笑顔の破壊力

「和尚さん、初めまして。宮上早紀と申します」

「――私は須藤百合子です。よろしくお願いします」

「よくおいで下さった。わしがここの和尚じゃ」

(この人が、あの有名なダイエット和尚なの? どう見てもただのお坊さんにしか見えない)早紀の率直な印

象だった。

「あの、今日はダイエットについてアドバイスを頂きたく、お伺いしました」

「――私もです。子供の時からずっと太っていて、いじめられてばっかりで、彼氏ができるどころか、毎日が

彼氏いない歴の更新です……」と百合子がかぶせるように言ってきた。百合子の表現が独特で、つい笑

いそうになったが早紀はこらえた。

早紀は都内在住の24歳、会計事務所で働いている。若い頃、ファッション誌の読者モデルを経験。充

実した青春時代を送っていた。ところが、社会人になってからはストレスから過食ぎみになり、スタイルが維

持できなくなってしまった。現在、過酷なダイエットを実行しては、リバウンドするといった状況が続いてい

る。

一方、百合子は23歳、両親と同居しつつ、派遣社員のSEとして働いている。昔からから甘いものが大

好きで太めのまま現在に至る。そのためか恋愛にはまったく縁がなく、男性と付き合った経験がない。どち

らかというと引きこもり気味で人付き合いは苦手。外ではなるべく目立たないようにしている。趣味はゲーム

で、休日はほとんどゲームをして過ごしている。

「まずは、ゆっくり俗世のあかを落としつつ、1週間ほど過ごして下され」と穏やかに言い残して、和尚はその場を立ち去ろうとした。

「ちょっと待って下さい。今日から厳しい食事制限とか、断食とかを行うんじゃないんですか?」と早紀が呼

び止めた。

「なんのことじゃ? 一体、どんな噂を聞いてここに来たのか知らんが、ここではそんなことはやらん」

「えっ、じゃ、どうやって痩せるんですか?」

「簡単じゃ。己と対話することじゃ」と言い切る和尚。

「どういうことですか?」早紀が食い下がる。

百合子もあぜんとした表情で二人を見つめている。

「仮にここで厳しい断食をやって痩せたところで、生き方や価値観が変わらなければ、また元に戻るだけじ

ゃ」

「何をおっしゃっているのか分かりません。痩せられないなら、なんでここに来たのか分かりません!」

早紀は真剣だった。輝いていた頃の自分に戻りたい。その一心だった。声の大きさが苛立ちを物語って

いた。

「あんたがたの悩みは今まで続けてきた生き方や価値感にある。そこを変えない限りなにも変わりはせん」

「私はただ痩せたいだけなんです! そのために上司に無理を言って、有給まで取ってここに来たんです。生き方や価値観なんてどうでもいいんです」

和尚はただ聞いていた。

「痩せられないんなら、私、帰らせて頂きます!」

「それは自由じゃが……」残念そうにつぶやく和尚。

(来るんじゃなかった……)早紀は帰ろうとして立ち上がる。一瞬、百合子の泣きそうな顔が見えた。

きびすを返した瞬間、あるものが目に入った。

それは壁にかけられた、たくさんの笑顔の写真だった。そこには、和尚に宛てた感謝の手紙もあった。

「これは……?」

「ダイエットに成功したお嬢さんやご婦人たちから送られて来たものじゃ」

そこには笑顔しかなかった。しかも、どれも素晴らしい笑顔だった。そして、みんな輝いていた。

「……私もこんな風になれますか?」目が離せなかった。

「おまえさん次第じゃ。ただ――」といって和尚は向き直って言った。

「今帰ったら、この笑顔は手に入らんぞ」

「……分かりました。私、残ります」

(きっと何か秘密があるんだ。必ず手に入れてみせる!)早紀はそう固く決心した。

いきさつを見守っていた百合子も、ほっとした表情でうなずいていた。

一日目はそのまま穏やかに過ぎた。

 

やせなきゃダメなの?

