私は「たったこれだけ」のことがいかに肉体を維持しているのかを思い知らされました。それからは、長い旅行の際はプロテインとシェーカーを持って行くように心がけています。

私の体型は「2つだけの心がけ」によって維持されています。逆に言えば、心がけを怠ればこの体型は失われます。でも、「2つだけの心がけ」なら努力が不要です。「続けよう」という気持ちさえ不要です。楽だからこその「心がけ」です。私はこれからもなんの苦労もなくこの体型を維持し続けることでしょう。一方、スポーツジムに通うことによって作られた肉体は、ジム通いを止めたときから失われ始めます。そして「ジム通いを止める」理由は誰にも山ほどあります。読者のみなさんはもうお気づきだと思いますが、私は「2つだけの心がけ」のうち「第2の心がけ」の方から先に始めていました。そして、不健康な人体実験のせいで肉体は一度、痩せ衰えてしまいました。その肉体を回復させるため、私はやむを得ず「第1の心がけ」を始めました。みなさんはあんなつらい思いをする必要はありません。2つの心がけを同時に行えば、苦労も努力もなしに、体は若返っていきます。無理なダイエットはいけません。医師が勧めるダイエットのペースは「1年で10キロ減」です。慌ててはいけません。急がば回れです。ダイエットで大切なのは無理をせず、リバウンドさせないことです。「第1の心がけ」の食前プロテインシェイクは通常食を制限すればするほど、ダイエット効果は高まります。「第2の心がけ」の自由体操もすればするほどカロリー消費が増します。やる気になれば「2つだけの心がけ」だけで急激なダイエットも可能です。しかし、やる気はいつか必ずなくなります。やる気が失せればリバウンドが始まってしまいます。ですから、どうかやる気は出さないでください。「2つだけの心がけ」の直接の効果は柔軟性向上と筋肉増強です。都合のいいことに、その結果「やわらかい筋肉」が増えます。すると、新陳代謝が上がり健康が改善します。すでに触れたとおり、筋肉は内臓や脳とともに大量のエネルギーを消費している臓器で、肝臓と同様に「糖代謝臓器」と呼ばれています。筋肉は運動するためだけの器官ではありません。それほどに重要な筋肉が減少すれば当然病気になります。じつは「筋肉量減少」には「サルコペニア」というれっきとした病名が付いています。運動不足は着実に筋肉量を減少させるので、若い頃からの運動不足人は高齢になったとき、運動習慣者と比べてかなり多くの筋肉を失っています。「サルコペニア」の診断基準は「筋肉量」だけでなく、「筋力」や「筋肉機能」の低下も含まれるため、筋肉量の減少だけで「病気」だと診断されるわけではありません。しかし、人より多くの筋肉を失えば、歩行困難や生活困難、最悪の場合「寝たきり」になる可能性は確実に高まります。つまり、ロコモのリスクが高まるのです。「2つだけの心がけ」の目的は健康寿命を延ばすことです。厚生労働省研究班は「筋肉量が少ない高齢の男性は死亡率が約2倍に上がる」という調査結果をまとめています。「たんぱく質の過剰摂取は腎臓や肝臓に負担をかける」一般的にはそう言われています。肉や魚ばかりたくさん食べるのも、プロテインを飲み過ぎるのも、体にはよくない。それはそうでしょう。「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言うように、物事には「適当」な加減があります。世の中には健康に悪いと言われることは山ほどあります。喫煙、飲酒、ストレス、紫外線・・・。最近では糖質を摂り過ぎることも、摂らな過ぎることも人体に悪影響があると指摘されています。そこにもやはり「適当」な範囲があります。しかし、顧みれば私は若い頃からかなりお酒を飲んでいます。急性アルコール中毒で病院に担ぎ込まれたこともあります。あるいは、仕事でストレスを抱えてうつ病になり長期間入院したこともあります。そんなことに比べたら、たんぱく質の過剰摂取なんてたいしたことはない。それが私の「個人的感想」です。「過ぎたる」と言っても高が知れています。この1年は1日平均120グラム以上のプロテインを飲んでいます。これは厚労省公表の基準値の2倍以上ですが、肝機能の数値はこの1年でわずかに改善しています。ちなみに、人間ドックの検査結果はここ数年ずっと良好です。

 

運動不足の恐ろしい正体

運動に「やる気」は要らない○どうしてこんなに「運動」はめんどくさいのか?若い頃からの不摂生を反省し、40歳の頃からは人間ドックの定期的な受診を心がけていますが、血液検査や尿検査で基準値を大きく超える数値が出たことはこれまでに一度もありません。つまり、客観的な数値はずっと「異常なし」だった、わけです。しかし、主観的にはずっとだるかったのです。そして、これまた主観的には、だるいことを「異常」だと思っていなかったのです。なぜなら、もういい歳•••だからです。辞書によれば、「初老」とは40歳以上のことだそうです。しかし、そのだるさは歳のせいなんかではありませんでした。原因は運動不足です。しかし、運動不足というのはほとんど主観の問題です。「週1回1時間以上の運動をしていますか?」「いいえ」「ならば、あなたは運動不足です」運動不足とはそんなふうに判断できるものではありません。「週1回1時間以上の運動」=スポーツ的なこと、なんかまったくしていなくても、生活の中で「運動」が足りている人はたくさんいます。問題は「なにをしているか?」ではなく「どう感じているか?」です。「感じ」は主観です。主観は測定できません。測定できないものは自己申告するしかありません。しかし、難しく考えることありません。「運動不足でだるい」と言うだけです。私は人間ドックの問診で、医師とこんなやりとりをしたことがあります。「ふだんの健康で気になることはなにかありますか?」「運動不足でだるいのですが、どうしたらいいですか?」「そうですね。運動するしかないですね」私は苦笑するしかありませんでした。「だるさを伴う運動不足」につける薬はない。医師はそう言いたかったのでしょう。

運動不足はいまや、日本人だけでなく世界中の人たちにとって非常に深刻な問題になっています。WHO(世界保健機関)も運動不足を地球規模の社会問題だと重く捉えています。WHOは、かつて「高血圧」「喫煙」「高血糖」を「3大死亡リスク」に挙げていました。しかし、現在では「運動不足」と「過体重や肥満」が追加されて「5大死亡リスク」と言われています。しかし、どうしてこんなに世界中の人が運動不足になるのでしょう?大きく分けて理由は2つあります。一つは近代文明の発達です。特に、生活インフラの整備、交通手段の発達、そして、電化製品の普及です。それらは日常生活を便利にします。日常生活が便利になる、ということは、移動や家事などで肉体を酷使する場面が減る、ということです。その流れは止めようがありませんし、止める必要もありません。人間が運動不足に「なりやすい」社会を築くのは歴史の必然です。これは仕方ありません。もう一つの理由は「めんどくさい」です。運動するのがめんどくさいから運動不足になるのです。当たり前といえば当たり前ですが、これはなんとかなります。解決法はとてもかんたんです。「めんどくさい」ことはしなければいいのです。「めんどくさくない••こと」だけをすればいいわけです。先に触れたとおり、人が「めんどくさい」と感じる理由には肉体的なものと精神的なものがあります。いまするべき日常生活動作が「めんどくさい」と感じられるのは体がなまっていて素早く動き出せないからです。その原因は「だるさ」です。「だるさ」は肉体的なトラブルであり「第2の心がけ」で体を動かせば解消できます。しかし、日常生活動作ではない「運動」、つまり、スポーツなどをするのがめんどくさいと感じるとき、その「運動」はいまするべき必要性がありません。それどころか、むしろそんな運動はしなくてもいいのです。運動不足のままでもかまいません。運動なんてしなくても生きていけます。それなのに、「運動」という言葉を聞くだけでめんどくさいのです。それは気持ちの問題です。それはほとんど条件反射です。運動不足の大きな原因は「運動」という言葉に対する拒絶反応です。「運動しましょう」と誘われたとき、「いえいえ、私は・・・」などと口ごもって後ずさりする人は「運動」という言葉に強い抵抗感を持っています。厚労省はこれまでしきりに「運動しましょう」と国民を誘ってきましたが、その成果は芳しくありませんでした。厚労省は平成23年にこんな発表をしています。「行動に移せない人々に対するアプローチを行う必要がある。具体的には、個人の置かれている環境(地理的・インフラ的・社会経済的)や地域・職場における社会支援の改善等が挙げられる」

ここで言う「行動に移せない人々」こそ「運動」と聞いただけでめんどくさく感じる人々です。しかし、「行動に移せない人々」にどれだけ環境を整備してあげても無駄です。スポーツセンターが自分の家の隣にできても、やる気にならなければ行きません。「やる気にならなければ、なにもはじまらない」のです。そのためにはまず、「やる気にならなければ、なにもはじまらない」という、この「常識」をもう一度打ち破っておく必要があります。前章で触れたとおり、運動に「やる気」は不要です。やる気を出してはじめたものは、やる気がないと続きません。運動に限らずどんなことでも、なにかを「しよう」と思ったら、私たちは多かれ少なかれやる気を出します。やる気はしばらく出るでしょうが、遅かれ早かれ出ない日がやって来ます。やる気は、密林の奥の聖なる泉のようにこんこんと湧き続けるものではありません。風邪をひいた、天気が悪い、寒い、暑い、忙しい、飽きた、飲み過ぎた、ただなんとなくやる気が出ない。理由は山ほど考えられます。ある日、その日はやって来ます。その日は、「とりあえずお休み」になります。しかし、この「とりあえず」は「終わりのはじまり」です。やる気を出してはじめたものは必ずそうやって終わります。私はやる気を出して「あべこべ体操」をはじめましたが、やり方を覚えられないことがきっかけで、やる気が出なくなり続けられなくなりました。ところが、やる気がなくても続けられる「自由体操」をいつのまにかはじめて、知らずに続けていました。私は「自由体操をしている」とは思っていませんでした。私はただ、毎日少しずつ適当に体を動かしていただけです。やる気を出さず、はじめず、続けませんでした。続けていないものはやめられません。はじめなければ終わりません。村上春樹さんは「走ることについて語るときに僕の語ること」のなかで「走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはある」と語られています。でも、自由体操にはやめるための理由がスプーン一杯分もありません。だから、いつも三日坊主だった私がいまもやめていないのです。

自由体操は「かっぱえびせん」です。やめられない、止まらない、です。「習った」ものはめんどくさい○こどもたちは自由に体を動かしている。しかし、大人になると・・・私たちが「運動」をはじめる際に「やる気」を必要とするのは、「運動」が「めんどくさい」からです。「運動」が「めんどくさい」のは「習ったから」です。「運動は習ったとおりにやらないと効かない」私たちの深層心理にはそんな固定観念があります。学校の授業の科目には「体育」があります。体育の授業では先生から「運動」のやり方•••を習います。学校を卒業した後も、ひまとお金と「やる気」さえあれば大人は「運動」を習います。大人にとって「運動」は自由にできるものではありません。それは「習うもの」です。習えば習ったとおりに行います。自己流でいいものをわざわざ習う人はいませんし、自己流でいいものをわざわざ教える人もいません。習ったものは習ったとおりにやらないと効かない。それは大人だけの常識です。この常識によって大人は運動の自由を奪われています。しかし、こどもたちは自由です。「たいいくってなに?」私の娘は、小学校に入学したとき、私にそう尋ねました。「学校の授業で運動のやり方を習う時間のことだよ」私はそう答えました。「ふーん」と言う娘はまったく納得していない様子でした。運動をどうしてわざわざ習わないといけないのだろう?そんな顔つきでした。自由に体を動かしているこどもにとって運動は習うものではありません。自由だからあれだけ体を動かしているのです。それが肉体を発育させ、心身を成長させます。今年3年生になった娘は、学校で体育を習い、学校以外で水泳とダンスを習っていますが、いまのところまだ毎日自由に体を動かしています。しかし、1年生の頃よりその自由度はやや狭まってきました。幼い頃のめちゃくささ••••••は確実に減ってきています。

私たちもこどもの頃は自由でした。でも、大人になるにつれて自由でなくなっていきました。しかし、それは教育のせいだけではありません。学校教育を受けない野生の動物でも同じことは起きています。動物も、幼獣はじゃれつき、成獣は落ち着きます。このちがいは、成長ホルモンの分泌量のちがいです。成長ホルモンが多いと体は勝手に動きます。じっとしていられないのです。しかし、成長ホルモンが減ると体は勝手に動かなくなります。これは加齢による生理現象であり避けることはできません。成長ホルモンは人の健康のすべてに関わっています。特に次のものとは密接な関係があると言われています。疲労回復力、集中力、筋肉量、毛髪量、骨密度、脂肪分解、皮膚の保湿、コラーゲン形成、糖新生、免疫システムの活発化、そして「やる気」。つまり、成長ホルモンが減少すればこれらすべてが減少し、逆に増加すればこれらすべてが維持、増加できる、というわけです。ただ、人の健康を成長ホルモンの分泌量に帰結させてしまうと、詰まるところはいわゆる「ホルモン注射」のような解決法に行き着いてしまいます。たしかに、それも一つの手段かもしれませんが、「2つだけの心がけ」でも成長ホルモンの増加に匹敵するほど充分な健康改善を図ることができます。こどもは成長ホルモンによって無意識に体を動かしています。こどもは全身を発育させるためにすべての筋肉と関節をまんべんなく動かしています。だから、変な動きをするのです。変な顔もしますね。変顔をするときは表情筋が成長しているのです。笑顔もそうです。グリコのCMでは【子どもは1日平均400回笑う】【大人になると15回に減る】という「トリビア」が出てきます。寝相もそうです。こどもは眠っているときでも体を動かしています。だから、寝相が悪いのです。寝る子は育つ、と言いますが、成長ホルモンの分泌は睡眠中に最も活発になります。こどもはうれしいとき楽しいときによく跳ねます。跳ねる動きは骨に刺激を与え、骨の伸長を促すと言われています。中高年の骨密度改善にも効果があると言われていますが、大人は宝くじが当たっても跳ねたりはしません。こどもは、昼も夜も、顔も体も、いつでもぜんぶの筋肉を動かしたいのです。いえ、いつの間にか動かしています。

大人がそれをすると、それは自由体操になります。こどもたちは成長のために無意識に自由体操を行っています。しかし、大人になると私たちは自由体操をしなくなります。じっとしていなさい、と親に怒られ続けたからではありません。時代背景も関係ありません。肉体が完成するにつれて成長ホルモンの分泌が減少し、体を動かしたいという衝動がなくなったからです。霊長類の長も、百獣の王も、大人になれば活発な運動をしなくなります。高校までは部活に励み盛んにスポーツをしていたのに、大学に入るとやめてしまう。そんな人が多いのは成長ホルモンの分泌のピークが思春期にあるからです。思春期は18歳頃に終わります。18歳頃から運動欲はがくんと減り、代わって金銭欲や物欲、性欲といった欲望が強くなります。成長ホルモンが減り始めたため、それら他の欲の重要性が相対的に高まってくるのです。

