ダイエット指導

「はっ」と息をのむ。そんな瞬間が人生の中でどれだけあるだろうか。また、その瞬間をどれだけ見逃してきただろうか。忙しい生活の中で目紛しく時間だけが過ぎていき、感動を覚える瞬間やインスピレーショナルな瞬間を認識する人間らしさのようなものを失いかけてはいないだろうか。その一瞬が人生に大きな影響をもたらすこともあるのだ。不意打ちを喰らうように、筆者には突如としてその瞬間が訪れた。知人に誘われたフラダンスの発表会での出来事だ。何気なく鑑賞していた筆者は、あるフラ指導者の演舞に一瞬にして引き込まれてしまった。ハワイアン・ミュージックが醸し出すトロピカルな旋律に合わせ、フラダンス独特のヒーリングやアロハスピリットと共に、ステージ上で一人、スポットライトを浴び踊るその姿に、単に「感動」という言葉では表現できない、意識・覚悟・気迫・信念と言ったその人物の「魂」を感じ取ってしまったのだ。その人物とは、都内四カ所でフラ教室(ミズフラスタジオ)を運営する知美先生である。本記事「美しく優雅にエレガントに」は、彼女のライフストーリー(半生記)であり、ワークスタイル(女性が強く美しく働く姿)を綴った本でもある。先に「不意打ち」という表現をしたのだが、そもそも筆者はフラダンスのもたらすヒーリング効果やフィットネス効果について、また、フラ愛好家が増加している背景などを取材する目的でその発表会に足を運んだ。しかし、取材目的が吹っ飛ぶくらいの衝撃を覚え、それが果たして何なのかという物書き特有の興味が湧いてきたのだ。単純にフラそのものに向けていた関心が、人をここまで引き付けるフラを踊る「一人の人物」へと向けられてしまった。すぐに先生に取材を申し入れ、数ヶ月にわたる取材に応じてくれた。最初の取材時に「彼女の口から放たれたある言葉」に確信を得て、単に記事を書くだけでなく、多くの読者に届けられる書籍にしたいという欲求となった。冒頭で述べた「一瞬」は、筆者の執筆活動に大きく影響した瞬間でもあった。本記事を、フラを愛する愛好家には勿論、フラ未経験の多くの読者にも贈りたいと願っている。しかし、そのあまりにも深淵なフラの真髄には筆者の筆力では到底辿り着けないことを自覚している。だが、そのフラの魅力に虜にされた一人の女性に着目し、本記事の題目となった「美しく優雅にエレガントに」をモットーに人生を生きる彼女のライフストーリーが、性別に関わらず一人でも多くの読者に深いインスピレーションをもたらすことを願っている。また、彼女のワークスタイルは、職業は違えど管理職の立場にある女性や、リーダーシップをとるべき立場にある女性には多くのヒントをもたらしてくれるとも考えている。女性の読者には、男性視点で描写される女性像には多少の違和感を覚えらえることはご容赦願いたい。多くの女性が活躍するこの時代に、無恥にも「女性かくあるべき」などと曰うつもりは毛頭ない。ただ、読者の皆さんも本記事を読み進めることで、取材中に筆者が辿った彼女のライフストーリーを辿っていただきたい。そうすることで筆者がなぜ本記事をしたためることになったかはお分かりいただけるだろう。さて、「彼女の口から放たれたある言葉」については、次章で述べることにしよう。

美しく優雅にエレガントに

発表会に誘ってくれた知人の仲介で、ミズフラスタジオの知美先生と丸の内のカフェで待ち合わせをした。当初は、フラ愛好家の動向を伺うことが取材目的だったのだが、序章で述べたように、優雅にフラを踊る姿に感じた、その人物の魂のようなものに関心は向けられていた。その人物と会ってみて、それが筆者の勘違いだと思えたら、ごく普通の取材で事を済ますつもりでいた。同時に、「はっ」と息をのんだ、その瞬間のミステリーとも言うべきか、インスピレーションは果たして何だったのか、物書きの心はそれを探る探究心をひた隠すことで精一杯だった。待ち合わせの時間に少々遅れてきたその人物は、特に悪びれることなく、ステージ上の演舞同様、堂々とした雰囲気で席に着いた。ある意味、期待を裏切らない人物だった。起業家・実業家・芸術家・漫画家・作家・新聞記者・写真家・編集者・教師等の面々と仕事柄お付き合いをしているが、何かに秀でる人物は一様に強烈な個性の持ち主でもある。この日本で強烈な個性というものは、時に誤解されたり疎まれる原因になるが、欧米では、個性のない人はその存在さえ認めてもらえないことにもなりうる。特に、「和」や「協調性」を重んじる日本社会では、それを劇物であるかのように扱われたりすることもあるが、他者と協調することだけを重視する社会というのは、貧弱で希薄な人間関係が構築される原因であると筆者は考えている。こういう社会背景からコミュニケーション障害なるものが若い世代に蔓延しているのかもしれない。20年前に比べると遥かにコミュニケーションツールは進歩し、ネットを通じて24時間、誰とでも何処にいても繋がることができる。スマホ依存・ネット依存の度合いが増す一方で、コミュニケーションに悩む人の深刻さも増している。こういう人は、対面を恐れるあまり、個性を殺しているのかもしれない。それが協調性だと信じて。筆者はそう考えない。先に強烈という言葉を使ったが、それは前述したような日本社会の中だからであって、個人主義の社会ではごく普通のことである。大物感という言葉も使ったが、それはこの人物が大物ぶっているという意味ではなく、ごく普通に自分のありのままを表現できる人という意味である。話を本筋に戻そう。取材初日、時は2014年11月。巷では「アナ雪」のサビのフレーズを猫も杓子も口ずさんでいた。ありのままの自分に解き放たれたヒロインのように、その人物は颯爽と筆者の目前に登場し、開口一番ありのままの自分を晒け出すように言った。「フラに人生を捧げることにした。」これが「彼女の口から放たれた言葉」であり、息をのむほどに感じた気迫の源であり、筆者が記事ではなく、本記事を書き綴ることになった理由なのだ。フラに捧げた人生実は、「フラに人生を捧げることにした。」という言葉に、筆者は圧倒された。読者も想像してみてほしい。自分がしていること何でもいい。仕事でも、趣味でも、何でもいいのだが、そんじょそこらの覚悟で「人生をそれに捧げる」などというフレーズを口にはできないはずだ。普段だったら軽く聞き流すのかもしれないが、発表会で感じたあの一瞬の中に、この言葉に見合う何かを感じていた筆者にとって、妙に説得力のある言葉として腑に落ちた。9・11世界貿易センターのテロ以降、ある一人の少年がセスナに乗って、タワーマンションに突っ込んで自殺するという事件が起こった。