翌朝6時に二人は叩き起こされた。

「ほれ、起きなされ。働かざるもの食うべからずじゃ」

まったく情け容赦ない、と早紀は思うと同時に(まあ、お寺らしいと言えるかも……)と納得している自分が妙に可笑しかった。

百合子は朝が苦手そうだ。まだぼうっとしている。

布団をたたみ、庭の掃除、お堂の雑巾がけなど2時間は働かされた。

「おなかすいた〜」二人は朝食をとった。

(こんなにおいしい朝食を摂ったのはいつだろう……)そのくらいおいしく感じた。普段は食べたり食べなかっ

たりの生活だ。

朝食の後片付けが終わると、おもむろに和尚が言った。

「今日はなぜ痩せたいのか、一日かけて考えるのじゃ」

(たったそれだけ?)今日こそ痩せる秘訣が教えてもらえると思った早紀はがっかりした。口を開こうとした

瞬間。

「――そんなの決まってるじゃないですか……」百合子が絞り出すように言った。

「なんで今さら……、なんでそんなこと考えなければならないんですか。私は、自分の人生を取り戻したい

んです。このままじゃだめなんです。太ったままじゃダメなんです……」よほど辛い経験をしたのだろう。早紀は何も言えなかった。

和尚は黙って聞いていた。

「それでいいんじゃ。その気持ちをよ〜く受け止めることじゃ」それだけ言うとその場を後にした。

早紀は少し居たたまれなかった。ただきれいになりたい、輝いていた頃の自分に戻りたい、ただそれだけの自分が恥ずかしかった。

「百合ちゃん……。あ、ごめん」少しなれなれしかったかな。

「いえ、いいんです。ちょっと昔の嫌なことを思い出しちゃって」

「良かったら、一緒に考えない?」

「――すいません。ちょっと一人にして下さい」

(めんどくさい子)そう思ったが、同じ女性として気持ちは分かる。

(きれいになりたい、しか思いつかない……)でも、女子として十分な理由だと自分に言い聞かせた。

早紀は百合子のことを考えた。思っていることはなんとなく想像がつく。

(きっと、いじめられたり、辛い思いをしたんだ。人並みに彼氏も作りたかっただろうし……)女子としては辛いはずだ。

(きれいになって、馬鹿にした人を見返したいんだろうな)考えると切なくなった。

その点、自分は欲深いのかもしれない。

(ちやほやされたいだけなのかな……)でも、そこのどこが悪いの。女子なら当たり前のはず。

昼食後しばらくして百合子が来た。「さっきはごめんなさい……」

「そんな、気にしないで」かける言葉が見つからない。

「ごめんなさい。私、早紀さんがここにいる理由が分からない……」と言って、百合子はうつむいた。

百合子が言いたいことはなんとなく分かった。

「――だって、早紀さん、今でも十分痩せててきれいだし……」

「私、欲深いのかも」それが精一杯だった。

「ゴメン、そんなつもりじゃ……」会話が続かない。

そこに和尚が現れた。

「どうじゃ、なぜ痩せたいのかはっきりしたかの?」

「いえ、私はただきれいになりたいとしか……」

「ふむ、そうじゃろ」とあっさり。

「お嬢さん方はみんなそう言うのぉ。まあ、太ったご婦人方は別の理由を言うがの」と言って笑った。含みを入れてるつもりらしい。

「ばかにしないんですか?」

「ばかになどせん。それも立派な理由じゃ」早紀は肩の力が抜ける気がした。

「――私は、自分をばかにした人を見返したいんです。こんな理由じゃだめですか?」

と百合子がややぶっきらぼうに言う。

「うむ。それも立派な理由じゃが……、見返したあとはどうなるかの」

和尚は静かに問いかけた。

「仮にじゃ、百合子さんが痩せてきれいになって、馬鹿にした人たちを見返したとする。そうしたらおまえさん

は、今度は太った人を馬鹿にするようになるかもしれん」

「そんな……」百合子は黙ってしまった。

「悲しみの連鎖じゃ。それは避けなければならん」

百合子はうつ向いたままだった。

「一つだけ言っておこうかの。痩せるとほんとにきれいになるんじゃろうか?」

考えるより先に口が開いた。

「そんなの当たり前じゃないですか! 女優の○○さんやモデルの××さんもみんな細くてきれいじゃないですか」

「ほう、それは誰が言っておるのじゃ?」

「そんなのみんなに決まってるじゃないですか」