「運動」という言葉のイメージ○「せっかく」と「もったいない」が私たちを運動不足にしている。豊富な成長ホルモンが勝手に体を動かしていたおかげでこどもたちはなにも考えずに体を動かしていました。しかし成長ホルモンが減少した大人は「理由」がなくては体を動かせません。体を動かし続ける大人には体を動かす明確な理由があります。彼らには必ず目的があります。プロのアスリートたちには「勝利」や「名誉」だけでなく「金銭」という目的もあります。生活がかかっているのです。それなら「やる気」も出続けるというものです。しかし、ただの中高年には運動をする明確な理由はありません。だから、運動しないのです。やがて、ただの中高年は立派な「運動不足人」になっていきます。そんな運動不足人も体調が悪くなったり体重が増えたりすると急に運動しよう(かな)と思います。そこには運動する「理由」が生じているからです。そこにはすでに「健康」や「ダイエット」といった目的が生まれています。しかし、病気ではなくただなんとなくだるいとか、お腹は出てるけどぎりぎりメタボじゃない、としたらどうでしょう?大人はなにかと忙しいし、運動するのはめんどくさいです。そして、別に運動なんかしなくても生きてはいけます。だったら、運動しない。これまでの常識ではそれが当然の答えです。運動する明確な理由がない限り、運動は「めんどくさい」ままです。この「めんどくさい」は、だるくて動き出せないときのあの「めんどくさい」とは原因が異なります。その原因は精神的なものです。肉体的にはなんの問題もない、つまり、体がだるくない人にとっても「運動」は「めんどくさい」ものなのです。原因は「運動」という「言葉」にあります。運動不足人は「運動」という言葉が頭に浮かんだだけでもう「めんどくさい」のです。「映画」という言葉が頭に浮かんだだけで「めんどくさい」と感じる人はあまりいません。しかし、「旅行」という言葉が頭に浮かんだだけで「めんどくさい」と感じる人は多くいるはずです。そういう人は過去の「旅行」で実際にめんどくさい経験をしています。繰り返しになりますが、「運動」がめんどくさい理由は「習った」からです。

私たちは深層心理でこう思っています。「せっかく••••運動するのならできるだけ効果的に運動しないともったいない••••••」人によってはハッキリ意識してそう思っています。そう思うとき、最も効果的な運動方法はプロに習うことです。自己流で運動するなんて時間の無駄です。時間を無駄にしたらもったいない••••••ため、私たちは「先生」と呼ばれる人から運動を習おうとします。ジムやヨガスタジオに行って、または本やDVDを買ってきて、あるいはテレビを見ながら、「先生」から運動を習います。そして、まじめに、習ったとおりに、運動しようと「努力」をはじめます。「努力」はそもそもめんどくさいことです。つまり、「運動」という言葉を聞くと、「運動」→「習う」→「習ったとおりに行う」→「努力する」→「めんどくさい」という連想の方程式が一瞬のうちに成り立ってしまいます。広辞苑によれば、せっかく【折角】は「わざわざすること」「困難」とあります。私たちは「せっかく••••」と思った時点ですでに「わざわざ」→「ああ、めんどくさい」と感じています。しかし、自由体操には「せっかく」がありません。自由体操は努力不要です。いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かすだけです。さらに自由に体を動かすために「もったいない」も取り除いてしまいましょう。そんなのかんたんです。「もったいなくない」と思えばいいだけです。「無駄」を受け入れればいいのです。そのためには、こどものように体を動かせばいいのです。保育園から帰ってきて洗面所で踊っているこどもを見たら、大人は言います。「そんなことしてないで、はやくおててをあらって」「はーい」と答えて手を洗ったこどもが、こんどは「変顔」をしています。それを見てまた大人は言います。「いたずらしてないで、はやくおててをふいて」広辞苑によれば、むだ【無駄】は「役に立たないこと。益のないこと」とあります。そして、「むだ」は一文字で【徒】とも書き、【徒】は「いたずら」とも読みます。いたずら【悪戯】は当て字です。「いたずら」は本来「悪ふざけ」ではありません。そして、こどもの「悪ふざけ」は無駄ではありません。たとえば、こどもの悪ふざけの代表とも言える「スカートめくり」は男子が好きな女子とコミュニケーションを取る重要なツールです。絶対に無駄ではありません。「MOTTAINAI」が国際語になるほど日本の大人は無駄を省きたいのです。しかし、老化する大人の行動基準を成長するこどもに当てはめるのは大きな間違いです。大人の行動基準は多種多様です。信念、義理、打算、見栄、物欲、名誉、欺瞞、情欲・・・。人によって、状況によって、いくつもの行動基準が複雑に絡み合います。でも、こどもの行動基準はきわめて単純です。それは「動かしたい」です。こどもを見ていればそれがよく分かります。こどもの行動も多種多様です。やたらめったら、いろんなことをやっていて、おまけにその行動は瞬時に切り替わります。前後の脈絡がないので、大人にはその瞬間になぜ行動が変わったのか、その理由が理解できません。この脈絡のなさがこどもの行動をさらに「無駄」に見せています。大人は、脈絡のないことをしません。大人は、自分がしないことを他人がすると、それが無駄に見えます。たとえば、たばこを吸わない人にとって、他人の喫煙は「無駄」に見えます。そして、他人の無駄は「やめさせたい」「正したい」対象になります。だから、世界中で、国家、宗教、人種、民族は、対立するのです。一方、こどもたちは、自分がしないことを他人がしたからといって、それを無駄とは受け取りません。自分もやりたいとは思いますが、それを排除したり禁止したりはしません。よい子がいたずらっ子の「いけないこと」を止めさせることはありますが、その多くは大人のまねです。大人びた子ほど、他人を制止します。こどもは共有や挑戦から新しいことを学び、成長します。大人には無駄に見える「いたずら」をしているこどもほど、多様性や柔軟性を身につけます。こどもは新しいことや異質なものをスポンジのように吸収します。このスポンジのような「やわらかさ」が活発な成長を支えています。一方、大人の頭は石のように固まっています。「やわらかさ」の源である「無駄」をできるだけ省いてきた結果、肉体的にも精神的にもガッチガチに固まってしまったのです。頑固オヤジほど「そんなこと無駄だよ」と言いたがります。ヒトは本来、ある程度の無駄を許容する動物でした。原始人が無駄を省いていたら、ヒトはこんなに進化してはいません。原始人の頃からずっとヒトは「無駄」を恐れず、新しいことに挑み続けてきました。

原始人のチャレンジ精神を遺伝子に強く受け継ぐ人たちは、現代でも無駄を恐れずに社会を発展させ続けています。だから、ベンチャー精神溢れる人たちほど、やんちゃだとか、こどもっぽいとか言われるのです。「運動」に「お手本通り」のイメージがなければ、私たちはもっと運動できるはずです。運動が呼吸のように無意識にできたら、鼻歌のように自然にできたら、こどもの遊びのように自由にできたら、私たちはもっと体を動せるはずです。しかし、動かせないのです。なぜなら「運動」は「習うもの」ですし「習ったとおりに動かさなければいけない」からです。あなたがそう思い込んでいるからです。運動しようと決意するときの「さあ、やろう」は、省略なしで言うと「さあ、習ったとおりに•••••••、やろう」です。この「習ったとおり」が「めんどくさい」のです。もっとめんどくさいのは「習いに行こう」です。いつ、どこに、なにを習いに行こう?いくらかかるだろう?インストラクターはどんな人だろう?他にどんな生徒がいるだろう?そんなこと考えていたらいつまで経っても「運動」なんて始められません。そんなこと考えているのこそ無駄です。考えていたらなにも始まらないどころか、どんどん固まっていきます。「It’sbetterwearoutthanrustout.」これはイギリスのことわざです。直訳すると「さびつくより、すりきれる方がまし」です。意訳すれば「じっとしていないで、とにかく動け」といったところでしょう。習ったとおりにしなくていいんです。習いに行かなくていいんです。いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かす。それでいいんです。

人間も動くからこそ「動物」○「自由」は意外と難しい。自由に体を動かす。しかし、じつはそれは言うほどかんたんではありません。なぜならそこには、「自由」という名の意外と高いハードルがあるからです。では、実際にやってみましょう。「自由に体を動かしてください」いかがですか?すぐに体を動かせましたか?もしかして、動かせなかったんじゃないですか?そうなんです。私たち日本人は「自由に」と言われると、逆に困ってしまいます。日本人は、習ったとおりにするのは得意ですが、勝手にするのは苦手です。日本人には「お手本がある方がいい」のです。極東の島国である日本は歴史上つねに世界から遅れがちでした。そこで、手っ取り早く異国に追いつくため、日本人は古来より「まね」を得意としてきました。石器時代も平安時代もそうでしたが、特に明治維新期と昭和の高度経済成長期は模倣によって世界との格差を縮めました。勤勉な日本人は海外の進んだ技術を「お手本」にしてその通りにまねをしてきました。そのおかげで、日本はあっという間に世界に追いつき、追い越したのです。日本人はまねが得意であるからこそ、自由が苦手なのです。勤勉でまじめな日本人は「自由」という言葉から「自分勝手」や「わがまま」を連想し、自由を敬遠します。独自やオリジナルはさほど重視されず、命令や他人に従うことが良しとされます。たしかに、自由には重みがあります。ときには、自由は苦痛です。「人間は自由という刑に処せられている」これは、フランスの哲学者サルトルの言葉です。サルトルは「人間の自由な行動選択は全人類を巻き込むもので、自分自身の責任が問われる」と説いています。

しかし、自由体操はそんなたいそうなものじゃありません。私たちがいくら「自由に」身体を動かしても全人類なんか巻き込みません。「自由に」と言われてすぐに体を動かせない人は、自由に怯えているのではありません。こどもの頃を思い出せていないだけです。だって、こどもの頃は自由に体を動かしていましたから。「難しい話はよく分からないけど、とにかくお手本が欲しいのよ」そうおっしゃる方には最高のお手本があります。それは「こどものように」です。これこそ、魔法の言葉です。では、このひと言を添えてもう一度やってみましょう。「こどものように自由に体を動かしてください」いかがですか?こんどはさっきよりもすんなり体が動き出したのではないでしょうか。それが、自由体操です。それは、こども体操です。どこをどう動かそうか?そんなこといちいち考える必要はありません。なにしろ、どうだっていいのです。とにかく自由なのです。「あなたは自由ですか?」現代社会でこの質問に「はい、自由です」と即答できる人はそう多くいません。サラリーマンはもちろん、自由業と呼ばれる仕事でさえ「不自由」はつきものです。学校、職場、公共の場、あるいは仲間内でも家庭でも、人間が二人以上いればそこには多かれ少なかれ不自由が生まれます。そんな不自由な私たちにも、誰もが必ず持っている自由があります。それこそが「身体の自由」です。私たちは日本国憲法によって「身体の自由」を保障されています。それは日本国民すべてが有する権利であり、侵害すれば罪に問われます。他人の「身体の自由」を奪えば「逮捕・監禁罪」という重大犯罪になり、刑法によって「3ヶ月以上7年以下の懲役」が科せられます。この「懲役」や、あるいは「禁固」という刑は、逆に「身体の自由」を奪われる刑罰です。このような「行動の自由を禁止する」、あるいは「身体を拘束する」刑罰はその名も「自由刑」と呼ばれます。この「自由刑」は、サルトルの言う哲学的な刑ではなく、肉体的にリアルな処罰です。この「自由刑」の中で最も厳しい刑罰は「たつけい磔刑」、つまりはりつけ磔だと言われますが、この刑に処せられた人物で歴史上最も有名なのはイエス・キリたつけいストです。磔刑は人間の両手足を杭に固定することで身体の自由をほぼ完全に奪う刑であり、放置すれば餓死か窒息死をします。その場合は自由刑であると同時に死刑を意味します。しかし、放置されなくても、つまり食事と呼吸が確保されても、はりつけ磔にされればやがて死んでしまうことがある実験によって示されています。二十世紀初め、ストレス研究で知られる医学博士ハンス・セリエは、動物実験によってそれを確かめましはりつけた。セリエは、ネズミを板に磔にしてその様子を観察しました。するとネズミは、はじめ激しく抵抗し、やがて無抵抗になり、食欲がどんどんなくなり、しまいにはなにも食べなくなり、一ヶ月ほどで死んでしまいました。死んだネズミを調べてみると胃潰瘍や免疫力の低下などが起きていたそうです。つまり、ネズミは「動けない」というストレスで死んだのです。動くように生まれついた動物は動けないと死ぬのです。一ヶ月と言わず、数時間でもじっとしていれば死亡リスクが高まります。それが「エコノミー症候群」です。私たち人間も動物です。それは英語も同じです。「動画」のことを英語で「animation(アニメーション)」と言うように、「anim」には「動く」という意味があります。この「anim」に「○○する物」を表す「al」が付いたら「animal(アニマル)」になります。英語の「アニマル」はその名もズバリ「動く物」です。

「運動」ではなく「身体活動」○日常生活の動作を増やす。運動不足人は「運動」という言葉が頭に浮かんだだけで「運動」をしたくなくなります。それほど「運動」という言葉は嫌われています。運動不足人に「運動しましょう」は逆効果です。それに気づいた厚労省は、平成25年3月「健康づくりのための身体活動基準2013(以下、「基準13」)」を公表しました。その冒頭部分は以下のようになっています。1.はじめに(1)健康づくりにおける身体活動の意義身体活動とは、安静にしている状態よりも多くのエネルギーを消費する全ての動作を指す。それは、日常生活における労働、家事、通勤・通学等の「生活活動」と、体力(スポーツ競技に関連する体力と健康に関連する体力を含む)の維持・向上を目的とし、計画的・継続的に実施される「運動」の2つに分けられる。日常の身体活動量を増やすことで、メタボリックシンドロームを含めた循環器疾患・糖尿病・ガンといった生活習慣病の発症及びこれらを原因として死亡に至るリスクや、加齢に伴う生活機能低下(ロコモティブシンドローム及び認知症等)をきたすリスク(以下「生活習慣病等及び生活機能低下のリスク」という。)を下げることができる。加えて運動習慣をもつことで、これらの疾病等に対する予防効果をさらに高めることが期待できる。特に、高齢者においては、積極的に体を動かすことで生活機能低下のリスクを低減させ、自立した生活をより長く送ることができる。この「基準13」はタイトルからして「身体活動基準」です。運動不足解消を目的にしながら「運動」という言葉をできるだけ避けています。そうなんです。「運動」はもう主役ではありません。お役所の文章なので分かりにくいのですが、かんたんに言うとこういうことです。「運動」をしなくても「生活活動」を増やせば「身体活動」が増やせます。