アメリカ航空局はテロ再発を警戒していて、領空域のセキュリティーを高めている時だった。テロ再発かと、にわかに騒然とする報道陣が国防省の報道官に質問をした。「なぜあの少年はあれほどの警戒網を掻い潜ることができたのか」の問いに対し、「死を覚悟した人間を容易に阻止することはできない」と答えたのだ。驚きだった。この少年の覚悟は残念ながら否定的な方面へ向けられてしまったのだが、筆者の取材対象者のそれは、人を前のものに駆り立てるに十分な気迫となって表れていた。筆者の場合、それは単に記事を書くことでは済まない、本記事を書きしめたいという欲求、しいては一人でも多くの読者が彼女のライフストーリーから何かを読みとり、自分の人生に役立ててほしい、彼女のワークスタイルから何かのヒントを得て、自分のビジネスやマネジメントに生かしてほしいと思うようになった。「人生を捧げる」とは「自己犠牲」であり、捧げる対象に自己に勝る魅力や価値を見出していなければ、そうできない行為である。フラに人生を捧げることにした彼女は、フラにそれだけの魅力や価値を見ているということだ。これがフラを踊る表現者として、また、フラを教える指導者としての、ありのままの自分の心境を言い表した言葉であり、臆することなく恥じることもなく、フラを愛し、フラに生きることを言い放つその大物ぶりに、ある意味、筆者は惚れ込んでしまった。日本人でもできるという意地単刀直入に、その気迫は何なのかと問うてみると、屈託なく、「日本人でもできるという意地だねぇ。」と、これまた意表をつく発言だった。思わず吹き出してしまった。というのも、先生はフラを踊っている時は言うまでもなく、高身長で、見栄えする、いかにも表現者らしい、美しい女性である。普段の仕草も優雅で、並以下の筆者が気後れするようなエレガントな女性である。そんな女性から「意地」なんていう言葉を聞こうとは。「意地ですか?」と、取材の仲介をしてくれた知人(ミズフラスタジオの生徒さんの一人)と顔を見合わせて笑ったのだった。でも、「意地」という言葉、嫌いではない。筆者は1971年生まれで、根性とか意地とか精神論者がウヨウヨしていた上の世代と、バブル崩壊後の不景気の中で育った下の世代の狭間の世代であるので、精神論も、ゆとり世代の悟りも許容できる範疇なのだ。フラの本場は言わずと知れたハワイである。ハワイアンのクムフラ(フラ指導者)に師事することは一つのステータスでもある。クムフラの活動の場となっているのが、フラ愛好家人口が高い日本なのだ。フラの精神土壌をもたない日本人のフラに精神性が感じられないのは当然のことなのだが、無意識とは言え本場のクムフラの日本人に向けられる眼差しは暖かいものばかりではない。そんな冷ややかな視線の反動ではないと思うが、先生の「日本人でもできるという意地」発言には、先生のそれなりの思いが込められている。「和魂洋才」という言葉があるが、日本古来の精神を大切にし、西洋の技術を受け入れ、それを調和させ発展させるという意味である。和魂洋才などと大袈裟なことではないかもしれないが、美しく踊る技術を学びつつも、日本人が持つ美徳や美意識を大切にして、日本人が踊るフラ、日本人だからこそ表現できるフラがあってもいいではないかと思う。日本人は日本人なのだから、どう転んだって洋魂洋才にはならない。強烈な個性は他者になろうとすることから失われていく。物真似は本物の前には歯が立たない。本来の自分の個性を大切にすることから、本物の自分の姿を晒け出すことができるのだと思う。たとえそれが意地であっても、大切な自分が失われてしまうより遥かに良いのだ。これは表現者だけに限らず、人生のどんな局面でも直面すべき事柄なのだ。意地でも、自分が追求する美しさ、優雅さ、エレガントさを失いたくないという決意にも聴こえた。美しく優雅にエレガントに先生は表現者として、気迫や覚悟という強さの中に、独特の美しさを体現する。独特と述べる理由が二つある。一つ目の理由は、メンタルの部分の美しさだ。彼女は、絶対に他者に媚びない、いっさいの妥協を許さない、言わば孤高の存在感を舞台衣装として纏っているように踊る。数ヶ月にわたる取材を経て、筆者は、彼女が自分の演舞に絶対的な自信を持っていると考えている。それは自信家特有の傲慢とは異なる。自信家のそれは単なる自惚れである。誰もそのような自信を評価しない。また、自信の無い人は、人の評価を恐れて、媚びを売る。しかし、絶対的な自信は、不安や恐怖を打ち消すだけの努力と鍛錬に裏付けられている。多くの人が、舞台は違えど其々の戦いの途中で、不安に耐え切れず妥協しているだけなのかもしれない。初めは誰もが戦い抜くだけの覚悟を持って参戦するのだが、永遠に続くかのような戦いに、いつしか耐え切れなくなって心が折れてしまう。裏を返せば、彼女も不安や恐怖を感じているということだ。しかし、一人でその恐怖と戦っている。実際、取材中に彼女が何度も不安と対面していることを口にするのを聞いた。しかし、それを克服するだけの努力と鍛錬を重ねている。だからこそ、媚びない、美しさを感じるのだ。誰もが承認欲求というものを持っている。誰かに認められたいという欲求は、目的を果たす時、自己確立に役立つものかもしれない。だが、決して絶対的な自信には繋がらない。目的を果たせなければ、自信喪失に陥る。人の評価というものは時に移り変わりの激しいものであるので、承認欲求を基礎にした自己確立は不安定なものとなるのだ。不安と恐怖を打ち消すだけの努力をしたアーティストだけが纏うことのできる絶対的な自信という衣装を着た人には、特有の美しさがあるのだ二つ目の理由は、テクニカルな部分で、その独特さがバレエに由来するということだ。幼少期からモダンバレエをやっていた。他の子達よりも四肢が長く目立っていた彼女は特別指導を受けることも多かった。この時、バレエの美意識を叩き込まれた。バレエでは指先の細微に渡って美しさを要求される。彼女は究極的な美をバレエに置いている。バレエとフラは技術的な部分での共通点は必ずしも多くはない。特に下半身の重心や軸は対局にある。また、ダンスの起源も大きく異なる。フラはハワイに土着した宗教儀式から派生したものであり、現代では庶民的な踊りとして親しまれているのに対し、バレエはルネッサンス期のヨーロッパ貴族の宮廷のダンスに由来する。しかし、上半身の使い方はバレエに習う部分がある。特に手先の動きに関しては、フラダンスの範囲で、バレエに見られる美しさが表現されるようにしている。この独特の美しさが知美先生のフラを固有のものとし、また、それが独自のスタイルとなっている。本記事のタイトル「美しく優雅にエレガントに」は、彼女のフラ指導者としてのモットーであり、表現者として美しい姿勢で踊ることと共に、フラを通して内面的にも美しくあることができるように指導する。次章では、彼女のライフストーリーに触れていきたいと思う。この独特の美しさへの追求が生まれた背景を辿っていくとしよ

 