「ほほう、みんなとな?」

「そう、みんなです。ね、百合ちゃんもそう思うでしょ?」百合子は目を合わせてくれない。

「正直、わしには細すぎるように見えるがの」

「それは和尚さんの好みじゃないですか?」すかさず早紀が言った。

「その通りじゃ、わしの好みじゃ」はっはと笑う和尚。

(そこは否定しないんだ……)少し可笑しかった。

「とにかく、私たち痩せないとだめなんです。痩せないと……」

顔を上げた百合子の目も同意していた。

「では、痩せてどうしたいんじゃ?」

「――それは、きれいになって、そうしたらお洋服だって似合うようになるし、自分にも自信が持てます」

「それは本当に痩せないとダメなのかの?」

「そうです!」ここだけは引けない。

「ほほう!」いたずらっぽく笑いながら、「じゃ今日はここまでじゃ」と和尚は戻っていった。

(なにこの和尚。なにも分かってない。痩せないと女子として失格。そもそも女として見てもらえない)

こんなことで本当に痩せられるのだろうか、早紀は少し不安になった。

二日目が終わった。

 

黒歴史?それとも……

昨日と同じく、二人は6時に起こされ、庭の掃除、お堂の雑巾がけをみっちり行った。体の節々が痛い。

筋肉痛のようだ。でも、どこか懐かしい感覚だった。

朝食後、和尚は今日の課題について話した。

「今日は、昔を振り返ってもらおうかの。写真は持って来たじゃろか?」

「はい、持ってきました」と早紀。百合子はうなずきながら差し出した。

「ほほう、どれどれ……、この写真なんか健康そうでいい笑顔じゃ……」和尚は一人ではしゃぎながら楽し

そうに二人の写真を見ている。

写真の早紀は無邪気に微笑んでいた。今となっては遠い過去のように感じられる。「確かに、その頃は

大学に入りたてで、希望にあふれていました。とても楽しい時期でした。ただ……」

「ただ、なんじゃ?」と顔を上げる。

「社会に出て、現実は甘くないと知りました」ちょっと胸が苦しい。

「なるほど。だから変わりたいと?」

「はい、自信を取り戻したいんです」

和尚は少し間をおいて話し始めた。

「今日は、その笑顔の頃のことをよく思い出して欲しいんじゃ。その頃の気分や体調などじゃ」と言って、今

度は百合子の写真を手に取った。

「百合子さん、おまえさんのはこの写真の笑顔が良いのう」

その写真は、歳の頃十二、三歳と思われる写真でかわいい笑顔だった。

「――それは、家族で沖縄に行ったときの写真で、とても楽しかったのを覚えています」

少し照れながら話す百合子。

「そうじゃろう。いかにも楽しそうじゃ」

和尚は写真を見つめたまま、「この頃は、どんな気分じゃった?」

「そうですね。初めての飛行機でとてもワクワクしました。将来、色々なところに行けたらいいなって思いました……」

その後、百合子は旅行について楽しそう話した。和尚も嬉しそうに聞いている。

(へぇ、こんな風に話せるんだ)百合子の意外な一面を見た気がした。

「実は、キャビンアテンダントに憧れて、あ、もちろん諦めましたけど……」と百合子はうつむくなり黙ってしま

った。

早紀は重い空気を何とかしたかった。

「あのう、和尚さん、昔の写真を見ることに何か意味でもあるんですか?」

「うむ。これはお二人の適正体重を知るためじゃ。他人の目になって自分自身を見つめてもらうために必

要なんじゃ」

「適正体重……、それってBMIのことですか?」

「いや、そうではない。人それぞれに合った体重ということじゃ」

「だとしたら私、今は適正体重じゃありません。そんなの自分が一番よく分かってます。とにかく今より痩せた

いんです」本音だった。

「今は幸せか?」

「は?」(なに言ってるの。わけ分からないんだけど……)

「今は幸せかと聞いておる」

「――別に不幸ってわけじゃありませんが、でも幸せかと言われたらそうとも言えません……。だからこそ痩せて自分を変えたいんです」

「では、痩せたら幸せになれるのかの?」

「えっ?」早紀は答えられなかった。

確かにちょっと違和感を感じた。痩せたらきれいになれる、そうすれば輝いていた頃の自分に戻れる、た

だそう信じていた。でも、本当にそうだろうか?