これは、まさに自由体操です。いつもよりていねいにお風呂を洗う。いつもより時間をかけて部屋を掃除する。いままでより頻繁に窓拭きをする。そんなことしなくていいのです。生活活動を増やしなさい、と言われると、すぐに「家事を増やす」と考えがちですが、それはちがいます。もちろん家事を増やせるのならそれに越したことはありませんが、家事はそもそもめんどくさいものです。できるだけ減らしたいものです。だったら、生活活動に自由体操を加えればいいのです。意識せず、適当に加えるのです。それが「加動」です。むしろ意識しない方が身体活動量は増えます。身体活動は自然に・・・・・・増えるものであって、意識して増やすものではありません。意識せずに動かしていると、昨日より今日、今日より明日と、あなたの身体活動量は少しずつ増えてゆき、やがて充分な量に達します。そのとき、あなたは「おっ」と思います。おっ、階段を上っても疲れない。おっ、高いところに手が届く。おっ、深くしゃがめる。おっ、軽く振りむける。おっ、声がよく出る。もはや「おやっ?」ではありません。それは「おっ!」です。「おっ!」と感じたらあなたの体は順調によみがえっています。あなたの体はやわらかくなっています。やる気を出さず、はじめず、続けず、ただ動かしていれば、そのうち「おっ!」が必ず起きます。「第2の心がけ」だけでこの変化は必ず起こります。

運動不足人はあの聞くのも嫌な「運動」をしなくてもいいのです。おもしろいことに「運動」という言葉は英語でも嫌われています。英語圏の運動不足人も「Exercise(エクササイズ)」という言葉が嫌いです。そこで、数年前からWHOは「Exercise」ではなく「PhysicalActivity(身体活動)」を増やしましょう、と言い換えるようになりました。それとともに、「運動不足」も「Lackofexercise」から「PhysicalInactivity」に変わりました。これは日本語では「身体不活動」と訳されています。また、WHOは「運動」以外で日常的に体を動かすことを「ADL(日常生活動作)」と呼んでいます。そして数年前から、ADLを毎日少しずつ増やすことこそが運動不足=身体不活動を解消する近道だと指摘し、毎日の生活の中でこまめに体を動かしていれば、週1回スポーツジムで本格的に汗を流すのと同じかそれ以上の効果があることを公表しています。WHOはさらにこんな提言もしています。労働や通勤や家事など日ごろの体の動きはすべて健康に役立つのですから、とにかくなんでもいいから、体を動かしましょう。これは自由体操のことです。日本にもこのような動きは十年前からありました。「健康づくりのための運動指針2006(以下、「指針06」)」にはこんなことが書いてありました。なにもやらないよりは、わずかでも体を動かしましょう。これも自由体操です。

習わなければ自己流で○「片づけ」と「運動」の決定的なちがい。そもそも、私たちは運動不足にならないためにいったいどのくらい運動しないといけないのでしょうか?「1日1万歩くらいの運動量じゃないですか」そうお答えになる方もいるでしょう。たしかに、厚労省は「指針06」とともに公表した「健康づくりのための運動基準2006」において「1日1万歩」を健康の目安••にしていました。しかし、オフィスワーク中心のサラリーマンが1日に歩く距離はその半分くらいしかありません。外回りの営業マンならまだしも、ふつうに通勤してふつうに事務をしているだけなら、その「目安」はなかなかクリアできません。「1日1万歩くらい歩かないと運動不足なら私は運動不足だ」そう解釈している人は少なくありません。「あなたは運動不足を感じますか?」国民の7~8割がこの質問に「はい」と答える背景には「1日1万歩」という基準があります。しかし、じつは「健康のために必要な運動量」はまだ科学的に立証されていません。すでに触れた「健康日本21」という政策では「週2回以上、1回30分以上、1年以上、運動をしている者」を「運動習慣者」と呼ぶ、としていますが、逆に、どのくらい運動していない人が「運動不足者」なのか?については定義がありません。どれだけ運動不足だと健康が脅かされるのか?この問いには様々な見解と大きな個人差が存在します。運動不足で死ぬことはない、と高を括ることも、安直ですが可能です。運動不足人を続けるのは楽なのです。しかし、先ほど触れたとおり、運動不足は現実には「死亡リスク」です。運動不足は死に至る病私たちはそう肝に銘じるべきです。ところで、「一日一万歩」といい、運動不足解消というとどうしてこうも「歩く」「散歩」「ウォーキング」ばかりが出てくるのでしょう?広辞苑によれば、うんどう【運動】は、「体育・保健のために身体を動かすこと。また、散歩の意」となっています。なんと、「散歩」は運動の代名詞だったのです。

いったい、どうしてでしょう?答えはいたって明解です。散歩は誰でもできるからです。では、どうして散歩は誰でもできるのでしょう?これまた答えはかんたんです。散歩は誰にも「習わない」からです。「習わない」ものは自己流でやるしかありません。自己流でよいなら、誰でもできます。自己流でよいから、誰でも歩けるのです。ところが、いちど習ってしまうと自己流には戻れなくなります。いちど習ったものは、習ったとおりにやりたいからです。ラジオ体操はほとんどの日本人がいちどは習っています。しかし、ラジオ体操をしてください、と言われて、ためらいなく体を動かし出す人はそう多くはいません。正確に覚えていないので、習ったとおりにできません。すると、習ったとおりにできない人はやらないのです。でも、間違っていてもいいですよ、と言われれば、多くの人が鼻歌交じりに腕を前後左右に振るくらいのことはするでしょう。そんなんでいいんです。それが自由体操です。勤勉な日本人は習うのが大好きです。律儀な日本人は習ったとおりにするのが得意です。そのせいで日本人は運動不足になっています。勤勉さと律儀さがいけないのです。勤勉で律儀な運動不足人たちは、運動の「やり方」に縛られて運動を続けられなくなっています。運動は言われたとおりにやらなくてはいけない。私たちの潜在意識にあるこのけなげな「義務感」が運動不足の根本原因です。「義務感」を感じた瞬間、ものごとはなんでもめんどくさくなります。この「義務感」の原体験は学校にあります。物心ついて初めて「○○しなければいけない」という「義務感」を強く認識させられるのは学校です。私たちは学校でさまざまなことを習います。しかしながら、誰もが必要とする知識なのに、なぜか学校では習わないこともあります。たとえば、「片づけ」です。「片づけ」は学校では習いません。じゃあ、親に習うでしょうか?たしかに親は「片づけなさい」とは言います。そればっかり言います。しかし、「こうやって片づけると上手に片づけられますよ」と、「片づけ」を理論的に教えてくれる親はあまりいません。「片づけ」はほとんど誰からも習わないのです。しかし、「片づけ」はしなければいけません。「片づけ」をしなければ部屋は散らかり続け、不便不衛生になり、ついには生活が困難になります。だから、しかたなく、みんな自己流で「片づけ」をするのです。しかし、自己流ではなかなか上手に片づけられません。片づけがめんどくさいのはそこに「義務感」があることと、「旅行」と同じように実体験として、めんどくさい目に遭っているからです。肉体的にも精神的にもめんどくさいのです。片づけは「めんどくさい」の王様です。だから「上手な片づけ方」を教えてくれる本がベストセラーになるのです。一方で「運動」は習います。みんなおおいに習います。習ったせいで運動ができなくなっているというのに、まだ習おうとしています。たしかに、ゲームスポーツであれば、そこには習うことの意義があります。勝ち負けや順位にこだわる「運動」なら、もっと習ってもっと上手になって上位を勝ち取る必要があるからです。しかし、健康のためならただ体を動かすだけでいいのです。やり方なんてどうでもいいのです。習わなくていいのです。先ほど述べたように、片づけはしなければいけませんが、運動はしなくてもいいのです。運動なんかしなくても暮らしに不自由はありません。生活に不便がないなら運動なんてしません。それどころか、健康のためには体を動かさないで休ませる方がいいと感じている人さえいます。それは、「運動不足によるだるさ」と「運動による疲労感」を取りちがえているからです。それは命に関わる恐ろしい「勘ちがい」です。「運動不足によるだるさ」と「運動による疲労感」を混同すると運動不足の悪循環が始まります。だるいから休む。休んでいると運動不足になる。運動不足だとさらにだるくなる。運動して疲れた体は動かさずに休ませなければいけませんが、運動不足でだるい体は動かさなければいけません。だるい体はただ動かせばいいんです。適当でいいんです。運動でなくていいんです。自由体操でいいんです。自由体操でこの悪循環はかんたんに断ち切ることができます。そして、かんたんに逆回転の好循環にできます。

運動不足解消に運動は不要です。いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かす。それだけでいいんです。ところで、「片づけ」と「運動」には決定的なちがいがあります。片づけは他人にしてもらうことができますが、運動は自分にしかできません。

低肥満率による運動不足の増加○「美人薄命」は運動不足による「隠れ糖尿病」のせいか?人間には「食べたい」という欲求があります。その一方で人間は「美しくありたい」「かっこよくいたい」とも願っています。人間は、お腹いっぱい食べたいのですが、太りたくはありません。「太るか痩せるか」は、「食べたい」VS「太りたくない」の対決です。心理学ではこのような対決を「葛藤(コンフリクト)」と呼びますが、日本は世界で例外的に「太りたくない」が勝っている国です。WHOの「GlobalDatabaseonBodyMassIndex」は、最近すっかりお馴染みになった肥満指数「BMI値」の国際比較データですが、それによれば日本の肥満率は世界で最も低いレベルにあり、先進諸国においては異例の低さを誇っています。美しくありたい、かっこよくいたい、という欲の強い日本人は自分の体型に非常に厳しい基準を設けています。欧米人が見たら「とても痩せている」という日本人が「あと5キロ痩せたい」などと平気で言います。日本人の低肥満率の背景には、私たち民族が誇る「節度」があります。「節度」は美意識の表れです。日本人は高い美意識によって低肥満率を保ち続けています。ところが、です。じつは、この超低肥満率が運動不足に拍車をかけているのです。「運動不足を感じますか?」という質問に「はい」と答える人の多くはこう思っています。「はい、運動不足を感じてはいますが、それほど太ってはいないので、運動はしなくてもいいと思います」切羽詰まっていない。深刻さが足りない。本気ではない。だから、運動しない。太っていないから運動しなくていい。古くから「美人薄命」と言いますが、そう安心しているスリムな美人にはもっと恐ろしい死の危険が迫ります。この日本人特有の肥満率の低さは、いま話題の「隠れ糖尿病」の温床になっているのです。肥満と糖尿病には相関性があるので、日本のように肥満率が低ければ糖尿病率も低くなるはずです。しかしながら、IDF(国際糖尿病連合)の「DIABETESATLASUPDATE2012」によれば、日本の糖尿病有病率は先進諸国と同等です。日本は先進諸国の中で例外的に肥満率が低いのに、糖尿病有病率は先進国並みに高いのです。ここで容易に推測されるのは、日本の糖尿病には肥満以外の原因が大きく関わっている、ということです。

このとき真っ先に疑われる原因は運動不足です。糖尿病の原因には、肥満や運動不足の他に、飲酒や喫煙、ストレスなども挙げられます。あるいは、遺伝的要素も大きく関わっていると言われます。ですから、運動すれば糖尿病を予防できるとは軽々に言えません。でも、体を動かして悪いことはありません。いま、美人こそ体を動かしているそうです。いま、モデルさんたちの間では「とにかく体を動かす」という健康法が秘かなブームになっているそうです。それも自由体操です。健康な美人でいたければ、いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、とにかく動かせばいいのです。そうこうしながら体のどこかを動かしましょう。なんでもいいから余計な動きを加えましょう。私たちは寝ている時間以外はなにかしら生活活動をしています。でも、全身を使っているなんてことはまずありません。全身を見回せば体のどこかが必ず暇そうにしています。そこを動かしましょう。どう動かしてもいいのです。少しだけでも動かしましょう。歯を磨きながら、膝の屈伸をする。洗濯ものをたたみながら、腰を回す。風呂掃除をしながら、体側を伸ばす。電車の中で、つま先立ちする。歩きながら、歩幅を広げる。自転車をこぎながら、肩甲骨を寄せる。会議中に腹筋を締める。どこをどう動かしてもかまいません。食事中でも余計な動きは足せます。

背筋を伸ばして、美しい姿勢で食事をすればいいのです。しかし、これはかんたんではありません。スポーツ・インストラクターなんかがテレビでよくそう言ってますが、運動不足人にとって「良い姿勢」は「難易度:高」です。逆に、それがクリアできれば、健康改善効果も高いわけです。無理せず、少しずつやってください。首を回し、肩を上げ、手を曲げ、肩甲骨を寄せ、お腹をへこませ、背中を丸め、腰を回し、足を閉じて曲げ、広げて曲げ、つま先立ちをし、大きく息を吸い、吐き切る。回す、上げる下げる、開く閉じる、曲げる伸ばす、倒す直す、力を込める緩める、吸う吐く。そのくらいなら、いつでもどこでもできます。「そんなことしてたら、落ち着きがないこどもみたいだ、と言われそうです」そうおっしゃる方もいるかもしれません。しかし、それはうれしいほめ言葉です。だとしたら、その人は老化ではなく成長をしていますから。それでも、やっぱり恥ずかしい、と言う人は、他人の目が気にならないときにだけ動きを足してください。たとえば、トイレ。個室の方。そこで足せるのは「用」だけではありません。「用」を足しながら「動き」も足してみてください。腕の上げ下げくらいはできるはずです。でも、そのうち恥ずかしいなんて言っていられなくなります。自由体操の効果を実感したら、じっとしているのがもったいなくなります。他人の目なんて気にしている場合ではなくなります。はじめは1分でも、あっという間に、10分、30分と増えています。自分で「増やす」のではなく、自然に「増える」のです。いつでも、どこでも、少しでも、どう動かしてもよいなら、いくらでもやれます。そのうち自分が体を動かしていることにも気づかなくなります。運動をしているつもりなんかまったくありません。他人が見てもそれが運動だとは思われないでしょう。やがてあなたの体は変わりはじめます。やれば必ず変わります。

そのとき、あなたは思います。これくらいの運動••ならいくらでもできる、と。そのときはじめて、あなたの自由体操はあなたの「運動」になります。「第2の心がけ」が習慣になると、知らず知らず体を動かしています。じっとしていると「おっといけない」と体が自然に動き出します。温泉に浸かって体を休ませるつもりが、いつのまにかどこかしら体を動かしています。じっとしているより、動かした方がだるさが減ることを実感できるからです。条件反射みたいなものです。じっとしていることがもったいなく感じられます。じっとしている方がだるくなることがわかります。しかし、体を少し動かすだけでどうしてこうも体が軽くなるのでしょう?理由はかんたんです。体がやわらかくなるからです。柔軟性が向上するからです。