人生を捧げた女性のライフストーリー

知美は病弱な女の子だった。体調を崩しては幼稚園を休むことが多かった。性格的にもおとなしい感じの女の子で、人前で踊るなんて想像すらできない程だった。そんな知美を心配して母親が習い事をさせようと連れて行ったのが、バレエ教室だったのだ。人の成長や人生の成功というものは、ちょっとした事がきっかけで大きく左右するものだと思うが、この時の知美の母親の判断もそれに近いものがある。病弱だった娘の健康のために習わせたバレエが、後に、娘のライフワークとなるフラに繋がるのだから不思議なものだ。病弱でおとなしい娘の姿よりも、可能性や適正を見ていたのだと思う。権威者からどのような視点で観てもらえるかは、その判断を受ける側にとっては、その後の伸びしろと大きく関わる。特に、子どもにとって最初に出会う権威者は親なのだから、親の子に対する視点は、その後の子どもの成長や人生の成功と密接に関わってくる。バレエとの出会いこうして知美はバレエ教室に通うようになった。病弱だった知美はバレエを始めてから次第に健康になり、学校を休むこともなくなった。また、おとなし目の性格も、バレエを始めたことで明るくて元気な女の子に変身するのだった。他の子たちよりも高身長で手足も長く、目立っていたことで、ある発表会の主役に選ばれたのだ。先生から特別指導を受けることができたことや、主役として踊る経験をしたことが、知美を大きく成長させた。知美はこの時に、バレエの持つ美しさ、人前で踊る喜び、表現する楽しさを覚えたという。バレエとの出会いは、踊りの基礎を身に付けることができただけでなく、内面的な自信をもたらしてくれたのだ。天真爛漫な学生時代すっかり元気になった知美は、性格的にも明るく活発な子に豹変した。おとなし目の性格だった幼少期が嘘だったかのように、やりたい事や好きな事は何でも挑戦する子に成長していた。高校生の時には、先輩からダンスチームを引き継ぎ、ジャズダンスや創作ダンスをするようになった。通っていた高校は典型的な伝統校で、当時、ダンスチームは異色の存在だった。その中でもリーダーだった知美は、目立つ生徒でもあった。この頃には、自分の意志や意見をはっきり言うタイプで、やりたい事はやる、嫌なものは嫌と言う性格になっていた。封建的な学校の雰囲気の中でも、ダンスチームを存続させるだけでなく、仲間を増やしていけたのも、そのような知美の性格に起因する。フラ教室を運営するノウハウは、この時から身につけていったのかもしれない。ノウハウと言っても、この時はただ、踊ることが好きで、好きだから夢中になれて、周りの人間に影響を与えた結果としてのダンスチームということだったのだと思うが、チームやグループを継続的に発展させていく土台のようなものを据える時期だったのかもしれない。初めての挫折建設会社を経営していた父、銀行員の母、そして妹の四人家族で、比較的裕福な家庭に育った知美は、お嬢様育ちの世間知らずだったと振り返る。第三者から見たら、生意気な奴にしか映らなかっただろうと。しかし、そんな知美が初めて挫折を味わうこととなる。大学受験に失敗したのだ。一浪までしたのに、結局は滑止めで受けた私大の商学部に入学することになった。マーケティングやマネジメントなど専攻内容には大して関心を持てなかったが、交友関係には恵まれた。圧倒的に男子学生が多い学部でもあったし、バレーボール部のマネージャーをしたこともあり、さっぱりした性格の知美には居心地が良かった。大学時代に出会った仲間達が今でもフラ教室を支援してくれていることから、この時代の交友関係があったからこそ、今の知美があるのかもしれない。人生というものは実に面白く、不思議なものだ。挫折の向こう側で、必ず掛け替えのない宝物を発見することができる。知美にとっては、大学時代の仲間達こそ宝物だったに違いない。卒業後、知美は就職するのではなく、堅実な母親の助言もあって、建築・設計関係の専門学校へと入学した。筆者は、この展開には驚いた。前職が建築士のフラ指導者というのも大変興味深かった。上司の助言四年制大学を経て、畑違いの分野に足を踏み入れることは、とても勇気のいることだと思う。専門学校に通う知美は、夜中の2時・3時まで課題に取り組んで、とうとう二級建築士の資格を取る。彼女のフラへの熱意や努力は、こういうところで培われていったのだろう。目標を設定し、達成できるように努力を重ね、やり遂げてしまうのだ。人に主張できる人の背景には、必ずこういった努力や忍耐があるものだ。お嬢様育ちの生意気な娘にそんな努力ができるものかと正直思った。筆者は、どんな心境の変化があったのかと尋ねてみた。彼女が建築の世界に足を踏み入れた時期は、建設会社を経営していた父親の会社が倒産した時期と重なっていた。今まで裕福で何不自由なく暮らしてきた自分が、如何に世間知らずで、甘えて生きてきたかを痛感したのだ。突然、精神的にも経済的にも親に甘えることができなくなって、はじめて、自立して生きていかなければならないのだと悟ったのだった。知美は卒業後、ある設計事務所に就職する。約四年間、設計図と睨めっこしながら過ごした。特に、設計事務所の所長のもとで建築士として鍛え上げられた。建築士としてのスキルだけでなく、社会人として精神面も鍛えられた。この所長、普通のサラリーマンと比較すると、いっぷう変わり者で、異質な存在だった。知美と同期入社の社員は、所長と馬が合わず、会社を辞めてしまう者もいた程だった。しかし、知美は、この異色で職人気質の所長が嫌いではなかった。所長も、知美がどんどん仕事を覚え、吸収力があることに目を留め、色々な仕事を任せるようになった。建築士の仕事とフラには何の共通点もなさそうだが、知美のフラ指導が細微に拘って美を追求する理由は、建築士の仕事に由来するのだ。設計図が細微に正確でなかったら家など建つはずもない。フラの動作や徒手の角度や形に美意識を追求しなければ、美しく優雅でエレガントな演舞もできない。知美の踊りを見る目は設計図を見る目と同じように精巧なのだ。約四年間、努力し成長した知美を、ある時は厳しく、ある時は優しく見守ってきた上司である所長が言った言葉が耳から離れない。