「痩せることと幸せは別じゃ。そこんとこをよく考えることじゃ」

「――でも、太っていたら幸せになれない……」それまでだまっていた百合子が言う。

得体の知れないすごみがあった。

「百合ちゃん……」

「百合子さんはそう信じておるんじゃな」和尚は困ったように言った。

(信じる、信じないじゃない。これは真実よ!)和尚さんは男だから、私たちの気持ちは分からないんだと早

紀は思った。

「今日はこれくらいにして、明日また話そうかの」和尚は立ち去った。

その日の午後は各々のんびりと過ごした。三日目が終わったが、いまだに収穫はない。本当にあの笑顔

を手に入れることができるのだろうか……。

 

笑顔と涙とありがとう

今日で三回目となる早朝の掃除と雑巾がけ。二人ともかなり要領を得てきた。朝食も美味しい。でも、

ちょっとおしゃれなランチも恋しくなってきた。

朝食後、いつものように和尚が語りかけてきた。

「さて、昨日の続きじゃが、笑顔の写真の気分は思い出せたかな?」

「はい、なんとなくですが」と早紀。

「今と比べて、どうじゃ?」

「若かったせいもあって、なんかこう、エネルギーがあふれている感じです」

「体重はどうじゃ?」

「今より少し太ってたと思います。具体的な数字は覚えていません」

実は覚えていたが、言いたくなかったので忘れたふりをした。

「では、その頃の体重が早紀さんの適正体重の目安じゃ」

この和尚はまた分からないことを言う。

「ちょっと待って下さい。さっきも言いましたが、今より太ってました。適正体重とは思えません」

「でも、今よりは気分は良かったのじゃろ?」

「それはそうですが、でも学生でしたし、今とは環境が違います」

「では聞くが、今、気分が良くないのは、太っているせいか、痩せているせいか、どちらじゃと思う?」

「そんなの当たり前じゃないですか、太っているせいです」

「それはおかしいのう。気分の良かった若い頃はもっと太っていたのじゃろ?」

「ええ、確かにそうですが、さっきも言いましたように、学生でしたし、なにより環境が違いました」

「わしが言いたいのは、痩せたせいで気分が悪くなったんじゃないか、ということなんじゃが……」しつこい。そ

んなに太らせたいの?