わずかな動きで劇的な効果○「始める」と「続ける」はダメ!ただ心がけるだけ~Justdoit!この「柔軟性向上」の効果は意外に早く現れますが、意外に少ししか現れません。体がやわらかくなる、と聞いて「ベターっと180度開脚」や「手のひらが床にぺったり」を思い浮かべた人にとっては期待はずれもいいとこです。ところが、です。この期待はずれのわずかな柔軟性アップは期待以上の効果をもたらしてくれます。体が少しやわらかくなると、体は突然変わり始めます。「そんなわずかなこと」が人生を大きく変えてくれます。「蟻の穴から堤も崩れる」です。卵の殻や硬い氷も壊れ出したらもろいのです。きっかけが肝心です。そして、運動不足で体が硬かった人ほどその効果は大きく現れます。「生まれつき体が硬い」と思い込んでいる人こそが一番効く人です。もちろん、性別も年齢も関係ありません。恥ずかしながら私の柔軟性アップも「前屈したとき、指先が床にやっと着くようになった」という程度です。それも、3年以上やって、です。しかし、全身を適当に動かしていると、そんなわずかな変化が全身に及んで、体調はとてもよくなります。だから、驚いてしまいます。「180度開脚」を目指すな、と言っているのではありません。どんなに体が硬い人でも「180度開脚」が必•ず•できる方法なら、私も知っています。それは、どんな方法でもいいので毎日少しずつやる、という方法です。大切なのは「止めない」ことです。自分流でけっこうです。自分でいいと思うとおりやれば、1ヶ月後には必ず柔軟性は向上してます。しかし、その変化は微々たるものです。「180度開脚」の目標は達成できていないはずです。それでもいいのです。目標は達成できなくても、毎日やったという事実はあなたを裏切りません。肉体は必ず応えます。あなたの健康は必ず改善しています。「4週間で」と締め切りを設けるのは、「4週間なら毎日できる」という「やる気」を出させるための口実です。先に述べた「ライザップ」の「2ヶ月メソッド」とまったく同じものです。たった•••4週間なら毎日できる。そう思うはずです。「180度開脚」ができる人はたいていもう何年もやっています。自由体操による柔軟性の向上は、微々たるものです。・・・・しかし、「そんなわずかなこと」で、充分満足できます。・・・・つまり「微々足る」です。そして、「そんなわずかなこと」で、外見も内面もすごく美しくなります。つまり「美々たる」です。・・・・そして、「そんなわずかなこと」で、体は別人のように生き生きとします。つまり「BeVital(活力ある)」です。「そんな都合のいい話があるもんですか」そう思ってじっとしているのもあなたの自由です。しかし、じっとするのは棺桶に入ってからいくらでもできます。以前、某週刊誌の広告にこんなフレーズを見たことがあります。「休む時は逝く時」そのときがくれば、私たちはみないやというほど休めます。「信じられないけど、とりあえずやってみようかしら」そう思って適当に体を動かしてみたあなたの体はもう変わり始めています。健康は理屈より行動です。近頃はなにかと理屈が多すぎます。健康はもっとシンプルです。しかし、理屈がないのも不安です。体を変えるために「やる気」は不要ですが根拠は必要です。本書が勧める「2つだけの心がけ」は机上の体育理論ではありません。もちろん、最新の研究成果にも沿ってはいますが、それは私の実体験、私の肉体を使った人体実験で確かめられた事実です。運動の必要性や体操のやり方、筋肉の鍛え方を解説する本は山ほどあります。しかし、考えてみると、その著者たちはみな「運動のプロ」です。つまり、「運動不足の素人」です。「運動のプロ」は運動不足人のあのだるさ実感したことはありません。運動不足人が、歩きたくない、ラジオ体操は覚えてない、ストレッチもめんどくさい、できればなにもしたくない、ことを彼らはご存じありません。運動不足解消に運動は必要ありません。

ただ動かすだけで運動不足人はまるで別人のように健康になっていきます。信じられないほどかんたんな体質改善です。正直私自身、信じられませんでした。長年悩み続けてきた凝りや痛みや疲労やだるさはいったいどこへ消えたのか?その理由ははじめよくわかりませんでした。わからなくて、いろいろと調べてみたところ、いろいろとわかってきました。いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かす。数年前から厚労省もWHOもそう心がけるように提言していました。「第1の心がけ」を2年、「第2の心がけ」は4年。思い返せばもうそれだけの時間が経っています。本当に「いつの間にか」という感じです。「始める」も「続ける」もなく、ストイックにもならず、ただなんとなく心がけていただけで、私の体は自分でもびっくりするほど変わりました。だるさや凝りなど運動不足から生じていた健康不調はすべて解消されました。寝付きが良く、熟睡できるようになりました。精神状態が安定し、心持ちがつねに穏やかになりなりました。体幹も安定し、バランスが良くなりました。階段を2段、3段と飛ばしても体はふらつきません。お酒が好きで、たまに飲み過ぎてしまいますが、以前より二日酔いしなくなりました。肌つやがよくなりました。髪の毛が増えました。白っぽくなっていた爪がきれいなピンクになり割れにくくなりました。声を出しやすくなりました。汗をかきやすくなりました。身長が8ミリ伸びました。まさに「成長」です。よいことばかりです。他にも挙げたら切りがありません。「2つだけの心がけ」で、生活の質(QOL:クオリティ・オブ・ライフ)は大きく向上しました。体を適当に動かしていただけで人生がはるかに豊かになりました。50歳のいま、私はこれまでの人生で一番よい健康状態を保っています。どんなにいいかげんでも、どんなに少しでもいい。じっとしているよりはずっとましです。体を少しでも動かせば、体は少しはやわらかくなり、少しは血行がよくなり、少しは体温が上がり、少しは老廃物が流れやすくなり、少しは新陳代謝がよくなり、少しは痩せやすくなり、少しは体が活性化します。「第2の心がけ」を心がけている限りそれらはすべて積み重なります。貯金のように貯まります。いいえ、貯金は使うと減りますが、体は使うと運動量が増えます。全身を動かせば、全身がやわらかくなり、全身の血行がよくなり、全身の体温が上がり、全身の老廃物が流れやすくなり、全身の新陳代謝がよくなり、全身が痩せやすくなり、全身が活性化し、全身がよみがえります。運動不足、つまり体を動かしていないと体が硬くなり、血行が悪くなり・・・あとはもうお分かりですね。「ふくらはぎマッサージ」が一時期ブームになりましたが、その最も大きな効果は「血流の増加」です。けれども、いくらふくらはぎを揉んだところで、ふくらはぎ以外の末梢血管が細ければ、そこで血流の「渋滞」が起きてしてしまいます。せっかくふくらはぎを揉むのなら、全身に血流が行きわたるように自由体操で全身をやわらかくしておきましょう。そうすれば効果は倍増します。このような相乗効果はふくらはぎマッサージに限りません。あらゆるスポーツ、エクササイズ、体操、運動を始める前に自由体操をしておけば、その後の「運動」の効果はいっそう高まります。運動不足人なら、なにかを「始める」前にまず自由体操です。自由体操は、すべての「運動」の準備体操です。

 

やり方のない自由体操ダイエット

運動は20分以上続けなくてもいいいつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かすそれが「第2の心がけ」です。私はそれを「自由体操」や「加動」と呼んでいます。ここではそのやり方•••について具体的にご説明して参りましょう。いえいえ、自由体操には「やり方」がないのでした。体を動かそうと思ったら、やり方なんてどうでもいいのです。「そうは言っても、体操と言うからには、なにかしらやり方はあるでしょう」そうおっしゃる方もいるでしょう。いいえ、やり方は本当にありません。あなたが好きなように体を動かせば、それがあなたの「やり方」です。それはあなただけの自由体操、つまり「自分体操」です。どう動かしてもいいのです。呼び方だってどうでもいいのです。世の中には「○○式」とか「××法」という体操や運動が星の数ほどありますが、結局どれでもいいのです。「あなた式」でも「わたし法」でもいいのです。自分流でも充分に効きます。筋肉細胞にとってみれば、「体操」も「運動」も「身体活動」も「日常生活動作」もちがいはありません。筋肉細胞は、あなたが家事をしているのか、スポーツをしているのか、自由体操をしているのか、全然わかっていません。筋肉細胞にとっては、どれも「動き」でしかありません。体を動かすこと、つまり生物の自発的な動作はすべて「エネルギーの生産と消費」でしかありません。おまけに、最新の研究では、その「動き」は長く続けなくてもいいことがわかってきました。先に述べたとおり、厚労省も「20分以上の運動効果」を「根拠に乏しい」と否定する一方で、「ちりつも」の効果は重視しています。繰り返しになりますが、身体活動は細切れの「動き」をあとで全部足していいのです。なんて都合のいいことでしょう!

歯磨きしながら、腰を回して2分。トイレで、首を前後左右に倒して1分。駅まで歩く歩幅を、ちょっと広げて5分。ホームで、かかとの上げ下げを2分。電車の中で、ときどきつり革を引っ張って15分。会議中に、お腹を引き締めて10分。パソコンに向かいながら、ときどき肩を上げ下げしてて15分。テレビを見ながら、自由に体を動かして10分。筋肉細胞にとってはどの「動き」も「運動」です。これらを1日の運動として全部足してよいのです。さあ、全部で何分になるでしょう?いいえ、足し算をする必要はありません。時間なんてどうでもいいのです。「全部で何分か」なんてことを気にする必要はありません。いいえ、気にしない方がいいのです。時間も、やり方も、自分でいいと思えば、それでいい。肩が重いと感じたら肩を回す。何回でも何秒でもいい。股関節が固いと思えば腰を回す。何回でも何秒でもいい。それだけです。言われてみれば当たり前です。でも、いままではそんなこと誰にも言われませんでした。「好き勝手におやりなさい」運動のプロがそんなことを言うわけがありません。体操を指導する先生は、角度やら向きやら回数やら秒数やらを、やたらと細かく教えてくれます。それはそうです。それが仕事ですから。そして、まじめな運動不足人ほど忠実にその教えを守ろうとします。けれども、やがてそれを守るのがめんどくさくなり、やらなくなります。やらなくなってしまったら元も子もありません。

自由体操には「やり方」がない。それはすなわち、正しいやり方が無限に存在することを意味します。誰かの教えを守らなくても、どう動かそうとも、動かせばそれはつねに正しいやり方です。でも、ひとつだけ守るべきことがあります。それは、無理をしないことです。

うちで「ゴロゴロする」のも立派な運動便利な日常生活を送る現代人は運動不足になりがちです。サラリーマンや主婦は特にそうです。だから、「運動しなくちゃ」と思っています。そして、大切な余暇時間の一部を割いて、わざわざスポーツジムに通ったりしています。しかし、たかだか運動不足を解消するために、それほどのことをするのは時間がとてももったいないです。いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かしていれば、運動不足は必ず解消されます。自由体操は「自由体操をする時間」をあえてつくりません。自由体操は究極の「ながら運動」です。「他になにをしていても」できます。「ながら運動」どころか「ていても運動」です。自由体操は「なにをしていても、余計な動きを少し加えるだけ」です。この「加動」は家事や移動やオフィスワークにとどまりません。体を動かせる機会はもっともっといくらでもあります。人目さえ気にしなければ、ある意味「バカ」になりきれれば、動きはもっと大きく、もっと変になり、効果はもっと大きくなり、そして文字通り、いつでもどこでもできるようになります。大切なのは、本気で「どうだっていい」と開き直ることです。いつだっていい、どこだっていい、人に見られたっていい。そうなるともう、目を覚ましている間はすべてエクササイズ・チャンスです。睡眠時間が8時間なら起きている16時間はすべて自由体操に使えます。極端な話をしているのではありません。本当にそうです。自由体操は本当に一日中できます。だって、本当に体のどこをどう動かしてもいいのですから。でも、起きているあいだずっと、「体を動かさなくちゃ」なんて思ってはいられません。いちいち、そんなこと思っていたら、体なんて動かせやしません。「自由体操」にはやり方が存在しないどころか、「自由体操」それ自体が存在しません。「自由体操」は便宜的な呼び方に過ぎません。その本質は「加動」です。ただ、「動き」を加えるだけです。無理さえしなければなんでもけっこうです。

どうぞ、自分勝手に動きを加えてください。テレビを見ながら部屋でゴロゴロする。これも効きます。床の上で本当に体を「ゴロゴロ」と回転させるのです。やればわかりますが、これはかなりの運動です。本当に「ゴロゴロ」したあとは少しじっとしていましょう。じっとしているばかりでは運動不足になりますが、加動した後はじっとしてていいのです。休み続けていては運動不足になるばかりですが、動き続けていては疲弊するばかりです。動かしたら休む。休んだら動かす。体も心もそれが基本です。こんなことを一日中なんとなくやるだけです。意識せず、やる気は出さず。わざわざ、ではいけません。自由体操をしよう、と思う必要もありません。他のことをしているときに、別のことを考えながら、加動するだけです。

体がやわらかくなるとできること、感じること動かしていれば、なんでもけっこうです。心がけていれば体は必ず変わります。まずはほんの少し、体がやわらかくなります。ほんの少しやわらかくなるだけで、できることががらりと変わります。たとえば、座らなくてよくなります。立ちっぱなしも平気ですし、いちど座ってもスッと立てます。お尻が軽くなります。(といっても、変な意味ではありません)混んだ電車では「ああ、座れなかった」と残念がるどころか、立ったままでいる方が体にいいと感じます。立ち飲みバー、立食パーティー、行列、大歓迎です。とはいえ、必要に応じて座ることもあります。椅子に浅く腰掛けて、背もたれは使わず、お腹をキュッと引っ込めて、背筋をピンと伸ばして座ります。座ってるだけですが、これも加動です。口で言うのはかんたんですが、先ほども申し上げたとおり、運動不足人にはかなり難しい姿勢です。「ダイエットは正しい姿勢から」などと、運動の専門家は平気な顔をしておっしゃいます。しかしそれは、運動不足人の真相をご存じないからです。体が硬い運動不足人は、正しい姿勢を保つのに、ふだん使っていない筋肉を無理して使わなければいけません。無理をすればつらく、つらければ続きません。特に食事中はつらいです。私もいつもテーブルに肘をついていました。私はいつも「行儀が悪い」と妻に叱られていました。でも、いまはまったく苦労なく正しい姿勢を保ち続けることができます。むしろいまは、正しく座っている方が楽に感じられるほどです。体を動かしているうちに体が少しやわらかくなり、だるさがなくなったからです。正しく座れるようになった私はもう「だるさ」も感じていません。だるくないからいつでも姿勢を良くしていられます。だるくない。それは健康の証です。反対に、だるいのは体のどこかになにか問題がある証ですが、ふだんからだるいと、その健康不調には気づくことができません。テーブルの上に葉っぱがあればすぐに気づきますが、森にあれば見つけ出すのは困難です。