「君は、もっと華やかな世界で、自分の才能を活かすべきだ。」この時の知美には、よく理解できなかったかもしれないが、所長には今の知美の姿が目に浮かんでいたのかもしれない。知美は要所要所で、大切な人達に出会い、その人達の助言やアドバイスによって、自分の運命へと導かれているような気がする。幼少期の母親、大学時代の友人、そして、この上司の助言が、知美の運命〜フラ〜へと導くのだ。人生の転機知美は出会うべくしてフラに出会った。上司の助言の通り、自分の才能や創造性を活かすべきステージを見出すために。専門学校時代から数えると約6年間、設計図と向き合ってきた生活から、知美はようやく解放されて、「華やかな世界」へと足を踏み入れた。鳥籠から解き放たれた小鳥のように、知美はフラに没頭していった。設計図の平面的な世界に居た知美は、フラの持つスピリチュアルで神秘的な世界に惹かれたのかもしれない。知美の心にぽっかりと空いていた部分に、フラがすっぽりと入ったのだろう。自立しなければと堅実に生きてきた知美だが、この時を境に表現者としての生き方へシフトして行く。フラとの出会いが人生の転機だった。あれ程苦労して建築士になったのに、設計事務所を退職することにした。転職をして、フラを中心に生きて行くことに決めた。知美は何かの世界で一流になる素質を持っている。人が何かを得るためには、何かを捨てなければならない。知美にとってのそれは、安定した生活だったのかもしれない。まだこの時は自分がフラの指導者になるとは夢にも思っていなかった。だが、安定よりも挑戦を選択した。この思い切りの良さが、知美らしい。それは短絡的な選択ではなかった。フラを踊ったときに、自分にある可能性と、自分の本来の姿を感じ取ったのだ。知美は、そのタイミングを逃さなかった。誰もが天職に就きたいと思っているだろう。しかし、天職を得るには犠牲が伴うのだ。成功者は、陰で犠牲を払っている。傍観者は成功者の表面の業績だけを見て羨むのだが、陰の努力や犠牲を想像すらしない。犠牲を払いたくない人間には、転機どころか、挑戦権すら得られない。また、知美には犠牲を払うことに悲壮感はなかった。新しいことにチャレンジすることには、リスクも伴うのだが、その犠牲を払うことを惜しむ人には、成功も訪れない。この時期を振り返って知美は、「ただただ楽しかった」と言う。最初に出会ったクムフラ(フラ指導者)の元で、表現することの「楽しさ」を教えられた。フラを踊っているだけで、楽しかった。他の生徒達と気持ちを合わせて踊ることが楽しかった。身体だけでなく、心や気持ちが解放感ですっきりした。フラ特有のヒーリング効果は、知美の身体を癒し、感情や精神性を高めてくれた。知美がまだフラダンスの一生徒だった時に、フラが心を潤し、精神性を豊かにしてくれることを体験したからこそ、指導者となった今、多くの生徒達の踊りの美しさだけでなく、心の美しさについても語るようになったのかもしれない。人の弱さは外見を気にするところにあるのだろう。外見ばかりを気にするあまり、本質的なものを見失ってしまう。失った後で本当に大切なものが何であるかを気づかされる「後悔」を味わっているのは筆者だけではないだろう。知美は、最初に入門し「楽しさ」を教わったハラウ(フラ教室)を後にし、この「真の美しさ」を追求すべく挑戦を重ねていった。この後、知美は、数名のミスアロハフラのクムフラに師事することになる。人生の決断フラに出会ってから約10年間、一生徒だった知美は、フラダンサーとして成長していた。ミスアロハフラの指導を受けて、生徒としてだけでなく、指導者となる基礎を叩き込まれた。色んなイベントや大会に出場し、観せる喜びも体験した。師事した数名のクムフラ達はそれぞれ、年に一度、一人しか受賞することができないミスアロハフラ受賞者達であり、同時に全米各地にハラウを持つ実力者達でもあった。彼らに師事する機会は滅多には訪れない。彼らからフラの持つ精神性を学んだ。ダンサーとしての表現力だけでなく、その人間性に触れて、フラに人生を捧げた人たちの生き様を学んだ。後に指導者として歩んでいくようになる知美にとって、最も充実した時間だったのかもしれない。この時間があったからこそ、フラダンスを教える指導者として、生徒達がダンスを教わるだけでなく、フラを通して彼らの人生が豊かなものになっていく指導を心がけるようになったのだ。このようにフラダンサーとして最も充実していた時、フラ教室をはじめてみないかというオファーを受ける。突然訪れたオファーに一瞬戸惑うも、友人の知人からのオファーだったことと、スポーツ教室の一つのクラスだということもあって、この申し出を受けることにした。自分で一から始める教室だったら、もっと大きな覚悟が必要だったのかもしれない。しかし、一クラスを担当するということがハードルを引き下げてくれた。それでも指導者になるということには変わらないわけで、「この時」も決して簡単な決断ではなかった。フラを始めて数年後、大学の仲間の知人の男性と結婚していた知美は、家庭と教室を両立できるか不安もあったのだ。しかし、前述の「知美は出会うべくしてフラに出会った」は、このオファーが理由で書いたのだが、知美が指導するフラ教室に、みるみる生徒が増えていった。しかも、そのスポーツ教室の他のクラスは機能せず、結果的に知美が指導するフラクラスにしか人が集まらなかった。事実上、独立したハラウとなった。こうして知美が指導するハラウ「ミズフラスタジオ」は産声をあげた。知美はなるべくしてフラ指導者になったのだ。自分が選択したというより、「運命」がそうしたのだ。知美は30代という若さでフラ指導者として歩みだした。ミズフラスタジオには主婦層よりも、OLや社会でキャリアのある女性達が多く集まるようになっていった。このような生徒達が教室に通いやすいように、彼らの職場から近い場所にハラウを構えた。2年後には都内4カ所でハラウを持つようになっていった。知美が設計事務所で建築士として働いた経験や、親の会社が倒産し堅実に生きてきた体験は、社会で活躍する若い女性達を理解するのに大いに助けとなった。知美が10年もの間、一生徒としてフラを続けてきた経験から、これらの女性達が人生の色んなステージでフラを通して得られる何かを求めて通ってきていることも理解できた。生徒の立場からすると、自分の状況を理解してくれる指導者の存在は、このミズフラスタジオの大きな魅力として感じているのだろう。フラ指導者として4カ所のハラウで数十名の生徒達を指導するようになった知美は、忙しい中にも充実感を覚えていた。