「そんなはずありません。きっと、もっと痩せれば自信がついて、気分も良くなります」ここは断固ゆずれない。

「早紀さん、少し冷静になって、その写真と今の自分をよく見比べてみてくれんじゃろうか……」

「私は十分に冷静です! 分かりました。おっしゃるように見比べますが、若い頃と見比べても単に辛いだけです。正直、こんなのセクハラです!」

と言いつつ、さきは改めて今の自分と見比べてみた。

「えっ?」なにこの違和感。本当の自分じゃない感覚……。

「どうじゃ? なにを感じた?」和尚がのぞき込む。

「…………」

言葉にならない。どう答えればいいのか……。気がつくと涙が頬をつたっていた。

(辛い、苦しい、こんなの自分じゃない……)いつから、どうして、なぜ……。

苦しい、胸がつぶれそう……。百合子が背中を優しくさすってくれているのがなによりの救いだった。

本当は自分でも気付いていた。でも、気付かないふりをしていた。ただ、自分で認めるのが怖かっ

た……。

(私はこんなにも苦しかったんだ。自分をごまかしていたんだ……)自分に申し訳ない気持ちでいっぱいにな

った。

ひとしきり泣いた後、胸のつかえがとれた気がした。和尚のまなざしが温かい。

百合ちゃん、ありがとう。

(なんだったんだろう……)不思議な涙だった。今はまだ意味は分からないけど、少しだけ自分のことが分

かったような気がした。

和尚は百合子の方に向いて言った。

「さて、今度は百合子さんの番じゃ。どう感じたか聞かせてくれんかの」

「――はい。その頃はあまり太っていることを気にしていませんでした。結構活発で性格も明るかったと思い

ます。今と比べると……」百合子は少し照れた。

「そうじゃったか。だから、このかわいい笑顔になったわけじゃな」うんうん、とうなずく和尚。

しばらくして百合子は続けた。

「――でも、中学に入ってからです。太っていることでバカにされました。その時、初めて、自分は太っていて

醜いんだと気付きました。それ以来、人と関わることが苦手になりました……」うつむく百合子。

「そうじゃったか……。百合子さんの心はそこでしぼんでしまったようじゃ。だから、おまえさんは自分のことが

大嫌いじゃ、違うか?」

百合子の表情がこわばった。図星だったに違いない。

「でも、太った人でも魅力的な人はたくさんおるとは思わんか?」

「そんなの詭弁(きべん)です。確かに、私は自分のことが大嫌いです。消えてなくなりたいと思ってます。だっ

て、太っていたら醜いし、本当に誰も相手にしてくれないんです……」小刻みに震えていた。

百合子は辛かった過去をとつとつと話し出した。その内容は聞いていて本当に辛いものだった。心がしぼ

んでしまうのもうなずけると早紀は思った。最後の方は嗚咽(おえつ)でなにを言ってるのかさえ聞き取れな

い。早紀はひたすら百合子の背中をさすり続けた。今度は私が支える番だ。

1時間を過ぎた頃、百合子はだいぶ落ち着いたようだった。心なしかすっきりした表情をしていた。

黙って聞いている和尚はまるで仏像のようだった。そして、静かに口を開いた。

「それは辛かったのう……。百合子さん、言いたいことはよう分かった」和尚はそう言うと、写真を百合子に

手渡した。

「じゃが――」と言って向き直る和尚。

「外見だけが原因じゃろうか?」

「!?」百合子の目が、どういうことと訴えている。

「つまり、心じゃ。自分を醜いと思う心が表に出ていたんじゃないかの。そんな状態で人に気持ちよく接する

ことができたじゃろうか」

百合子はっとして和尚を見つめた。

「心のありようが、百合子さんから人を遠ざけていたんじゃないかの」

思い当たるようだった。百合子はそれ以上、語らなかった。

「二人とも、今日はもう十分じゃ。本当によく話してくれたの」と言って立ち上がる。

「今日はゆっくり過ごして下され」じゃ、と手を上げた和尚を見送った。

その日は百合子と二人、昔の楽しい思い出だけを語り合った。本当に打ち解けた時間だった。

(この子、笑うとかわいい……)早紀は笑顔の意味が分かったような気がした。そのために、なんとしても笑

顔になりたい。

今日で半分以上が過ぎた。ただ、不思議なことに焦りは消えていた。

 

女子のカラダって?

いつもと同じ朝。早紀は少し変わってきた自分を感じていた。

(水ってこんなに美味しかったっけ? 空気もなんか美味しい……)

「なにかつきものが落ちたような顔をしておるな」和尚が微笑みながら言った。

「はい、少しリラックスできた感じです」百合子もすこし微笑みながらうなずいた。

「そうか、そうか」と満足そうな和尚。

「さて、この四日間でなにを感じた?」

「私、ずっと痩せなきゃって思ってました。痩せなきゃダメなんだって。でも、理由が漠然としていることに気

付きました。ただ、漠然と痩せれば何もかも上手く行くって思い込んでました」

「私もです。何もかも上手く行かないのは太っているせいだと思い込んでました」と百合子も続ける。

「確かに、健康を害すほど太るのはいかん。じゃが、お二人はいたって健康じゃ」

和尚は軽く咳払いしながら続けた。

「そもそも痩せるというのは動物として無理があるのじゃ。つまり、飢えているということだからじゃ」

確かにそうだ、と早紀は思った。

「因果応報、無理をすれば必ずその報いを受ける。しかも、無理は続かぬものじゃ。例えば、早紀さん、おまえさんはダイエットのし過ぎで顔色が悪い。恐らく、体調も良くないはずじゃ」