いまの私はふだんだるさがないので、だるさがあればそれに気づくことができます。だるさに気づいたときはたいてい風邪の引きはじめです。風邪の引きはじめに気づけるので早めに対処できて悪化させずにすみます。だるさがなくなると、「痛み」にも気づきやすくなります。だるさに紛れて見逃していた微かな痛みも敏感に察知できます。そんな軽い痛みの中にも体調不良の兆しは紛れ込んでいます。関節の痛みなどもたいていは風邪の引きはじめですが、そうではない場合もあります。そして、痛みに敏感になると微妙な痛さのちがいが区別できるようになります。すると「この痛みはいつもとちがうぞ」と、これまた早めの対策が可能になります。そのおかげで私は五十肩を早めに見つけ、医師が驚くほど早く完治させました。このように、適当に体を動かすだけで体はちょっとやわらかくなり、体がちょっとやわらかくなるだけで、健康不調に対して早めの対処ができるようになります。すると、体調を大きく崩すことがなくなります。「風邪はひき始めが肝心」などと言いますが、風邪に限らずどんな病気も予防と早めの対処が大切です。早めに対処するには日ごろから体の声をよく聞いておくことが大切です。肉体は正直です。決して嘘をつきません。嘘はつきませんが、向こうから積極的に話しかけてもくれません。耳を澄まして注意していないと肉体の小さな独り言は聞き逃してしまいます。肉体が大声で「SOS」を叫んだときでは遅いのです。長期的な「変化」、短期的な「効果」私にとって自由体操がその効果を最も発揮してくれるのは「車の運転中」です。もちろん安全運転に支障がない範囲ですが、それでも肉体に充分な加動ができます。背筋を伸ばしたり、肩甲骨を寄せたり、腰を動かしたり。運転中はどれも小さくしか動かせませんが、想像以上に効きます。なんだか「もぞもぞ」しているだけなので、同乗者がいれば「この人、どこかかゆいのかな?」などと思われるかもしれません。でも、その程度で充分効きます。じっとしているのとは雲泥の差です。高速道路のロングドライブではこれが本当に驚くほどよく効きます。凝り固まったようにじっと運転し続けることを考えたらまさに「天国と地獄」です。私は年に数回、東京―兵庫間を車で往復しますが、それができるのは自由体操のおかげに他なりません。自由体操をしていれば、600キロの距離を休みなしに走ったとしても体は疲れません。それどころか、何時間もゆるいストレッチを行うことになるため、体は運転前より軽く感じられるほどです。ほんの少しの加動でも効果が大きいため、何時間もの移動が何時間もの運動機会になります。ちなみに、私の兵庫行きの目的地は妻の実家です。私の娘は祖父母やいとこたちに会えることをいつもとても楽しみにしています。車での帰省は、新幹線や飛行機に比べたら大きな節約にもなります。「財布が軽いと心が重い」と言いますが、自由体操で運転してゆけば財布は軽くならずに済み、体が軽くなります。自由体操のおかげで帰省が気軽になって回数も増えました。おかげで娘と祖父母が一緒の笑顔も増えました。「2つだけの心がけ」は数ヶ月から数年という中長期的な視野で健康改善や肉体改造を行うものです。「2つだけの心がけ」は肉体に確かな変化をもたらしますが、とても微かな変化を長い時間積み重ねる必要があります。それは確かに「変化」ですが、「効果」と呼ぶには少し時間がかかり過ぎかもしれません。効果というにはもう少し早い効き目を期待する人が多いはずです。その点、この運転中の自由体操は数時間後にハッキリした効果を得られます。ここでは、もう一つ、数秒後に効く、つまり本当の意味で即効性のある加動をご紹介します。それは、加動にもう一つ、別のある動作を加えます。それを加えるだけで、柔軟性の向上効果が一気に高まります。それも、すぐ効きます。それは、動かしている筋肉に「押さえる」という動作を加えるだけです。首を動かすなら首筋の筋肉が動きますから、そこを押さえ込みます。腕を回すなら肩の筋肉が動きますから、そこを押さえ込みます。動かす筋肉を適当に押さえるだけです。動かすのも適当なら、押さえるのも適当です。肩こりには特に効きます。すぐ効きます。

「2つだけの心がけ」で体が変わるもう一つの理由体がやわらかくなると怪我の予防ができます。国立健康栄養研究所は、2009年公表の調査で、体がやわらかい人ほど動脈硬化の進行が遅いというデータを明らかにしました。同研究所は「心肺機能や筋力、持久力に加えて、体力を良好に保つためには柔軟性の向上が重要である」とも述べています。健康の基本が身体の柔軟性にあることは、いまようやく認められはじめました。繰り返しになりますが、自由体操や加動によって体がやわらかくなると、筋肉の中を通っている血管の圧迫が弱まります。すると、血液は流れやすくなり、老廃物の排出が促され、新陳代謝が活発になります。新陳代謝が活発になれば、エネルギー消費が増えて体内に蓄えられた脂肪やたんぱく質の分解が促されます。つまり、食事の量が変わらなければ「第2の心がけ」だけで少しずつ痩せるわけです。痩せやすい体質になる、と言ってもいいでしょう。しかし、その「効果」はとても「微微たる」ものなので、日々の体重減として体重計で確かめることは困難です。ダイエットを望む人の多くは、短期間で大きな効果、特に数字に大きく表れる効果を期待しますから、「第2の心がけ」のごとき「微々」では足りません。そこで、「第2の心がけ」と同時に腹八分目を心がけます。自由体操と腹八分目を同時に心がければダイエット効果は数字にハッキリ現れます。「腹八分目」とサラリと書いていますが、それが難しいことは百も承知です。お腹いっぱい食べたい、という欲望はヒトの遺伝子に組み込まれた原始的な欲求であり、それをコントロールするということは容易ではありません。「腹八分目」は「言うは易く行うは難し」のダイエット法です。いえ、「腹八分目」なんて「ダイエット法」とは呼べません。そんなのただのがまんです。そこで、「第1の心がけ」の出番です。「第1の心がけ」は、食前にプロテインシェイクを飲むわけですから、これをたっぷり飲めば飲むほど、通常食の量は減らしやすくなります。プロテインシェイクを飲んでから、野菜、肉または魚、そして最後にご飯もの、という順番で食べていけば、最後のご飯ものは少しでも大きな満腹感を得られます。

こうして「2つだけの心がけ」を心がけていれば、硬くなっていた体は少しずつやわらかくなり、余分に付いていた贅肉は少しずつ減り、その代わりに筋肉が少しずつ増えていきます。通常食をしっかり食べていれば体重は急激に減少しませんが、体型の変化はハッキリ現れます。ライザップよりは時間がかかりますが、それでも数ヶ月後には鏡に映る自分の姿が変わっていることに気づくはずです。本気で痩せたいのなら、食前プロテインシェイクの後の通常食を思い切って減らすだけです。プロテインシェイクを多めにすればするほど、通常食は減るはずです。量や濃さを自在にコントロールできるプロテインシェイクは、空腹感と戦うときの最大の武器となります。「2つだけの心がけ」を心がけながら、「腹八分目」も実行できれば、ダイエットの効果は大きく現れます。すると、どうなるでしょう?食事制限だけだとお腹が減って元気が出なくなりますが、自由体操で体をずっと動かしていると、肉体は次のステージに移行します。体重が減るくらいでは物足りなくなるのです。どうせ体を動かすのなら体型を変えたい、という欲が出てくるのです。このような欲求は、食事制限だけのダイエットでは決して生まれてきません。

この欲求を仮に「体型欲」と呼ぶことにしましょう。「体型欲」は本来、弱肉強食の自然界には原始的に備わっている欲です。動物は雌雄ともに体型でアピールすることでパートナー獲得に大きなアドバンテージを得るからです。しかしながら、現代人にとって体型はもうパートナー獲得の必須条件ではありません。特に男性は肉体的な強さよりも経済力の方が重視されます。原始社会とちがい、マッチョよりリッチの方が後世まで子孫を残せる可能性が高いからです。現代の男性は「もてる」ため、つまり結婚して遺伝子を残すためにも、金銭欲や出世欲を強めています。その一方で体型欲はもはやすっかり廃れています。お腹が出ていても、お金があれば、なんとかなる世の中です。ところが、です。自由体操をしているとこの原始的な「体型欲」が覚醒します。どうせ体を動かすなら、肉体改造の効果を得られるように動かしたくなるのです。これもまた「MOTTAINAI」の精神です。プロテインをたくさん飲んでいたらなおさらです。

生活動作はすべて軽い筋トレガチガチの運動不足人にとって、肉体改造なんてのは夢のまた夢かもしれません。メタボの中年がそれを現実にするには相当な「一念発起」が必要です。でも、「2つだけの心がけ」を心がけていれば、それだけで「細マッチョ」になります。私くらいの体型で良ければスポーツジムに通う必要はまったくありません。「一念発起」も「心機一転」もなにも要りません。要るのは「期間」だけです。自由体操や加動だけで筋トレの代わりは充分に務まります。いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かす。それこそが筋トレなのです。高齢者にとって自由体操は非常に効果的なロコモ対策です。それはまさに高齢者に必要とされる「軽い筋トレ」です。筋肉を動かすということは筋肉に軽い負荷をかけることを意味します。少しでも適当でも体を動かしていれば、運動量は少しずつ増えていきます。バーベルなど持ち上げる必要はありません。自由体操の際に、動かしている筋肉、力を込めている筋肉を意識できればそれだけで充分です。重いものを持ち上げなくても力を込めればそれも負荷です。負荷は負荷です。かんたんに言うと、「力こぶを作る」のも筋トレなのです。「二の腕」だけでなく、鍛えたい筋肉に力を込めることができれば、それは最低限の筋トレです。意識して息を吐き切ればそれも立派な筋トレです。そういうことを無理のない範囲で続けて•••いれば筋肉の柔軟性と筋力は健康的な状態で維持されます。ただし、「続けよう」とは思わないでください。「続ける」と「やめる」は表裏一体です。ただなんとなく、適当にやってください。そうすれば健康寿命を大きく延ばすことができます。このとき大切なのは「第1の心がけ」です。筋肉が減っている高齢者は筋肉を増やさなければいけません。ロコモ対策としても筋肉量は増やしておきたいところです。そのためには、筋肉の素となるたんぱく質を摂取する必要があります。肉や魚を控えずに充分食べていれば最低限のたんぱく質摂取はできると思いますが、私は高齢者にこそプロテインシェイクをお勧めします。プロテイン=たんぱく質は少しくらい多めに摂取しても体に悪影響はありません。むしろ、多い方が筋肉のみならず、毛髪、爪、皮膚、内蔵のアンチエイジングに好影響を与えてくれます。もちろん、「シェイク」の動作はお年寄りにも最適な「軽い運動」です。老若男女、「マッチョ」や「ナイスバディ」を目指すなら、ふつうの食事ではまったくのたんぱく質不足です。肉や魚や豆腐など、ふだんの食事だけでボディメイク=筋肉増強をするのは困難です。筋肉を肥大させるには意外なほどの量を食べなければいけません。すると、どうしても脂肪なども摂取することになり結局太ってしまいます。だからこそ「第1の心がけ」です。プロテインシェイクはきわめて効率よくたんぱく質を摂取することができます。量の調節もきわめて容易です。筋肉は限界まで力を出し切らないと大きくならない、と言われます。筋肉が「もうこれ以上無理!」と叫び出しそうなほどの負荷をかけることを、トレーニング用語では「オールアウト」と呼びます。バーベルを持ち上げるなど、限界を超えて最後の1回をフィニッシュさせるために顔は醜く歪みます。その隣でトレーナーは大声で叫ぶように励まします。だから、ライザップのトレーニングは個室で行われるのです。恥ずかしくて他人にはとても見せられない姿なのです。だからこそ「オールアウト」なのです。筋肉はこの「オールアウト」によって肥大する、と言われています。筋肉は「オールアウト」によっていちど破壊され、筋肉痛を伴いながら大きく強く作り直される、と言われています。確かにそのはずです。しかし、何度も繰り返しますが、私くらいの体型なら「2つだけの心がけ」で充分です。「第1の心がけ」でプロテインシェイクを飲めば、たんぱく質の摂取と同時に「シェイク」の動作で最低限の上半身の筋トレができます。さらに「第2の心がけ」で生活動作に関わる筋肉は少しずつシェイプアップされます。いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かす。そうしてしていれば、新陳代謝が活発になって余計な脂肪が分解されやすくなります。これだけでそれなりの体型になりますが、さらに「体型欲」が出てきたときは、自由体操の加動にさらに「力」を加えてください。適当な動きに適当に力を加えるのです。加動に「加力」するのです。自由体操をしながら筋肉に「力を込める」のです。「力こぶを作る」要領です。いわゆる「細マッチョ」を目指すならこれで充分です。ちなみに「ボディメイク」は筋肉を肥大させて「サイズアップ」させることですが、「シェイプアップ」は贅肉を減らしながら筋肉を増やして「サイズダウン」させることです。筋肉は脂肪よりも重いので同じ重さなら容積が小さくなります。ですから、体重計の数字が変わらなくても体型は引き締まるのです。「2つだけの心がけ」は世界一かんたんなシェイプアップ法です。

驚きの効きめ、筋肉おさめ動かしている筋肉を押さえ込むと柔軟性向上の効果が一段と高まることは前に述べましたが、私はこれまた勝手にこの方法を「筋肉おさめ」と呼んでいます。私は肩凝り解消のために偶然「第2の心がけ」を心がけるようになっていましたが、この「筋肉おさめ」の効果を知ったのもまた偶然でした。お話をもういちどあの公園に戻します。その日も私は娘と一緒に自由体操誕生のきっかけになったあの公園に来ていました。もうすっかり上手に自転車を乗りこなしている娘を眺めながら、私は自分の肩を揉んでいました。相変わらず適当な自己流のセルフマッサージです。そのとき、私の視線を感じた娘が、少し離れたところで自転車を止め、私に向かって手を振りました。私は右手を高く上げて手を振り返しました。でも、左手で右肩を押すことは止めませんでした。すると、左手の手のひらには手を振っている右肩の筋肉の動きがハッキリと伝わってきました。娘はふざけているのでしょう、ずっと手を振り続けています。こどもは同じことを続けるのが大好きです。しかし、根比べなら私も負けません。私も娘にずっと手を振り続けていました。そのときです――「あれっ?」左手の手のひらの中で右肩の硬さがスッとゆるんだのです。それはマッサージでもストレッチでも感じたことのない感覚でした。そのとき私の頭に、また新たな仮説が生まれました。「筋肉は押しながら動かすとほぐれやすい」家に帰るとすぐパソコンの前に座ってインターネットで検索しました。しかし、そのような事実は見当たりません。それどころか、むしろ「セルフマッサージとストレッチは同時に行ってはいけない」という専門家の警告を見つけてしまいました。そもそも、指圧の専門家は素人に「セルフマッサージ」を勧めません。なぜなら、「ツボ」という小さな点を的確に押すには、高度な技術の習得が必要だからです。不器用な友達が親切に肩を揉んでくれても、たいして気持ちはよくないですし、場合によっては筋肉を痛めることもあります。指圧師が国家資格となっているのは、その治療法に正しい知識と高い技術が必要であることの表れです。指圧はツボという「点」を突くため、突く位置が少しずれると、凝りの解消どころか凝りを悪化させたり筋肉を痛めたりすることもあるわけです。