そんな知美に、ある大きな決断を迫られる時がやってきた。前述の「この時」は、これが理由なのだが。つまり、知美にとって「人生の決断」とは、ハラウを始めることではなかった。前述の通り、ハラウは運命的にスタートしたのだ。知美にとっての「人生の決断」は、8年間も人生を共にした夫との「別れ」だった。男と女の別れには他人がどうこう言うまでもなく、色んな理由がある。また、どちらかが悪くて、どちらかが正しいなどと言えるものでもない。二人の問題なのだ。そして、二人が責任をもって決断するしかない。知美はハラウをスタートさせてから、どんどん忙しくなっていった。夫と一緒にいる時間が少なくなっていることは、うすうす気づいていた。しかし、同時に、知美のフラを指導する熱は増していく一方だった。結婚後、知美が続けてきた福祉施設での慰問活動に夫も同行していたので、フラが多くの人々を幸せにできる、多くの人々の人生を豊かにすることができるという価値観を共有できていると思っていた。それだけに、犠牲を払うというには、あまりにも大きな犠牲だった。しかし、途中でハラウを投げ出すわけにいかなかった。家庭と仕事を天秤にかけたのでもない。ただ、自分の運命を信じて、フラに人生を捧げることを決めたのだ。今までの人生のあらゆるステージで、フラを通して知美は前進してきた経験があった。だからこそ、未来に何が待っているか分からないけども、ありのままの自分で生きて行こうと決断したのだった。生きがいを見つける挫折の向こう側で、必ず掛け替えのない宝物を発見すると述べたが、傷心の知美を癒したのはミズフラスタジオの生徒さん達だった。筆者がフラ指導者知美に関心を持つきっかけになったのも、序章で述べた発表会での生徒さん達の雰囲気だった。サークル的な緩い雰囲気ではなく、統率のとれた軍隊と言ったら大袈裟かもしれないが、少なくとも体育会的な雰囲気だったことは間違いない。フラ発表会なのに、である。フラ発表会と言えば、アロハな雰囲気で人々を癒してくれるようなイメージしかなかったが、ミズフラスタジオの生徒さん達のアロハの向こうに見え隠れする体育会的な「何か」が妙に気になった。それが何であるかは、数ヶ月後に誘われたミズフラスタジオ主催のメレフラパーティーで判明する。知美という指導者との「深い絆」がそうさせていたのだ。言わば、ひとりとして傍観者のいない、誰もが主催者であるかのような、指導者である知美を中心に一体感のあるフラ教室であり、生徒さん達だったのだ。そして、ミズフラスタジオを形容して、生徒さん達の誰もが「家族的」だと言う。疑り深い筆者は、最初はその言葉を信じなかった。「軍隊」と「家族」では、「水」と「油」である。「軍隊的な雰囲気を家族的と言える?」という疑問でいっぱいだった。こんな質問はしたくてもできないものだ。初対面なのに、失礼だからだ。でも、質問したい気持ちが交差してむず痒い。言い方を変えて、他の生徒さんに、「このミズフラスタジオってどんな雰囲気なの?」と質問してみた。すると満面の笑みで屈託なく「アットホーム!」と言う。もう質問する気は失せた。このメレフラパーティーの最後に先生がソロで踊ってくれた。筆者の疑問に答えてくれたのは、ソロでフラを踊る指導者を見つめる生徒さん達の「眼差し」だった。どう表現したらいいだろうか。「目は口ほどに物を言う」と言うが、生徒さん達のそれは、指導者への「尊敬」「信頼」「憧れ」のように感じた。誰ひとりとして注目しない者はいなかった。先生の指導力で統率が取れていると言っても間違いではないが、それだけでは物足りない表現のように思う。指導者から生徒への一方的な指導ではなく、より双方向的な繋がりを感じたのだ。フラを上手に踊れるようになりたいというだけでなく、知美という人物を尊敬し、信頼し、憧れているような眼差しだった。物書きとしての欲求が抑えきれず、市ヶ谷にある中級者のレッスンを取材しに行くことにした。そして、レッスン開始後1分で筆者のフラ教室のイメージは、音を立てて崩れ落ちることとなる。可愛らしかった生徒さん達が、筋肉を鍛えストイックに自分を追い込むアスリート達に見間違う程のレッスン内容だった。約2時間のレッスン時間なのだが、最初の30分は基礎体力を付けるために筋トレ、残りの1時間半は、基礎的なステップと、音楽に合わせた振り付けを繰り返す。その間の休憩は5分とない。筆者は今となっては影もないが、中学はバスケ部、高校はテニス部と体育会系で過ごしてきた。だから、このレッスンがどれ程のカロリーを消費するかは分かる。社会人がお月謝を払ってフィットネス目的で通うには、充分過ぎる消費量だ。しかも、容赦なく指導が入る。全員が「ドM」なわけでもないだろう。ひとり、弛んだお腹をした筆者は、そそくさと教室をあとにした。もうすっかり暗くなった市ヶ谷のお堀に沿って歩きながら、もう一度生徒さん達が口にした「家族的」という言葉を考えた。取材したレッスン内容と指導法からは、どうしても「家族的」という言葉に繋がらなかったからだ。自分だったらお金を払ってまで、あんな辛そうなことはしたくないと考えた。こんな年齢になってまで本職ではない事で厳しく指導されることにも居心地悪く感じるだろうとも考えた。そう考えた時、もう一度、パーティーでの生徒さん達の眼差しと、レッスン中の生徒さん達の目を思い出した。目が死んでなかった。かえって、生き生きしていたのだ。嫌々だったら、あんな目にはならない。そこで、自分がスポーツをしていた時の頃を思い返した。指導者や先輩が、ただ優しいだけの人は嫌いだった。かえって、厳しい人の方が、反発しながらも最終的には好きになっていった。その理由は、厳しい人が自分のことを良く見てくれていたからだ。だからこそ厳しく物を言えるのだとわかった。そして、上手になれば褒めてもくれた。つまり、「本音」で接してくれたのだ。家族には建前を必要としない。本音で付き合えるのが唯一家族だけなのかもしれない。家族の間でしか味わえない「本音」を、ミズフラスタジオの生徒さん達は先生から言ってもらっているのかもしれない。そして、生徒さん達も最初は戸惑いながらも、ちゃんと見てくれている指導者の声を「本音」として受け止められるようになったのかもしれない。本音を話すことは勇気がいることだ。誰も、嫌われたり誤解されたりすることを好まない。当たり障りない付き合いの方が楽だからだ。生徒さん達も職場や色んな人間関係で体験済みだろう。だからこそ、本音で向き合ってくれる指導者の気持ちと勇気に、尊敬や信頼や憧れを抱くのだろう。