美しいラインを作るダイエット方法

第1章では[BLM]というものの概要をお話していきます。具体的な技術は講座で直接伝授 しないと誤解や曲解がでてしまい、人生を変える素晴らしい技術が逆に人生に役に立たな いものにしてしまう恐れもあるからです。ただ美しくなるだけではなく、色々なものが手 に入ります。それがBLMです。

BLM

Beauty Lines Method(ビューティー・ライン・メソッド)という聞きなれない技術で すが、人体にはまだまだ未知の可能性があります。BLMはもともとはある先生から教えて いただいた技術を私の独自の創意・工夫と理論を加えて心身開発トレーニングとして紹介 し、その効果・シンプル性からプロからも好評を得ていたものです。 この心身開発トレーニング(自己整体術)から得られるものは一言で言うと[姿勢]とい う[生き様の形]です。 それが美しさのエッセンスであり、人生を美しくするものの正体であると確信を持ちまし た。

[心身開発トレーニング]ではなく[美容の道]として人類の意識に革命を起こすものであ ると多数の方々から協力を得てBLMとして[美容]から入る人生の革命を創り上げました。

非常にシンプルなのですが、奥が深いものでもあるのです。 一生学べ、遊べるものなのです。

人体には特定の方向に、特定の刺激を加えると筋肉の状態や骨格が変化する場所があり ます。簡単に言うと「陰と陽の隙間」です。その隙間に[BL](ビューティー・ライン)と 名前をつけました。 人体に存在するその未知のラインに特定の方向に特殊な刺激(ヴィーナス・タッチ)を加 えると骨格や筋肉が自然に修正されます。ただ修正されるのではなく、それが人生にとっ ての[一生の宝物]になる学びを与えてくれるのです。 慣れてくるとイメージでも出来るようになります。 動くこと自体がBLMになってきます。 自分がBLMになるのです。 「生きていること自体が美容であり、健康である」そんな人生にしていただけたなら幸い です。

参加者の声 1・「とても楽しく、勉強になりました。リフトアップが出来て、膝の痛みがその場でと れたのに驚きました!」

2・「もっと難しい話だと思っていましたが、優しく触れるだけでこんなに身体に変化が 起きるとは!!顔が明るくなったのにはビックリでした。これから毎日続けたいです。

3・「密度の高い講座でした。身体と頭と心を十分に使い鍛錬できました。質の良いヒー リングを受けた様にも思いました」

4・「会う人からパワーをすごく感じると言われるようになりました。以前より自己肯定 感が高まり、着物を着て写真を撮ったり、新しい仕事にチャレンジしたりしています。ま すます内も外も美しくなっていく気がしています。とても嬉しいです」

BLMの講座受講者からの声です・・・・講座の雰囲気が伝わったでしょうか? 難しい理論を勉強すると思われている人も多いようですが、違うのです。 「楽しく実践する」「驚いてもらう」「その場で変身してもらう」ことをしています。 堅苦しいことは抜きで、ユーモアいっぱいに、脱線トークもふんだんに入れています。

講座が終わるころには、皆さん見違えるような活き活きした表情で威風堂々の姿勢で帰っ ていかれます。

受講された方がよく私の自宅に遊びに来てくださいますが、皆さん以前より美しくなっ ていて、それを私に自慢しに来るようです。 私も自慢したいことがあります。それは「私の周りには美しい人がたくさんいることで す。」そういう人生が思いもかけずに起こってしまいました。

 

 

命とは何?

「命とは何ぞや?」 この問いかけにすぐに言葉が出る人はいないのではないでしょうか? おそらく一生かけて答えを見つけるべきものなのでしょうが、今の私の答えは 「皮膚一枚を隔てて、裡(内)側にあるもの全て」です。 つまり身体の中身です。 中に詰まっているもの、見えるものも見えないものも全て含んで、それが[命]だと感じて います。 その命の器が[身体の形]です。命の形とも言えます。自分の形とも言えます。 その命の形のことをBLMでは『姿勢』と呼んでいます。

足が長いとか顔が丸いとかは[姿勢]ではありません。これは容姿ですね。 胸が大きいのも、まぶたが二重なのも容姿です。それらは[命]に関係はありませんよね?