また、「伸ばし切る」ことで関節可動域を広げようとするストレッチは、一時的に筋肉を強い緊張状態におきます。つまり、この二つを同時に行うと、「緊張した筋肉のわずかな一点に強い圧力を加える」ことになります。それが危険なことは素人でも分かります。一歩まちがえば、いえ、一指まちがえば、まさしく筋をちがえるこすじとなります。やはり、「ストレッチしながらのマッサージ(指圧)」には、専門家の言うとおり「素人がやってはいけない」難しさがあるわけです。しかし、筋肉おさめはちがいます。私はそんなことしていません。私は適当に動かしながら適当に押していただけです。私は指先で「ツボ」を押したりなんかしていません。指先で「点を突く」のではなく、手のひらで「面を押す」のです。それも適当に。そして、ストレッチもしていません。筋肉は伸ばし切らず、止めず、適当に動かし続けていましたから。このおおざっぱさが功を奏したのです。これなら、誰でもできます。そして、効きます。ほぐれていく、という感覚をぜひ「実感」してください。

「筋肉おさめ」でマッサージ代が要らなくなる「筋肉おさめ」は特別な方法ではありません。それは、リハビリ施設でふつうに行われています。体のどこかの運動器の障害でリハビリ施設にやって来る患者さんたちは、筋肉をほぐすために様々な治療を受けます。温熱や磁気の治療器、スポーツジムのマシンのような器具なども使われます。しかし、リハビリの基本は、患者さん本人が自力で患部周辺を動かすことです。それこそが「筋肉おさめ」です。リハビリ施設の「筋肉おさめ」はそれをは二人で行います。療法士さんが押さえた患部を患者さんが動かすのです。それを一人でやるのが自由体操から生まれた「筋肉おさめ」です。筋肉おさめは「セルフ・リハビリ」です。手が届きさえすれば自分でリハビリのようなケアができます。いえ、手が届かなくても工夫次第でなんとかなります。手が届かない背中も、丸めたタオルやテニスボールやガラス瓶などを使って押さえることができます。なんでもけっこうです。そういうものを床に置いて、その上に仰向けに寝転べば、背中の筋肉に手で押さえられたような圧が加わります。その状態で背中の筋肉が動く自由体操をすればいいのです。近頃なにかと話題の「肩甲骨周り」も、この方法でほぐすことができます。体中どこだって押さえて動かせばどんどんほぐれます。細かい「やり方」なんて、どうだっていいのです。押さえながら動かせば、それでいいのです。整形外科やリハビリ施設は痛みを感じてからお世話になるのがふつうです。筋肉おさめによる「セルフ・リハビリ」も痛みの緩和によく効きます。しかし、筋肉おさめの一番良いところは、痛みの予防や早期発見ができることです。保険証も受診料も要らず、自由体操と同じように、いつでもどこでもできるのが筋肉おさめです。いつでもどこでも適当に筋肉に触れ、適当に筋肉を動かしていると小さな「異変」にもすぐ気づくことができます。「2つだけの心がけ」のおかげで健康を謳歌していても、たまに怪我はしますし病気にもなります。でも、ふだんから自由体操や筋肉おさめを心がけていると、肉体のわずかな変化を見つけることができます。おかげで早期に五十肩を見つけ、短期間に完治させたのは先に述べたとおりです。私は35歳の頃に四十肩を患い、そのときは完治に半年以上かかりました。五十肩は、長い人では一年以上痛みが続くと言われますから、そう診断されたときは相当ショックでしたが、私の五十肩はたったの五週間で完治しました。

お医者さんからは「悪化する前に病院に来たのがよかったですね」と言われ、リハビリの療法士さんからは「同世代に比べて筋肉がやわらかいからですよ」と言われました。そういえば、四十肩を患った頃の私の体は最悪にガチガチでした。その頃、中国人の整体師さんに「こんなに硬い体を触るのは生まれて初めてあるよ」と言われたこともありました。その体がいまや療法士さんに「やわらかい」とまで言われるようになりました。体がやわらかいと血管が広がって新陳代謝が上がり免疫力が高まります。すると怪我の回復は早くなり病気にもなりにくくなります。私は30代半ばから毎年数回、風邪を引いては寝込んでいましたが、いまはそんなことはありません。自由体操のきっかけとなった肩凝りもすっかり解消されています。これまで入手した数々の肩凝り解消グッズはすべて不要になりました。マッサージ屋さんに行くことももうないでしょう。自由体操と筋肉おさめだけで充分です。お金も手間も努力も我慢も不要です。「始めなきゃ」「用意しなきゃ」「読まなきゃ」「行かなきゃ」「買わなきゃ」「曲げなきゃ」「伸ばさなきゃ」「数えなきゃ」「止めなきゃ」「続けなきゃ」そんなことはもうなにも考える必要がありません。「やらなきゃ」さえ思わない。「やらなきゃ」なんて思わないからこそできる。ただなんとなくやっていれば、それでいいのです。

わざわざやるものではありません。むしろ、他のことをしているときに「ながら」でやるだけです。なにをし「ていても」できる「ていても運動」です。読書をし「ていても」できます。試しにいま、指を一本だけ動かしてみてください。指を動かすには前腕の「指屈筋」の働きが必要です。指を動かせば「指屈筋」でエネルギーが産生され消費されます。作られたエネルギーが使われてなくなる。それができていれば肉体はフレッシュな状態でいられます。運動やスポーツをしていなくても、ふつうに日常生活を送っていれば、体中でエネルギーは生産されます。だるさなどの運動不足感を感じやすい人はふだんから体内のエネルギー生産が活発な人です。若い頃にスポーツをしていたけど中年以降まったくしていない、などという人はだるさを強く感じます。そこには「活性酸素」の影響があると言われます。エネルギーの素は酸素ですからエネルギーが余るということはすなわち酸素が余るということです。この余った酸素は活性酸素に変わりやすくなります。そして、活性酸素は筋肉を傷つけたり老廃物を滞らせて筋肉を強ばらせたり、ときにはガンを誘発するとまで言われています。酸素は人類にとって「なければ生きていけない」ものとして大切に扱われます。しかし、原始の地球において酸素は「二酸化炭素で満たされた世界に後から生じた猛毒ガス」でした。植物が大繁茂した時代には酸素の大量発生によってそれまでいた生物の大量死滅が起こりました。酸素には酸化という恐ろしい作用があるからです。そして、私たちの遠いご先祖様はこの猛毒の酸素を利用する方法を生み出しました。それが「呼吸」です。「呼吸」のおかげで人類をはじめとするたくさんの生き物が地球に存在できるようになりました。しかし、酸素に酸化という恐ろしい作用があることは太古も現在も同じです。人体の中でこの酸化という悪さをするのが活性酸素です。そして、最近よく耳にする「抗酸化」は「酸化を防ぐこと」です。自由体操にはこの「抗酸化」の働きがあります。自由体操を心がけていれば体内で酸素は余らず活性酸素は増えません。活性酸素をできるだけ体内から除去する。これが昨今の「アンチエイジング」の基本的な考え方です。たとえば、いま流行の「水素水」は、水素「H」を体内に取り入み、酸素「O」と結びつけて水「H2O」にするそうです。本当にそうなら活性酸素は減らせるかもしれません。しかし、水素水は高価なうえ効果を疑問視する専門家も多いようです。

じつは一番凝っている「お尻」首や肩はよく凝りますが、手や腕はあまり凝りません。手や腕があまり凝らないのは筋肉が小さいことと、日常生活の中でよく動かしているためエネルギーが余らないからです。動かしているから老廃物が滞っていません。逆に、大きくてあまり動かさないため、とても凝ってしまう筋肉もあります。その代表は肩ですが、肩は頭(脳)に近いため「凝り」を自覚しやすく、「解消しよう」という意識も高くなります。だから、マッサージに行ったりするわけです。マッサージに行かれる人の大半は肩凝り解消が目的です。しかし、体には他にもっと凝っている部位があります。しかし、そこの「凝り」はほとんど意識されません。だから、いつの間にかガッチガチに凝り固まっているのです。それは、お尻です。お尻の筋肉は知らないうちにとても硬くなっています。その硬さは、お尻以外の痛みの原因にもなっています。しかし、お尻自体は硬くなってもあまり痛くなりません。お尻=臀部=大臀筋の中心部(お尻のほっぺ)は主要な神経から遠いからです。しかし、大臀筋の下には梨状筋があり、この梨状筋は坐骨神経に接しています。坐骨神経痛は中高年に多い足腰の痛みですが、大臀筋や梨状筋の硬化も主な原因の一つと考えられています。運動不足を自覚していて、脚の付け根や腰骨の少し下、あるいは腿の外側に慢性的な痛みを抱えている場合、その原因はお尻の筋肉が凝りに凝っているせいかもしれません。ある整骨院のホームページでこんなコメントを見つけました。「股関節の痛みで来院する8割以上の患者さんが、お尻の筋肉を緩めることで症状が緩和されます」運動不足のせいで、お尻が何年も、何十年も凝り固まったままの人は、自分のお尻の硬さは「こんなもんだ」と思い込んでいます。昔のように若くないんだから、お尻だっていつまでもプリッとかキュッとかしてるもんじゃない、と思い込んでいます。中高年のお尻なんて垂れてて硬いんだ、と勝手な解釈をしています。そう思い込んで硬いお尻を放置すると、足腰にトラブルが起きます。自覚症状のない硬いお尻は「ロコモ」の最大の原因です。お尻の筋肉はとても無口で、滅多なことでは痛みを訴えません。

しかし、お尻自体は痛くなくても、お尻の硬さはお尻の周りの神経を圧迫して、腰や腿や膝にまで痛みが出てくることになります。お尻の硬さは「近所迷惑」なのです。ところが、です。お尻は自由体操と筋肉おさめでびっくりするほどやわらかくなります。大臀筋は坐骨神経などの主要な神経から離れているので、手加減なしに揉みまくってもぜんぜん平気です。筋肉おさめくらいでは揉み返しの心配もまったくありません。お尻の下にワインボトルやテニスボール、野球のボールなどを置いて、毎日思いっきりグリグリと揉みほぐしてみてください。そのうちに、運動不足人のお尻はまるで別人のお尻のようにやわらかくなります。適当でけっこうです。自由体操と筋肉おさめだけ充分です。

動けば成長する運動不足人に必要なのは「とにかく体を動かすこと」です。それは「スポーツ」や「運動」でなくてもいいのです。「日常生活動作(ADL)」や「身体活動」でいいのです。運動不足人は「運動」が嫌いです。「運動」と聞くだけで動きたくなくなります。だからこそ、運動不足人なのです。こどもたちを見てください。みんな体を動かしています。こどもたちは誰もそれを「運動」だなんて思っちゃいません。「まったく落ち着きのない子だ!」大人にそう叱られる子がいます。私にはそれが最高のほめ言葉に聞こえます。体を動かすことで、その子はいまグングン成長しているからです。こどもたちは日中飽きることなく動き続け、夜になると電池が切れたようにぱたりと動かなくなり、そのまま眠りにつきます。体を動かし、そして眠る。これは成長の基礎であり動物の大原則です。大人だって、体を動かし、そして眠れば、まだまだ成長できます。時間の使い方さえ間違わなければ、私たちは健康寿命をもっとかんたんに延ばすことができます。時間の流れを成長に使うか老化に使うかは私たちの心がけ次第です。「老いては子に従え」と言います。なら老化を成長に転じたければ、こどもに倣えばいいのです。こどもは無駄が大好きです。「無駄」は「心身」を柔軟にします。「無駄」がないと「心身」は硬直します。

「無駄」がないと、最悪の場合「うつ」になります。うつ症状になると、「無駄」なことは考えられなくなります。心に余裕がなくなり、いま抱えているトラブルのことしか考えられなくなります。気分転換ができなくなり、ものごとを悪い方へ、悪い方へと考えます。そんなとき、悩み事と関係のない「どうでもいい」こと、つまり「無駄」なことを考えることができれば「心の柔軟性」を回復できるのですが、それができなくなるのが「うつ」という病気です。「無駄」なことばかり考えているこどもはうつにはなりません。こどもは「無駄」なことをたくさん考え、そしてまた「無駄」な動きをたくさんします。こどもは全身を均等に発育させるために、体中の筋肉と関節をフルに動かしています。大人にはそれが「変な動き」に見えます。こども独特の「変顔」も表情筋の発育に寄与しています。こうしてこどもは成長しています。大人はどうでしょう?もちろん、大人は「変な動き」や「変顔」をしません。そんなの「無駄」だからです。大人はあれこれ「言い訳」を見つけてきては、できるだけ「無駄」な動きを省こうとします。エスカレーターがある場所で階段を上るのは「無駄」です。掃除機があるのにほうきとちりとりでゴミを集めるのも「無駄」でしょう。近い将来、自動車の運転が完全自動化されれば人が運転することさえ「無駄」になるでしょう。こうやって無駄を省いていくと、人間の生活動作はワンパターンになり、筋肉や関節はいつも同じ方向、同じ範囲でしか動かされなくなります。そして、動きはどんどん少なく小さく狭くなっていきます。いつのまにか関節可動域は極度に狭まり、筋肉はひどく硬直し、ある日気づくと体のあちこちが痛くなっています。それが「ロコモ」のはじまりです。