本来なら本心で付き合える関係や社会が真っ当なのだ。建前や嘘で雁字搦めになった我々は人間関係において疑心暗鬼になっている。だから、人との間に勝手に線を引いてしまっている。相手の気持ちだけでなく、自分の本心さえわからなくなってしまってはいないか。次章で触れるが、知美の「本音」は、彼女の働き方に色濃く表わされている。読者には、次章も読み進んでいってもらいたい。フラの指導で食べていく知美が集客だけを考えたら、先ずこのような接し方や指導法を選択しないだろう。だが、綺麗事が嫌いで、フラを通して人生が変わるという体験をしてもらいたいという願いを持つ知美は、自分にも嘘が付けない。ある意味、不器用な性格の持ち主なのかもしれないが、裏表のない性格は真意が伝わればこの上ない安心感になるのだろう。なるほど。ようやく生徒さん達が言う「家族的」という言葉の意味がわかってきた。そして、それは知美にとっても掛け替えのないものに違いない。本音で向き合った生徒達の僅かな成長でも、知美にとっては「生き甲斐」であり、ミズフラスタジオは知美にとっても「家族」を感じられる場所であり、人生を捧げるだけの価値があるのだ。あるクムフラとの出会い知美のフラ指導に筋金が入っているのには、あるクムフラとの出会いに理由がある。知美が師事したクムフラの一人カイウラニ先生との出会いだ。カイウラニ先生の踊りは、知美曰く、「人間とは思えない美しさ」がある。「この人には本当に関節があるのだろうか?」と思う程のテクニックがある。表現者として模範となるため節制をしてスタイルを保っていて、彼女の美意識の高さを学んだ。同時に、彼女の内面にも惹かれた。表面的には非常に穏やかだが、内に秘めた強さがあった。また、レッスン内容にしても、短期でやってくる多くのクムフラは、生徒受けする内容にするものだが、カイウラニ先生は違った。ステップの基礎練習を一時間も続けるなど、指導法も徹底していた。フラ指導に関して、自分が信じることに妥協しない芯の強さがあった。その熱意は知美を圧倒したし、彼女の内面の強さに「真の美しさとは何か」を学んだのだった。このクムフラのDNAは知美にしっかりと継承されているように思う。人は受けたものしか流し出せないものである。知美はカイウラニ先生に本音で向き合ってもらえたからこそ、それを今、同じように生徒達に接することができるように努力している。カイウラニ先生が示してくれた本当の美しさというものを、今、生徒達に体現できるように努力しているのだ。人生に役立つフラカイウラニ先生に出会ったことで、知美は、単にフラを教えるのではなく、フラを通して生徒達の心や人生が豊かなものになるのだという信念を持つようになった。カイウラニ先生の内面の美しさには芯の強さだけでなく、フラに対して、人に対して謙虚さがあった。決して傲慢な偉ぶった態度を取らなかった。壁にぶち当たった時、いつもカイウラニ先生の模範に帰ることができる。カイウラニ先生から教わったフラは、確実に知美の人生を豊かなものとしてくれている。フラ教室に通うようになる動機は人それぞれだと思う。フィットネスやダイエットが目的だったり、ハワイアンカルチャーが入り口となる人もいるだろう。目的や動機は違えど、フラを踊る人たちは一様に皆、明るい。筆者がフラに興味をもった理由はそこにある。暗い所よりも明るい所が好きなのだ。先生に出会って、筆者は「アロハ」の意味を初めて知ることがきた。アロハ(ALOHA)の、「A」は「Akahai(アカハイ)」で「思いやり」、「L」は「Lokahi(ロカヒ)」で「調和」、「O」は「’Olu’olu(オルオル)」で「楽しさ」、「H」は「Ha’aha’a(ハアハア)」で「謙虚さ」、「A」は「Ahonui(アホヌイ)」で「忍耐」を意味してアロハなのだそうだ。フラにはこのようなアロハスピリッツが流れている。だから、踊る人も観る人も癒されたり、明るくなったりするのだろう。フラは見た目以上にハードなダンスであることも初めて知ることができた。フィットネスやダイエット効果は相当なものがあるだろう。背筋や腹筋が引き締まって、姿勢がよくなる人が多い。確かに筆者が取材したミズフラスタジオの生徒さん達は皆、姿勢が美しかった。姿勢が悪いことで、体型が崩れると聞いたことがある。そういう意味では、フラは体型も良くしてくれる。体型が良くなり、自信がつく女性も多いのだ。そして、先生は、外見の美しさだけでなく、内面の美しさにもフラが波及するように心がけて指導する。生徒達に「自分の良い所を見つけてね」と声をかける。自分を愛せる人でないと、人を愛することもできないと言う。フラは自分の内面を磨く最善の方法の一つだと考えている。だから、「自分を嫌い」と言う人には、正直手こずるのだ。しかし、そういう人達が少しずつフラを通して自信がついたり、自分が好きになったりすると、見た目にも美しくなり、魅力的な女性に変身する。先生が目指すフラは、コンテストで優勝するためのフラではなく、自分のための、自分に益となる、自分を磨くフラにあるのだ。実は、ここにフラ指導者としてのジレンマは存在している。つまり、フラ指導者が経営に走ると、フラの真髄のようなものは失われ、フラ教室はカルチャースクール化してしまう。また、フラの真髄を追求するあまり、大衆受けせず、フラ教室の運営が心許なくなる。しかし、カイウラニ先生の教え子は腹がすわっていた。集客ばかりを考えるのを嫌った。陰口をたたかれることも前提として、自分が信じるフラを教えることに全精力をかける「覚悟」をした。そして今、ミズフラスタジオは数十名の生徒達を擁するハラウへと成長している。次章で、先生のワークスタイル(指導法や理念)について触れている。他分野で活躍する読者にも多くのヒントを与えてくれるに違いない。

 

人生を捧げた女性のワークスタイル