図星だった。実際のところ、もう何ヶ月も生理が止まっていた。

「そこでじゃ、今日は自分たちの体のことについて知ってもらおうかの」

いよいよダイエットの秘訣が分かると思ったが、不思議と以前のようなこだわりは無くなっていた。

「まずはホルモンじゃ」

「はぁ、ホルモンですか……。私、文系なのでよく分かりません」早紀は難しくないことを祈った。

「なに、簡単なことじゃ。ホルモンのバランスがいいと体調がいい。体調がいいと気分がいい。気分がいいと笑顔になる」

「はぁ……」それはそうですが、と言いかける。

「そんな人はどう見えるかの?」和尚が一瞬、早かった。

「まあ……、それは魅力的に見えますね」

うんうん、とうなずきながら「その通りじゃ。そんな人は誰もが一緒にいたいと思うじゃろ」

「無理なダイエットはホルモンのバランスを崩す。肌の調子も悪くなり、見栄えもさえん」

確かに。ダイエットを始めてから化粧ののりが悪くなった気がする。

「また、女性を美しくするホルモンがある。それが女性ホルモンのエストロゲンじゃ」

「聞いたことあります。確か、卵胞ホルモンですね」と百合子。結構もの知り。

「そうじゃ。このホルモンは皮下脂肪からも分泌されておってな。痩せすぎるとエストロゲンが減ってしまうのじ

ゃ。つまり、女性らしさも減ってしまうということじゃ」

「脂肪も必要ということですか?」あの憎き脂肪にも女子力を高める効果があったなんて……。

「そうじゃ。適度な脂肪は女性を美しく見せ、女子力を上げる効果があるのじゃ」

早紀にとって、脂肪は憎むべき相手だった。その脂肪が女子力を上げるなんて考えたこともなかった。

「それから、痩せている人はなんとなく色黒に見えるじゃろ。それは皮下脂肪が少ないせいで、ひふの下の

静脈が透けて見えているからじゃ。しかも、しわも多いとは思わんか?」

言われてみればその通りだ。

「脂肪は白い。だから、肌を白く見せる効果もあるのじゃ。しかも、肌に張りも出る。どうじゃ、悪いことばかり

ではなかろう」と言って大きくうなずいた。

「脂肪にそんな効果があったなんて……」言われるまでまったく気付かなかった。

(だとすると、一体どうすればいいの?)

「でも、あり過ぎもよくないですよね?」と百合子が問う。

「もちろんじゃ。あり過ぎも良くない。じゃが、なさ過ぎもまずい。さて、どうするかの?」和尚は細い目をさら

に細めた。

「――そうですね。つまり、自分の体と対話して、自分に合った体重を見付けるしかないかと……」早紀は言葉を選びながら言った。

「ふぉっ、ふぉっ。少しは分かったようじゃな」高笑いの和尚。

つられて二人も笑った。

「愉快じゃ、今日はほんと愉快じゃ。これでしまいじゃ。はっはっは」と笑いながら和尚は帰っていった。

五日目が終わった瞬間だった。

 

魅力的に感じる体重?

もはや日課となっている庭の掃除とお堂の雑巾がけ。不思議なことに、もう何年も続けているかのような

錯覚を覚えた。しかも、なぜか心が満たされる感覚を早紀は感じていた。

いつもの様に、朝食の片付けが終わった後、お堂で待つ二人。和尚は写真を持ちながら近づいてきた。

「まずはこの写真を見てどう思うかの?」外国の女性の写真だった。

「ふくよかな女性の写真ですが……」正直、早紀は太ったと言いたかった。

「その通りじゃ。実はこの女性は、モテモテなんじゃ」和尚はにやっと笑った。

「どういうことですか?」ハモる二人。

「なに、簡単なことじゃ。この国の美人の基準だからじゃ」

(太っていることが美人ですって! ――ないないない!)早紀にはまったく信じられなかった。

(どう見てもただのおデブじゃない。まあ、顔はきれいだけど……)それなのにモテるなんて、どう考えても受け

入れられない。

「つまり、人の好みはまちまちということじゃ。国や時代によっても様々なんじゃ」

和尚は続けた。

「そこで、自分の適正体重を知ることが重要になってくるのじゃ」

「でも、BMIではないんですよね?」と早紀。

「うむ、その通りじゃ。適正体重の定義とは、自分が自分らしく健康でいられる体重のことじゃ。じゃが、これは数値や統計では測れるものではない」

(またそれ?)少し期待した自分が悲しい……。

「少しくらい基準がないとやっぱり分かりません。どうすればいいんでしょうか?」

「そんなの簡単じゃ。自分で決めればいいんじゃ」はっはと和尚は笑う。

(いえいえ、それ答えになってませんから……)苦笑する早紀。

「でも、適正体重って医学的に決められていますよね」冷静に、冷静に。

「確かにな。じゃが、それは医学的統計でみた数値であって、一人ひとりに当てはまるとは限らん。数字や情報にまどわされてはいかん」

(なんか、自信ありげな感じ)いよいよ核心か?