立ちっぱなしの大人は突然こどもになる「ロコモ」は一日にして成らず。「ロコモ」は気づかれないように長い時間かけて少しずつ悪化します。これと似た症状が、ふだんの生活の中で急性的に起きることがあります。それは「ずっと立っている」ときです。たとえば、行列に並んで長時間待っていると、ただ立っているだけなのにひどく疲れてきます。これは、同じ姿勢で立ち続けていることによって、同じ筋肉だけをずっと使っているからです。そんなとき、私たちはどうやってその疲れを癒そうとするでしょう?そうです、動き出すのです。立ちっぱなしに疲れた大人は、自然に体を動かします。その瞬間、大人はこどもになります。こどものように、じっとしていられなくなったのです。行列に並び疲れた大人は、こどもがいつも感じている「じっとしていられない」を疑似体験しているのです。座っていても同じです。新幹線でも飛行機でも、長時間同じ姿勢で座り続けていれば必ず少し動きます。その少しの動きも自由体操です。私たちはみな、生まれたときは新品です。そして、ある時点まで発達したあと、劣化し始めます。精神も肉体も錆びていきます。「すべての男は消耗品である」これは、村上龍さんのエッセーのタイトルですが、男だけでなく女にもこう言うことができます。「すべての大人は中古品である」中古品は絶対に新品には戻りません。しかし、メンテナンスさえ怠らなければ長い間使い続けることができます。運転しない自動車はあちこち故障します。人が住まない家はどんどん傷みます。しかし、使っていればそれがメンテナンスになります。オイル交換?ペンキの塗り替え?そんなめんどくさいことは後回しです。とりあえず、動かしましょう。とにかく、使いましょう。人体も同じです。体を動かさないとあちこち痛み出します。

頭を使わないとどんどんボケます。だから、とりあえず動かしましょう。適当に使いましょう。キューバでは60年代のアメ車が21世紀のいまでも現役で活躍しています。クラシックカーとしてではなく日常の足に使われています。アメリカとはずっと国交が途絶えていて、純正の部品なんて容易に手に入らなかったでしょう。でも、毎日乗られていたからいまでも元気に走っています。なんとかなります。私たちの体も同じです。エクササイズ?筋トレ?サプリ?美容液?そんなめんどくさいメンテナンスは後回しです。まずは、なんでもいいから、とりあえず動かしましょう。「ピンピンコロリ(PPK)」という言葉をご存じですか?これは、病気や痛みに苦しまず、元気に長生きしてコロリと死のう、という意味の「標語」だそうです。「健康寿命を延ばそう」ということです。そのためにはロコモのような「不健康」「不具合」をできるだけ先送りする必要があります。そのためには体内の「酸化=錆び=老化=劣化」を防がなければいけません。体内の錆びには活性酸素や老廃物が関わっています。活性酸素や老廃物はできるだけ作らず、溜めず、体外に排出させる必要があります。「身から出た••錆び」はよいけれど、「身から出ない•••錆び」はダメです。身から錆びを出すためにも「2つだけの心がけ」です。めんどうなメンテナンスは長続きしません。世界一かんたんな肉体のメンテは「ただ動かすこと」です。いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かす。それが若さの秘訣です。

硬化の2大原因どうしてヒトの体は歳をとるにつれて硬くなるのでしょう?硬くなる原因は二つあります。ひとつは乾燥、もうひとつは静止です。まずは、乾燥からご説明します。ご存じの通り、乾燥とは「水分」が失われることです。干物、高野豆腐、乾燥野菜、ドライフルーツ、ビーフジャーキー、フリーズドライ。そして、ミイラ。水分が失われるとなんでも硬くなります。人体ではミイラになるずっと前からそれは始まっています。人体の水分含有率は、新生児で80%、成人で60%、高齢者で50%と言われます。つまり、私たちの肉体は少しずつ「ジャーキー化」しているのです。「老化とは乾燥への推移である」これは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスの言葉です。次に、静止についてご説明します。ご存じの通り、静止とは「動き」が失われることです。放置自転車、空き家の窓、止まったままの時計、しばらく履いていない靴。動くものは、動きが失われると固くなります。錆びつきや組織の変質などから、癒着や固着が起きるからです。人体も同じです。骨折してギプスで固定された関節は、動かせないという理由だけで1ヶ月もすればすっかり固まります。筋肉や関節にとって「じっとしている」のは、短い時間ではありますが、ギプスをはめているのと同じです。「動かせるものは、動かさないと、動かなくなる」これは、古代ローマの言葉ではなく、当たり前の事実です。「静止」は「生死」に関わります。たしかに「絶対安静」が必要なほど重篤な病人や怪我人には「静止」が不可欠です。安静、あるいは睡眠による機能回復が必要だからです。しかし、健康な肉体では逆に「静止」が死期を早めます。

こうして乾燥と静止によって肉体の柔軟性は徐々に失われ、ヒトは老化していきます。保湿クリームを塗れば皮膚表面の水分は補われ、柔軟性はある程度保たれるでしょう。しかし、それはあくまでも体表面だけです。筋肉の乾燥には効果がありません。ヒアルロン酸を筋肉に直接注射すれば柔軟性は上がりますが、その効果は一時的かつ限定的です。全身の筋肉を乾燥から守るのは困難です。もちろん、水をたくさん飲んでも乾燥を防ぐことはできません。しかし、「第1の心がけ」によって新鮮なたんぱく質がつねに肉体に供給されていると新陳代謝が活発になり、水分含有率の高いフレッシュな細胞が再生されます。このように「第1の心がけ」には肉体を乾燥から守る効果があります。そして「第2の心がけ」はまさしく肉体を静止から守る方法です。私たちは、はりつけ磔にでもされない限り、自由に体を動かすことができます。毎日ふつうに活動していれば、静止時間は限られ、急に老化することはありません。「毎日ウォーキングしているので体は固まっていません」そうおっしゃる方もいるでしょう。でも、ウォーキングだけではダメです。同じことを繰り返していてはダメです。ウォーキングをしているから健康、と思っていたらダメです。ウォーキングは「歩く」という最も日常的な基本動作の繰り返しです。いくら長距離を歩いても、どれだけ長期間続けても、同じように歩いているかぎり、使われる筋肉はいつも同じです。歩き過ぎれば同じ筋肉ばかりに余計な負担がかかります。正しいフォームでなければ、関節炎や疲労骨折のリスクも高まります。「ウォーキング」と言えば、デューク更家さんの「デュークズ・ウォーキング」がかつてブームになりましたが、あのユニークな「ウォーキング法」は、更家さんのお母様がまちがった歩き方で足を痛めたことをきっかけに生まれたそうです。近所を闇雲に散歩しているだけではダメです。散歩の時間を減らしてでも、他の身体活動を行ってください。ふだん使わない筋肉を使ってください。ふだん腰を曲げる姿勢が多いなら、逆に腰を伸ばしましょう。日本の農村では古くから盆踊りが親しまれてきましたが、盆踊りの踊り方は農作業の動作とちょうど逆向きの動きになっています。ふだんしない変な動きは最も効果的です。

なぜ老化するのか?そもそも、私たちはどうして老化するのでしょう?それは、もちろん死ぬためです。生物は死ぬために老います。では、私たちはなぜ死ぬのでしょう?それは、人類が進化するためです。生物は世代交代、つまり老いたら死んで次の世代に未来を託すことによって集団として進化しています。ヒトは個人として生まれ、別の個人である子を産み、個人として死にます。この個人の生、産、死のサイクルが人類という集団を進化させています。私たちがこどもを大切にするのはそのためです。こどもを愛する気持ちは進化のサイクルを尊ぶ潜在意識から生まれます。「こどもたちが人類の未来をもっとよくする」その気持ちは、「きれいごと」ではありません。この感情は私たちの体の中の遺伝子から発せられています。生、産、死のサイクルが続く限り、個人は死んでも遺伝子は生き続けます。こどもたちという次世代が健やかに育てば、人類の進化、種の繁栄は続きます。子は自分の「分身」です。自分の子の半分は必ず自分と同じ遺伝子でできています。自分の遺伝子は子供の中で未来を生きます。その「半分自分」に未来を託す気持ちが「愛」です。だから、子より孫の方がさらに可愛いのです。孫の4分の一は自分と同じ遺伝子でできています。孫の遺伝子は子よりさらに先の未来を生きます。子供がいないからと嘆く必要はありません。息子や娘がいなくても、甥や姪の中で自分と同じ遺伝子が未来を生きます。甥や姪もいなければ、誰でもいいのです。

結局のところ、人類はみな遠い親戚同士です。私たちは生きることや死ぬことについていろいろと心配をします。個人としてのヒトは自意識があって、あれやこれやものごとを考えます。しかし、そんなヒトももとはと言えば卵子と精子です。私も51年前は卵子と精子でした。もともとは2つに分けられていたわけです。あるとき、偶然その2つが受精して、胎児、新生児、こども、青年、そして中年へと、恐ろしいほどの回数の細胞分裂を繰り返して、いまのこの体になりました。そして、大人になった私の体内で作られた精子と妻であるヒトの体内で作られた卵子が受精して、また別のヒトが生まれました。人類の卵子と精子は太古の昔からずっとそれを繰り返し続けてきました。それは、大いなる「コピー・アンド・ペースト」の歴史です。生物は遺伝子によって利用される「乗り物」に過ぎない。これは、イギリスの動物行動学者、リチャード・ドーキンス氏が自著の「利己的遺伝子」で使った表現です。遺伝子を、ウィルスや細菌のような「ちっちゃな生物」としてとらえると、遺伝子は二本足で移動する人間という「乗り物」に乗り込んで生きています。そして、受精によって自らの姿を半分ずつ変えながら、また次の新しい人間、つまり子孫へと乗り継いでいきます。個々の人間は死んでも、遺伝子という「ちっちゃな生物」は死んでいません。個人には寿命がありますが、遺伝子は世代を超えて生き続けています。遺伝子に「乗られている」のは人間だけではありません。すべての生物は遺伝子の「乗り物」です。けれども、極端に知能が発達してしまったヒトだけは、生きるの死ぬのと、勝手なことばかり考えます。高い知能は豊かな想像力を生み、豊かな想像力は死の恐怖を生み、死の恐怖は宗教を生み、宗教は平和と争いを同時に生み出しています。そんなことをしている生物はヒトだけです。百獣の王であるライオンは神や祖先を拝んだりしません。しかし、万物の霊長である人間はそれをします。人間は余計なことを考えすぎます。死について考えるひまがあったら体を動かしましょう。

遺伝子に殺される老人福祉のない原始社会では働けない高齢者の存在は負担でした。しかし、そんな原始社会では高齢者人口は自然減少していたのでその負担は重くありませんでした。医者も薬もない時代、病気を治すのは呪術師の仕事でしたが、実際に治すことができたのはヒトの免疫力だけでした。人の免疫力は原始時代も現代も、40代になると自然に低下します。医療のない原始時代、40歳を過ぎた高齢者たち•••••は免疫力の低下とともに自然に死んでいきました。自然に免疫力が低下した?自然に死んでいった?いいえ、ちがいます。自然にそうなったのではありません。これこそ遺伝子の仕業です。先に触れたとおり、遺伝子は人間に乗っています。そして、乗り物である人間が40歳を過ぎると、遺伝子は人間の免疫力をわざと下げて、わざと病気に負けるように仕向けます。まるで中古車のオーナーがわざと車を修理をしないで、わざと車検を通れなくして車を廃車にするようなものです。それは、次世代という新車に早く道を譲るためです。人類全体の良き未来を望む遺伝子は、子孫繁栄を唯一最大の目的にしています。遺伝子にとって、社会的な役割を終えたヒトが社会に多く存在することはそれこそ死活問題です。働くことのできない高齢者の世話に手間がかかって社会全体が疲弊したら種の存続に関わります。人類全体にとっては体力の衰えた高齢な個体は早く死んでくれた方がいいに決まってます。そこで遺伝子は、40代以降になるとヒトの免疫力を急激に低下させ、病気に勝てなくするのです。ヒトが進化できたのは、遺伝子がこのやり方をずっと続けてきたからです。おかげで世代交代が順調に進み知性が進歩していきました。もちろんいまでも遺伝子はこのやり方を変えてはいません。現代でも高齢者がちょっとした病気で命を落とすのはそのせいです。インフルエンザで亡くなる多くがお年寄りです。あえて比喩を用いれば――遺伝子は私たちを殺そうとしています。自然界において長寿は子孫繁栄の妨げだからです。社会貢献を終えた者はなるべく早く死ぬことが最後の社会貢献でした。

きろう「姥捨て山」のような「棄老伝説」、つまり「お年寄りを地域の共同体から排除する言い伝え」は、アフリカ、アジア、ヨーロッパなど原始時代からよく栄えた地域に多く残されています。日本で「爺捨て山」でなく「姥捨て山」の伝説として語り継がれたのは、女性の方が男性より長寿だったからでしょう。男性の多くは捨てられる前にすでに死んでいたのでしょう。昔も男性より女性の方が長寿だったはずです。主に女性が育児をするから、というのもその理由のひとつです。原始より現代まで、遺伝子の最大の関心事は子孫繁栄です。その役割の担い手は主に女性です。ですから、遺伝子は女性を長生きさせました。もちろん、男性にも「獲物を狩る」とか「組織をまとめる」といった仕事はありました。社会を成り立たせるためにはそれらも重要な仕事です。しかし、子孫繁栄を第一とする遺伝子にとっては、そんな仕事より育児の方がよほど重要です。遺伝子にとっては原始時代も現代も変わりません。だから、長生きしたかったら、男性も子や孫の世話をすればいいのです。「イクメン」や「イクジイ」は長寿の秘訣です。健康な体の中では、正常な細胞が正常な世代交代を繰り返しています。胃の細胞などはおよそ24時間でそっくり全体が入れ替わると言われています。体内では古い細胞はどんどん死んで、新しい細胞がどんどん生まれています。人体を若々しく健康に保つためには、細胞ひとつひとつは早く死ぬべきです。正常な細胞は自ら死滅し、そこに新しい細胞が生まれます。これが、新陳代謝です。それは「個人の死と人類の進化」に奇妙なほどよく似ています。「2つだけの心がけ」には、この細胞の生まれ換わり••••••のサイクルを早める働きがあると思われます。かんたんに言うと、新陳代謝が活発になる、ということです。プロテインシェイクをたくさん飲んでも必要以上に筋肉や贅肉が付かないのは、余ったたんぱく質は「蓄積」ではなく「交換」に使われるからだと私は考えています。プロテイン=たんぱく質が毎日大量に摂取されていると、やがて人体は「飢餓に備える必要はない」と判断します。すると、不要な細胞の「交換」のサイクルが早まります。原始から過酷な環境と戦い続けてきた人体には、余った脂肪と炭水化物は体内に溜め、余ったたんぱく質は古いたんぱく質と換える、というシステムがあると考えられます。

逆に、運動不足でたんぱく質不足の体内では、少しだけ摂取されるたんぱく質は大事に大事に扱われます。少し壊れただけの細胞や少し古いだけの細胞はまだ使われます。新品を買う余裕がないので修繕しながら使い続けているようなものです。いわば「たんぱく質貧乏」です。しかし、「第1の心がけ」を心がけている体内は「プロテイン・リッチ」になり、同時に「第2の心がけ」を心がけることで、新品の細胞に交換されるサイクルがどんどん早まります。髪も爪も皮膚も内臓も筋肉も、その細胞はちょっと古くなったら、ちょっと壊れたら、すぐ「交換」です。人はそれを「アンチエイジング」と呼びます。「2つだけの心がけ」で私はいまそれを実感しています。