覚悟した女性は強い。そして、美しい。筆者は、先生が自分を成功者などと考えているとは思わない。かえって、自分が足りないこと、できないこと、発展途上であることを認めている。日々、生徒達にどう接し、教えるべきか苦心している。その背景には、起業するようにフラ教室を始めたのではなく、前述のように、自然発生的にフラ教室が始まり、短期間で成長し、言わば運命的にフラ教室を持つようになったからだと思う。なので、先生は経営者としてフラ教室を運営しているというより、独自のスタイル、フラに対する理解、指導法と理念によって突き進んでいると言った方が形容し易い。宣伝広告は無いに等しく、集客は口コミ頼み。経営組織は存在せず、一人で運営を行っている。しかもレッスン料は都内最安水準。気持ちがいいくらいに「シンプル」に運営されている。様々な経営セミナーや起業セミナーに参加する筆者は、著名な経営者の経営理論・マーケティング戦略・ブランディングなど、常にビジネストレンドを更新してきたつもりだ。それだけに、このシンプルなビジネス形態を目の当たりにして、マイクロビジネスの一つの成功例として観ることができると考えた。ミズフラスタジオをビジネスモデルとして参考にするというより、一つのグループ・部署・組織をマネジメントしたり、リーダーシップの立場にある人には、先生の独自のワークスタイルは示唆に富むモデルとなり得るだろう。また、多くのヒントを与えてくれると考えた。ビジネス的視点だけでなく、もっとシンプルに捉えると、人とのコミュニケーションの中で、自分のありのままの姿をさらけ出して、どう強く、美しく働くことができるか参考にしてほしい。自分のスタイル先生の経営のコアは、「個性」である。人には真似できない独自のスタイルを確立してきた。ビジネス的に言うと、セルフ・ブランディングと言ったところか。しかし、格好のいい、見栄えのする「外面」ではなく、「中身」を磨くことで、そのスタイルを形成してきた。「外面」だけのブランディングは、結局流行に左右されてしまうファッションと同じだ。ファッションは流行を追いかける真似事なのだ。時代に淘汰されるものである。逆に、スタイルとは、流行に関係なく、時間が経つにつれ、光を放つものと考える。では、知美のスタイルとは何か。勝手に代弁させてもらうとすると、「美しく踊る」である。美しく踊ることができるように教えることが彼女の全ての動機なのだ。そして、その美しさは陰の努力と犠牲に裏付けされている。彼女の生活は、美しく踊ること、美しく踊れるように教えることに、全神経を集中させている。文字通り、フラに人生を捧げた女性なのだ。教える内容に対する自信ミズフラスタジオは都内四カ所で、週に七〜八クラスに数十名の生徒さん達が通う。都内には数百名のフラ教室が幾つか存在するので、規模は中堅と言ったところか。経営だけを考えていたら、もっと集客をかけたいところだが、先生は決して経営には走らない。かえって、集客を考えたら言わないようなことも生徒さん達に言うようにしている。生徒さん達がお金を払ってまで厳しく言われたいとは思わないことは承知している。だけれども、教える内容に対する自信があるからこそ、敢えて厳しくする事がある。ビジネス的に言ったら、商品に対する自信と拘りである。自信を持って顧客に勧められるものでなければビジネスをしてはいけない。疚しさは見透かされてしまう。そういう意味では、フラの指導も同じなのかもしれない。フラ教室の規模や、経営者の経歴とか、施設の充実度は重要なファクターかもしれないが、一年もしない内に利用者には経営者の下心が見えてきて出入りの激しい教室になってしまう。自信の表れは、月謝のレッスン料にも反映されている。都内のスタジオでこんなに安い料金は聞いたことがない。消費者からすると「安かろう悪かろう」で、あまりにも安いと商品に対して不安を感じることもあるのかもしれないが、先生は集客を考えて、この料金にしているのではないし、自信がないからでもない。生徒達に長くフラを続けてもらうために負担をかけたくないという親心のようなものだと思う。本人も一生徒として約10年間クムフラに師事してきた。今も定期的にハワイに行き、本場のクムフラから指導を受けている。フラ教室は意外なところで出費がかさむ。毎月の月謝以外に、特別レッスン料、衣装代、コンテストや発表会の出演料、遠征費等、100万円単位で請求されるところもあるらしい。こうなってくると趣味の範囲を超えている。相当に時間とお金にゆとりのある世代ぐらいしか続けることは不可能だ。ミズフラスタジオに通う生徒さん達は、「美しく踊る」という先生のスタイルに魅せられて続けている人が多いように思う。比較的若い世代の女性が多い。だからこそ、先生は、コンテスト出演料や衣装代に何十万円もかけて、負担をかけたくないと考えている。負担の軽減が目的なのではなく、フラを長く続けてもらいたいという想いなのだ。長く続けなければ、深淵なフラの真髄や神秘性を感じることができないし、また、先生が伝えたい真の美しさが何かもわからないままになってしまうのが残念だからだ。取材中に、「先生が言っている意味がわかってきました。」と最近ある生徒さんが言ってくれたと嬉しそうに話してくれた。フラだけではない、人生が変わるんだってことが伝わることが何よりも嬉しい。指導者にとって、お金には代えられない最高の喜びなのだ。だから低料金で運営するのは、「安かろう悪かろう」ではなく、月謝以上のものを教室で得ることができるようにという「願い」と「自信」なのだ。何事も挑戦することから始まるフラ教室を開始して最初の数年は、自分の指導法や運営に苦悩することが多かった。数十名の女性だけのグループをまとめる難しさだけでなく、目的意識もそれぞれ異なり、また、適性や運動能力も当然それぞれに差異がある。それだけでなく、教室内で派閥を作りたがる人が出てきたり、陰口をたたく人がいたり、教室内の人間関係を掻き回すような人も現れたりするのだ。しかし、悩みに反比例して生徒の数は増えていった。「自分が成長する糧なのだ」と、ある意味開き直ったことで、自分が為すべきことに集中することができた。元来、妥協することや迎合することを嫌う。ミスアロハフラのような権威付けできるようなものはない、自分が勉強し努力すればいい、と周りを気にせずに走ってきた。自分なりの挑戦だった。苦悩という渦に巻き込まれず、長いものにも巻かれず、妥協せず、自分の信念を貫くために、「自分が成長すればいい」と挑戦し続けた。7年目の今日、そんな先生の真意・本音・価値観を理解する生徒さん達が増えてきた。各クラスにはコクア(ハワイ語で、手助けの意)がいて、新入門の生徒さん達をお世話してくれている。かつて先生が一人、大勢の生徒さん達に言ってきたようなことを、彼女達が代わりに伝えてくれるようになって、ハラウ全体に一体感が生まれるようになった。それだけでなく、同じ価値観を共有するようなタイプの人達が集まるようになっていった。筆者がメレフラパーティーで感じた「深い絆」は、このように長い年月をかけて形成されていったのだ。カイウラニ先生から先生に継承された美意識と挑戦のDNAは今、先生から生徒さん達に継承されている。取材に行った中級クラスの生徒さん達は、筆者から見たら相当な経験者に見えた。