「わしはこれを『

魅感体重』と呼んどる。自分の適正体重は人が決めるものでも、ましてや、統計的に決めるものでもないのじゃ!」ふふん、と和尚は鼻を鳴らした。

どや顔の和尚に二人は思わずぷっと笑ってしまった。

少し笑いながら、「どういうことなんでしょうか? 和尚さん」

百合子はうつむいて笑っていた。

「自分で感じて、自分で決めるのじゃ」和尚は二人の方は見ていない。今や完全に自分の世界に入っていた。

「ふふん、どうやって決めるのかと聞きたいのじゃろう?」

(いいから早く言ってよ!)百合子と顔を見合わせてうなずく。

「そのヒントが昔の写真じゃ。一番自分が自分らしく輝いていた頃の体重が適正体重と悟れということじゃ」

なるほど、だとすると今の自分は痩せ過ぎかもしれないと早紀は思った。

「判断基準は三つじゃ。昔の笑顔の写真。その頃の感覚。そして、ウエストとヒップの黄金比率じゃ。実に興味深いのは、この――」和尚は止まらない……。と、突然、百合子が話をさえぎる。

「あの……、私、ずっと太っていたので、輝いていた時期がありません……」と落胆した様子で言った。

「大丈夫じゃ。百合子さんはこれから適正体重を見つけるだけじゃ」

「私、本当に輝ける自分になれるでしょうか?」不安そうに言う。

「それは百合子さん次第じゃ。もう分かっておろう。太っていても輝いている人はたくさんおる。どうじゃ」

「――まだ納得した訳じゃありません。でも、和尚さんの言うこともなんとなく分かります」百合子は納得しつつあるようだった。

「うむ、続けよう。実は三番目のウエストとヒップの比率は、動物的な判断基準というやつじゃ」と言って和尚は女性のシルエットを見せた。

「どうもウエストとヒップの数値の比率が7対10だとモテるようじゃぞ」と和尚は真剣な顔で言う。

「男性は、この比率によって女性が妊娠可能かどうかを判断するようじゃ。つまり、成熟した女性かどうかを本能的に察しているのじゃ。この比率であれば、大人と認識するようなのじゃ」

「まあ、ある意味、この比率の範囲内なら、女性として魅力的に映るということじゃ」

「あの……、太っていてもその比率ならオーケーということでしょうか?」と百合子。

「ま、そういうことになるかの」

(だから、あの太った女性もモテたのか……)早紀は納得がいった。

「もう一つ客観的な指標として、身長や骨格、その人の個性や雰囲気によっても魅感体重は変わってく

る。これは、まあオプションみたいなものじゃが……」と言ってヒゲをなでながら続けた。

「よく丸顔は太って見えるとか、面長は痩せて見えるとか言われておるが、それは一側面に過ぎん。それだ

けでなく、その人の持ち味を含めた判断が必要なのじゃ」

と言って人差し指を立てた。

「よいか、一番大事なのは体質じゃ。その人の体質に合った体重なら、体調が良くなり、笑顔が出やすく

なる。その体重を見付けることが最も大事じゃ」

「笑顔に勝る化粧はないのじゃ」と言ってうんうん、とうなずいた。

「確かに、美しい比率というのはある。ファッションモデルがいい例じゃが、美しいかもしれんが、さすがに痩せ

すぎじゃ」と残念そうに肩をすくめた。

(なるほどね)何がなんでも痩せていればいいという訳ではなさそうだ。

「まずは己を知ることじゃ。人それぞれに合った体重というのは、己の体との対話なしには見つからん」

「和尚さん、私、太りやすい体質なんです。これではいつまでたってもちょうどいい体重なんて見つかりませ

ん」、百合子は訴えた。

「うむ。確かに太りやすい体質というのはある。じゃが、女性はそもそも太りやすいのじゃ。それは元気な子を

生むために必要だからじゃ」と言って、和尚は急に悲しげな表情をした。

「残念なことじゃが、ここ三十年で低出生体重児が増えておる……。最近では、戦前の平均も下回って

いるということじゃ」和尚は肩を落とした。

「――原因の一つに母体の痩せすぎがあるようじゃ……。それだけでなく、痩せすぎで妊娠すらできない人

が増えていると聞く……」

早紀には他人事とは思えなかった。

「じゃが、体質は生活習慣が関係していることが多い。体質だからと諦めてはいかん」

と言って、大きく手を振った。

「生活のたな卸しを行うのじゃ。きっと原因が分かるはずじゃ。忘れんでくれ。体質はある程度、変えられる

ものじゃ」

百合子の顔は真剣だった。きっと決心したに違いない。

「今日はよう話したのう……」と和尚ははげ頭をなでながら苦笑いした。

「さすがに疲れたわい。どうじゃ、今日のところはここいらでお開きにせんか?」

やれやれといった感じで戻っていった。

(今日は収穫があった……)ノートにまとめようと早紀は思った。明日はいよいよ最終日。楽しみと同時に

これで終わってしまうという寂しさが入り交じっていた。

 