遺伝子はわざとミスを犯す家電も細胞も、交換でなく修理で対応すると調子が悪くなります。飛行機事故などではよく過去の修理箇所が原因として疑われますが、人の体内では細胞の修理箇所はガン化する可能性が高まります。胃や腸にポリープが見つかると、お医者さんが「いまは良性ですが、放っておくとガンになることもありますから、今のうちに切ってしまいましょう」と言うことがあります。小さいポリープは放っておかれることもありますが、「経過観察」という定期的なチェックが必要になります。ガン化していないか見張るわけです。私は20年以上前から胃にポリープがあり、ここ数年は毎年、胃カメラで見張っていました。小さいものがたくさんあるそうです。お医者さんには、「一度できたポリープは基本的にはなくならない」と言われていました。ところが、昨年、私のポリープは減っていました。おかげさまで今年は久しぶりに胃カメラではなくレントゲン検査になりました。ところで、ガン化する、とはどういうことかご存じでしょうか?ガン化とは細胞が死ななくなることです。先ほど述べたとおり、正常な細胞は自ら死滅し、新しい細胞と生まれ換わ•••••ります。ところが、高齢になると体内に死なない細胞が出現することがあります。ときには幼いこどもや若い人の体内でもそれは発生します。正常なコントロールから離れて勝手に増殖し続けるようになった細胞。それが、ガン細胞です。ガンの発生は「遺伝子のミス」などと言われます。しかし、遺伝子が人類の進化を望んでいるとしたら、その「ミス」は故意です。遺伝子はわざとミスして特定の細胞を死ねなくするのです。死ねなくなった細胞はまるで自分の意志で増え続ける「別の生き物」です。古くなった「乗り物」を破壊するために遺伝子から永遠の命を授かった「悪性新生物」。それが、ガンです。50歳過ぎても死ななくてよい社会が実現したことを知らない遺伝子は、勝手にガンを発症させて人を殺し、運動が不要になった現代社会の到来を知らない遺伝子は、勝手にエネルギーを作りすぎてヒトをだるくさせています。

現代人はそんな遺伝子の勝手に抵抗しなければいけません。医師は遺伝子というまさに「身内」の裏切りを決して許しません。近年の「ガン幹細胞」の研究や「血液検査によるガンの早期発見」は「ガン撲滅」という現代人の夢の実現にすでに道筋をつけています。人類は早くもガンに勝利しつつあります。ガンだけでなくエイズや脳梗塞や心筋梗塞も近い将来、治療法は確立されます。すると、どうなるでしょう?超高度な医療の発達は、超高齢社会をもたらしました。しかし、超高齢社会は永遠に続くわけではありません。むしろ、この時代はあっという間に終わります。超高齢社会の次には「多死社会」が来ます。医療がいくら進歩してもヒトはいつか死にます。大勢の高齢者が亡くなり、人口の急激な減少が起こります。そして、少子化に歯止めがかからなければ、高齢者も若年層もこどもも、全世代が少ない超少人口社会が訪れます。少人口社会については、かつて労働力不足が心配されていましたが、もしかしたらそれは取り越し苦労かもしれません。最近ではむしろ、AI(人工知能)に仕事を奪われて働き口がなくなることの方が心配されています。この超少人口化への移行は日本で最も顕著に表れることが予想されています。それは日本民族の存亡の危機であり、日本人の遺伝子の滅亡の危機です。そのとき、日本人の遺伝子はどうするのでしょう?子孫繁栄のために緊急対策を講じるでしょうか?双子や三つ子の出産率が増加する?かもしれません。超高齢出産が可能な母体が増える?かもしれません。高齢者をガンで「殺す」のをやめる?かもしれません。しかし、現状はちがいます。いま、遺伝子はなんとかして多すぎる高齢者を「殺そう」としています。その結果、ガンの発生率と運動不足が増加しています。「運動不足は高齢者の死亡と関係ないでしょう」そうおっしゃる方もいるでしょう。いいえ、大いに関係あります。

運動不足によって高齢者は亡くなります。先に触れたとおり、WHOはこう勧告しています。「近年、身体不活動は全世界の死亡者数に対する4番目の危険因子として認識され始めている。」

運動不足で死ぬ世界一速く超高齢化している日本に運動不足人が多いのはなぜでしょう?ご長寿を好ましく思わない人類の遺伝子にとって、世界最長寿の日本は世界一やっかいな国です。医療水準も世界最高レベルの日本では、やがて遺伝子はガンでヒトを「殺す」こともできなくなります。そこで、遺伝子は新たな作戦を開始したのです。それが、運動不足です。せっかく運動しよう思い立ったのに、やっぱり「めんどくさい」と続けられなくなります。それが遺伝子の新たな作戦です。世界的にも勤勉なことで知られる日本人なのに、運動に関してはなぜか怠けてしまいます。なぜか?そう、それは遺伝子のせいです。いまのところ、奴らの作戦はうまくいっています。なにしろ、運動不足人が国民の8割に達しているくらいですから。運動不足人は、まさか「めんどくさい」が「死」に直結しているとは思いもしません。しかし、運動不足は「生活習慣病」の直接の原因であり、「生活習慣病」はいまや日本人の主要な死因となっています。遺伝子は日本人に気づかれないようにとても慎重にこの作戦を実行してきました。この作戦は絶対にバレてはいけないからです。もしバレたら、ヒトは運動をしてしまいます。いいえ、「運動」なんかしなくてもいいのです。適当に体を動かされただけで、この作戦は失敗です。ヒトに動かれたら、せっかく溜め込んだ活性酸素はあっという間になくなります。活性酸素がなくなると、ガンにもロコモに生活習慣病にもなりにくくなり、ヒトは死ににくくなります。そうなったら超高齢化に歯止めが効きません。遺伝子はそれを望みません。だから、ヒトが運動しようとすると、遺伝子がその「やる気」を削ぐのです。私たちがなかなか運動する気になれないのは、自分のせいではありません。それは遺伝子のせいです。あなたを早く死なせたい遺伝子は、あなたの「やる気」をくじこうとしています。だから、「やる気」はそうかんたんに出ないし、出続けません。

だから、「やる気」に頼ってはいけないのです。「やる気」なんかなくたってできることをすればいいだけです。なにも考えずに適当に体を動かすだけです。グーパーでも、首を傾げたり、伸びをしたり、振り向いたり、足踏みするだけでもけっこうです。最近、貧乏揺すりも健康にいい運動として注目されています。「やろう」なんて思わずにできる「動き」をしましょう。「はじめる」ではなく「する」です。最初は足りなくても、続けているうちにいつの間にかそれは足りてきます。いいえ、「続けている」なんて思わず、ただ「する」です。ただすれば、いつかそれは充分な「運動量」に達します。それが自由体操です。

運動不足が痛くない理由しかし、あなたの健康を損ないたい人類の遺伝子はそれさえも阻止します。遺伝子は自由体操さえ容易にさせてはくれません。自由体操を心がけているつもりが、うっかり忘れてしまいます。ふと思うでしょう。あれ、しばらくじっとしていたな、と。「体を動かす」と書いた付せんを部屋のあちこちに貼っておくのもいいです。これは効きます。忘れずに体を動かすようになります。とはいっても基本は適当です。一生懸命でも真剣でもありません。そうこうしているうちに、体は自然に動くようになります。体が動かすことに慣れてきます。すると、じっとしていることがもったいなくなります。そうなれば、もう付せんは要りません。しかし、油断は禁物です。遺伝子はあの手この手で私たちを運動不足にします。たとえば、本書を読んでいるあなたの中の遺伝子はあなたの耳元でこう囁くかも知れません。そんなの効かないよ。本書ももうすぐ終わりです。ここまで読んで頂いたあなたがもしそんなことを思っていたら、それはあなたの中のかなり手強い遺伝子があなたを早く殺そうとしているからです。遺伝子は長期戦に臨んでいます。いまは健康だから大丈夫と言うあなたにも、何年か何十年かあと、しっかりツケ••が回ってきます。「ロコモ」は、高齢者に起こりやすい運動器の障害です。しかし、その原因は何十年も前から溜め続けた運動不足です。30代から少しずつ溜めた運動不足は、40代で「だるさ」になり、50代で「病気の兆候」になり、60~70代で突然「痛み」になります。「痛み」は遺伝子の最後の切り札です。

なるべく「痛み」を伴わずに健康不調を進行させるのがこの作戦の極意です。長期戦かつ隠密作戦です。運動不足だと自覚していても「だるさ」の解消を怠れば「だるさ」に紛れた「病気の兆候」に気づくことはできません。「病気の兆候」に気づかなければ「痛み」という自覚症状が現れるまで運動不足人は本気で運動しません。そして「痛み」を感じたときはすでに手遅れ、というのが遺伝子の狙いです。「痛み」が出るまでずっと運動不足だったヒトは、残念ながら遺伝子に降参するしかありません。長年の運動不足によって体中に溜められた活性酸素は、その頃までには体中のあちこちですでに細胞をボロボロに劣化させているでしょう。そうなると「ロコモ」です。そして、「歳だから」という勝手な解釈でロコモを受け入れてしまえばもうおしまいです。ロコモによって日常動作が大きく制限され始めても「しょうがない」と諦めてしまう。そして、動かしづらいために、いちだんと動かさなくなる。そのうち、一カ所だと思っていた「痛み」は、体のあちこちに出てきます。まるで「痛み」の同時多発テロです。あっという間に、体のあちこちが痛くなってさらに動けなくなります。動物にとってこれほど恐ろしい話はありません。「動く物」である「動物」は動けなくなったら最期です。歩けなくなった野生動物は真っ先に敵の餌食になりますが、歩けなくなったヒトは一気に衰えが進みます。だから、ヒトは歳を取ると歩こうとするのです。高齢者のウォーキングはただのブームではありません。それは、老いた動物である自分がどのくらい歩けるのかを確かめるための本能的な行動で、まだ動けることを自らに証明する目的があります。いえ、自分の遺伝子に「自分はまだ社会の役に立つ」と訴えたいのかもしれません。たった10年先にガンが完治する世の中が待っているかもしれません。しかし、運動不足やロコモのせいで足腰が弱っていたら、せっかくガンが治っても残りの人生を元気に楽しく過ごすことはできません。死ぬまで元気でいましょう。健康寿命を延ばしましょう。健康寿命を延ばすには、いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かすだけです。

踊る阿呆は長生きできる遺伝子にはもうひとつ、日本人にバレないように進めている大作戦があります。それは糖尿病です。遺伝子は運動不足と糖尿病の関係をうまく利用して二つの作戦を同時に進めています。諸外国に比べて日本人の糖尿病は運動不足に起因する割合が多い、という話は先に述べましましたが、国内で糖尿病死亡率ワースト1位の県は予想通り運動不足の県です。それは徳島県です。徳島県民の1日当たりの歩行数は、全国で最も多い兵庫県民より1000歩も少ないのです。ちなみに兵庫県には日本有数のご長寿地域が多くあります。さらに、なんと徳島県民は野菜の摂取量が全国ワースト1位です。糖尿病は血液中に糖が増える病気ですが、糖が増えると老化の元凶であるあの活性酸素も増えます。活性酸素をやっつける「抗酸化物質」を豊富に含む野菜の摂取量が国内最低なのですから、この結果はやむを得ません。運動不足と野菜不足では糖尿病の割合が高くなるのも当然です。糖尿病死亡率ワースト1位が14年連続した徳島県はいま、行政の指導で運動不足の解消を目指しています。徳島らしく「阿波踊り体操」というのも考案されていますが、体を動かすならなんでもけっこうです。四百年の歴史を誇る阿波踊り発祥の地でいま、運動不足が深刻な問題になっています。「踊る阿呆に見る阿呆、おなじ阿呆なら踊らにゃ損々」のお囃子のとおり、踊れば健康によく、じっと見ていれば老化が進むだけです。徳島県だけでなく全国でいま糖尿病が増えています。日本では特に「隠れ糖尿病」が問題になっています。糖尿病が恐ろしいのは自覚症状がなくても、突然に重症化するところです。ヒトが気づいたときには手遅れ。似たような話をさっきしたばかりですね。そうです、それは運動不足がロコモを発症させるのと同じです。このやり口は遺伝子がヒトを「殺す」ときの常套手段です。他にも恐ろしい共通点があります。糖尿病は自覚症状なく進行した後、突然に失明や脚の切断に至るほど重症化します。つまり、動くことが困難になります。奇妙なことにこれもロコモと同じです。先に述べたとおり、移動のトラブルは動物にとってすなわち死を意味します。野生動物は天敵の餌食になり、ヒトは点滴の治療を受けるかもしれません。医療によって一命は取り留めたとしても、遺伝子にいちど死を宣告された体では、残りの人生を心おきなく楽しめません。ガンや糖尿病を克服しても、運動不足に冒されていたらダメです。死ぬまで元気でいなければ人生おもしろくありません。そのために、健康寿命をめいっぱい延ばしましょう。そのために、とにかく運動不足を解消しましょう。それには、遺伝子の命令に背くことです。こどもは健康に成長するため、遺伝子の命令に従っていれば良かったのですが、中高年になって同じことをしていたらダメです。50歳を過ぎて遺伝子の命令に素直に従っていたら、早死にさせられるのが落ちです。思い返してみてください。「めんどくさい」と感じることほど、本当は「やったらいい」ことのはずです。病気でもないのに、体を動かしたくない、と感じるときがあります。そんなときこそ、あえて動かしましょう。少しでも。適当でも。自由体操です。「無意識」に、する。「やる気」を出さず、する。ただ、する。

「自由」とはなにか?最後に、改めて「自由」について考えます。広辞苑には「自由」について次のような説明があります。じゆう【自由】心のままであること。思う通り。自在。(古くは、勝手気ままの意に用いた)すなわち「自由体操」は「心のままの体操」です。「心」の言うとおりに、「体」を動かすだけです。他人のアドバイスを参考にして頂いてもけっこうです。しかし、それはあくまでも参考です。どう動かすかを決めるのは、あなた自身です。自由とは、「思う通り」です。自由の前提にはあなたの「思い」があります。自分で思う。自由に思う。運動に時間をかける必要はありません。あなたが「いい」と思えばそれでいいのです。それが2、3分なら、2、3分でいいのです。いいえ、2、3回でも。1回でも。じっとしているよりずっとましです。それさえできないほど疲れていたら、目を閉じて眠ることです。体力の回復には睡眠が一番です。自由体操なんかしてないで、さっさと寝てください。村上春樹さんの著書「色彩をもたない多崎つくると彼の巡礼の年」には、こんなせりふがあります。「おれたちはみんなそれぞれ自由を手にしている」

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