しかし、何度も何度も自分達が納得いくまで、自分達の踊りを細部に渡って確認しながら演舞を繰り返す。自分達ができるようになるまで。先生の指導法は反復練習を多く取り入れている。それぞれの課題を見つけて、繰り返し練習する。できないことがあれば、どんな小さなことでも、できるようになるまで繰り返し練習する。挑戦しなければ何事も始まらないのだ。ステップができなければ、できるようになるまで、徒手が合わなければ、合うようになるまで、飽くなき挑戦を続ける。筆者が感じた「軍隊的」という言葉も、まんざら間違いではなかったのだ。ビジネスの世界でも挑戦意識は重要視される。トヨタのTPS(トヨタ式生産方式)や、ユニクロ経営者の柳井さんが提唱する「常識を変え、世界を変える」などは良い例だが、改善や変革は挑戦しなければ当然成立するものではない。結果しか評価しない企業は淘汰される時代だ。過程にある挑戦を続ける企業だけが独自のスタイルを築き上げ、最後には勝つのだ。猫も杓子も言うようになった「ウィンウィン関係」は、挑戦し続ける者同士でしか共有できない関係なのだ。それぞれのステージがある先生は「面倒見が良い方ではない」と自覚している。職人気質というか、努力家である。自分が目指す水準に達するまで努力を続けることができる。だから、最初の数年は、あるジレンマに陥っていたと振り返る。「こんなに熱心に教えているのに、なんで成長できないの?」と生徒に葛藤することがあった。なので、「努力もしてないのに、成長したいなんて言わないで!」などと発言してしまったこともある。結果、不協和音が聞こえてくるようになってしまった。焦るリーダーは、人を画一的に見たり、相対的に見てしまう。つまり、多数を一つの視点でしか見れなかったり、人と人を比較して見てしまう。画一的に見てしまう危険性には気付きやすいのだが、「相対的に見ることは絶対ない」と言う人の場合でも、落とし穴がある。人を他の人と比べることはしないかもしれないが、人を「自分」と比してしまうことがあるのだ。リーダーの陥りやすい問題だ。「自分が入社した時は」とか「自分がその仕事を担当していた時は」などと言う上司には気をつけた方がよい。先生も無意識で相対的な見方をしていた時期があった。生徒からしたら、たまったもんじゃない。昨日今日入会したばかりなのに、ミスアロハフラに師事した指導者自身と比較されてしまうのだから。このような反省点から、生徒さん一人一人のフラを始める目的意識や動機、適性や運動能力、意欲や可能性を考えて、それぞれのステージに応じてステップアップできるように指導することを心がけるようになった。相対評価を20%、絶対評価を80%くらいにして評価するようにしている。スポーツやビジネスにしても指導法において、ある程度の目標を決めたり、標準を合わせたり、競争意識というものは必要なファクターだ。しかし、評価の多くの部分で、個々の努力や成長を認めて評価することは、その人のその後の伸びしろに関わってくる。人と比較されて「よーし、やってやろう」などと動機付けられる人は僅かだ。自分の見えないところでの努力をリーダーがわかってくれている、見てくれていたという体験をすると、人の意欲は倍増し、とてつもない力を発揮したりするのだ。取り巻きを作らない一人一人のステージを理解することは指導者にとって手間のかかる仕事だ。画一的にリードすることの方が楽で簡単なのだ。人を一定の箱に詰め込んで、一つの方法でやっていけばいいのだから。結果や売上だけを気にする上司にはこの手のタイプが多い。イエスマン達を取り巻きにし、高圧的に人を動かす。一時的に結果を得るためには効果的な手法かもしれないが、誰も長くは続かない。フラ教室も画一的に運営すれば、数百名単位の教室を作ることは不可能なことではない。ある教室ではビデオを見せるだけで高額なレッスン料をとられたり、取り巻き達に阻まれて、指導者から直接指導を受けることすらままならい所もある。知美は取り巻きを作らない。楽で簡単な手法は採用しない。人を利用した権威付けをしない。だから人に対してバリアを張らない。筆者が取材に行ったレッスンでは、生徒が重心や手足の動作を習得しやすいように、自ら身体を密着させて直接指導していた。初めて見る指導法だった。生徒からしたら、言葉だけでなく身体で教わるのだから、本当にわかりやすい指導法だろう。信念としてマン・ツー・マンの指導を心がける。そうなると、一人で数百名の生徒に同じ質の指導はできない。質の高いレッスンを維持するには、自ずと現在の規模となる。利益よりも、自分の信じるスタイルと個々の成長が遥かに嬉しいからだ。人の成功が嬉しい取材中に先生が度々屈託ない笑顔を見せてくれたのが、「ステップができなかった人ができるようになった」「自分を嫌いだと言う子が明るくなった」「人前に出るのが苦手だった生徒が堂々と自信をもって踊れるようになった」と生徒さん達の成長を話している時だった。これらの生徒さん達の人生が、フラを通して豊かなものとなるのが、この上もない喜びであり、人の成功が何にも勝って嬉しいのだ。筆者はこれまで多くの成功者の成功体験を取材してきた。彼らの中には共通点がある。それは、彼らの多くが、「自分の成功よりも、人の成功を願う」という点だ。先生を取材したとき、「フラに人生を捧げることにした」という言葉に圧倒された。同時に、「何がこの人にこのような言葉を言わしめているのだろう?」「何がこの人を突き動かしているのだろう?」という興味が湧いてきた。答えは、「人の成功を願う純粋な気持ち」だった。知美はフラの深淵な神秘性に魅了された。そして、フラを通して、女性としての強さ、美しさというものを教えられた。彼女がフラに出会うことは「運命」だった。彼女の半生に数々の挫折や困難や苦悩があった。しかし、人生の岐路で、運命的に人々に出会い、それらの人々の助言によって、フラに人生を捧げる生き方〜運命〜へと導かれた。そして今、フラを通して多くの人々に出会い、刺激し合って、影響し合って生きている。筆者がその中の一人になれたかは定かではない。しかし、少なくとも筆者が彼女から多くの影響を受け感化されたことは確かだ。彼女が目指すゴールは遥か向こうにある。ぜひそのゴールを目指して進んでいってもらいたい。そして、一人でも多くの読者が、彼女のような強さと美しさを勝ち取り、自分の持ち場でますます活躍してほしいと願ってやまない。本記事がその助力となれば幸いである。

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