わたしたちの女子道

毎朝の日課。これも今日で最後だ。二人は黙々といつになく念入りに行う。

過ぎてしまえば、あっという間だった。今日はいよいよ最終日。一体どんな話が聞けるのだろう。早紀は

一字一句、逃すまいと決心した。

和尚がいつになく厳かに歩いてきた。着ているものも明らかに違う。

(これは正装だ)二人は気を引き締めた。

「今日は、最後に心の問題について話そう」

「はい、よろしくお願いします」

「あまり知られておらんようじゃが、実は健康系の大家と言われておる人は意外と早く亡くなっておるのじゃ」

と言ってため息をついた。

「!?」二人は思わず顔を見合わす。

「それは、自分のやり方が正しいと信じるあまり、極端にやり過ぎてしまうからじゃ。最近じゃと、糖質制限ダ

イエットの第一人者が亡くなったことで世間が騒いでいるようじゃが、これも同じことじゃ。」和尚は続けた。

「何ごとも中庸、バランスが肝心なのじゃ。その中庸も人それぞれ。そのバランスも日々、自分の体と対話

しながら変えていく智慧(ちえ)を持つことじゃ。よいか、知識は間違うが、智慧は間違わん。よく覚えておく

のじゃ。智慧は、ほれ、そなたたちの体の中にある」と言って和尚は二人を指差した。

「無理をすれば、体は必ず、かゆみや痛み、なんらかの異常で知らせてくれる。しっかりと耳を傾けるのじ

ゃ。そして、なにか迷ったら、己の体に聞くのじゃ。決して忘れるでないぞ」二人はうなずいた。

「最も悲しいのは、自分を否定する心が人の魅力をだいなしにしてしまうことじゃ。それは、世の中にあふれ

ている様々な情報によって刷り込まれた価値観が、人々を苦しめた結果じゃ」

「色んな人がいていい。むしろ、それが当たり前なのじゃ。みな、自分以外の者になろうとするから辛いのじゃ」

「――例えば、世の中にはふくよかな女性が好きな男性もたくさんおる。じゃが、自分を嫌って、暗い表情

をした人を好きな人は恐らく一人もおらんじゃろう」

和尚はここまで一気に話すと、一旦、呼吸を整えた。

「最後に伝えたいのは、『心のダイエット』じゃ」

「心のダイエットなしに、真のダイエットはない」一段と声が大きくなった。

「いくら痩せても、心がダイエットできていなければ、心は満たされず、もっともっととなる。いつまでたっても満

足できん。しかも、食事を制限しているからなおさらじゃ」心なしか目が怖かった。

「――その先には飢餓地獄しか待っておらん」

(飢餓地獄……)早紀は、ダイエットしてはリバウンドを繰り返す日々を思い出した。

「飢餓地獄にいる人は、周りからみると餓鬼に見えるのじゃ。世間を見渡してみると、そんなお嬢さんがたく

さんおるじゃろ」

自分もそうだったかもしれないと早紀は思った。

「生きるということは命を輝かすことじゃ。輝きなくして生きているとは言えん」

「わしは、お二人にはぜひ輝いて欲しいと思うとる」和尚は合掌し、深く、深く頭を下げた。

――感無量だった。生きることは命を輝かせること。自分の体とよく対話し、元気な自分を取り戻す。

早紀は強く、強く決心した。

(痩せなくたっていいや……)ふと、早紀はダイエットにこだわりをなくしている自分に気が付いた。そんなこと

より、早く帰って自分の人生を生きたいと思った。

そして、最終日が終わった。

「百合ちゃん、本当にありがとう。お互い頑張ろうね」

「はい。私、頑張ります! 早紀さんも、お元気で!」百合子は満面の笑顔で言った。

(来て良かった……)まるで生まれ変わったような晴れ晴れとした気分だった。

最後に、和尚がにこやかに見送ってくれた。二人は新たな思いを胸に寺を後にした。

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