「姿勢とは何ぞや?」 命の形! 人生の形! 心の形! 自分に関係している全ての形! つまり[生き様]のことなんです。自分の在り様(ありよう)とも言えます。 その人の全てが姿勢に表現されています。

どんな人生を歩んできて、どんな人生をこれから歩もうとしているのか? ちょっと感性を使って感じてみれば、なんとなく姿勢から伺えますよね? その人が、醸し(かもし)出す雰囲気も実は[姿勢]が醸し出しているのです。 内側にあって見えないものを見えるようにしてくれているのが[姿勢]なのです。 内側にあるもの全てを、つまり[命]を表現するものなのです。 [美しい]とは[命の輝き]ではないでしょうか? その美しさを創っているのが[姿勢]です。 もうおわかりですよね?[姿勢]とはこんなにも大切なものなのです。

私にとって[姿勢]とは名刺のようなものでもあります。 自分の人柄が表れています。身体は正直とよく言いますが、嘘を言わないのが姿勢です。 自分の姿勢に自分の全てが表れて、他人から全部見えていると思って生きています。 命への責任でもあるとも感じています。

気高い形

「なぜかわからないけれど、美しい人」っていますよね? モデルのようなプロポーションでもないけれど・・・ 顔立ちの整った美人でもない・・・・ 人柄が美しいのでないでしょうか?それが[姿勢]として表れているのです。 容姿ではなく姿勢に美しく『生き様』が表れたとき、それは「佇まい」(たたずまい)に 変わります。 その人の持つ魅力意外のものが働いているかのような。 まるで周りの空気や景色までもが、その人を賞賛してその人の魅力を輝かせる手伝いをし てくれるかのような・・・・『佇まい』とはそんな力を持っています。

何かに秀でている人は必ず姿勢がいいものですよね。 太っていても全く関係ないのです。 香港映画で活躍しているサモハン・キンポーさんをご存知でしょうか? 太ってはいますが、気品のある威風堂々とした佇まいをしています。アクションだけでは なくて何とも言えない風格や魅力がつまった人です。

ノーベル賞受賞者であるホーキング博士をご存知でしょうか? ホーキング博士の姿をテレビで見たとき、「なんと言う気品のあるかたなんだろう!神々 しいまでの何かを持っておられる人だ!」と感動したことを覚えています。 失礼な言い方かもしれませんが、身体は曲がっておられますが、内側に輝く真っ直ぐなも のを確かに感じました。 「どんな人生を歩んでこられたのだろう?」とてつもなく気高いものがあります。 お二方はいわゆる「いけめん」でも「マッチョ」でもありませんが、「いけ姿勢」という のでしょうか、[屈しない命]を感じます。

そういった英雄とも言えるような方々から[姿勢]を学ぶことで言葉では伝わらない[何 か]を得ることができます。

BLMの社会貢献

BLMによって何が出来るのか?ですが。 『セルフ・メンタルケア』・『セルフ・ビューティーケア』・『セルフ・ヘルスケア』の 3つです。 「セルフ」という言葉からわかるように[自分のことは自分で行う]・[自立する]というこ とを具体的な行動として実際に出来ます。 もうひとつは『女性のエンパワーメント』です。

「エンパワーメント」とは「個人や集団が自らの力で社会に影響を与えられるようになる こと。人々に夢や希望や勇気を与え、人が本来持っている本来の姿を取り戻すこと」で す。 BLMでそういったことをやって行けるのです。 流行に合わせたダイエットや他人と比較した体型で個性を見失う傾向が目立ってきていま すが、女性の自立・個性とは美しさではないでしょうか? 男性や社会が求める「美しさ」ではなく「女性本来の美しさ」に変えていくことが出来る はずです。

BLMで[美調整]された本来の美しさというパワーと特権で自信をもって社会の中心に躍り 出てほしいと願っています。[抑圧さてきた女性のパワー]とは『豊かな曲線と自然な曲線 の美しさ』ではないでしょうか?

[自分で行える](自力本願)とは[大いなる力]になります。 何かを変えるには、それと同時に私たちも変わる必要があります。 大いなる力で変えるものは自分と自分以外のものの両方です。 BLMを受講した方からこういう感想がありました。 「大きな力を得て、そしてその責任の重さも感じた」 指導する側としては本当に冥利につきる言葉です。 私自身も公開指導するにあたって大きな責任を感じていますが、それが参加者の方々にも 伝わっていたことを本当にうれしく想っています。 「大きな責任」は「大きな可能性」や「大きな進歩」でもあります。 「私たちの責任を棚に上げて」政治や他人に依存しているのかもしれません。 社会を変えていく・権利を取り戻す・・そういう夢を実現させるBLMでありたいと想って います。

可能性

日常生活がそのままBLMになりますが、日常生活以外のことも同じくBLMになります。例 えばヨガをする時にBLMをちょっと意識するだけで上達が加速されます。 [BLヨガ]というものも創っています。瞑想に応用するものも創っています。また武道や護 身術もあります。

BLMによって学んでいる技術やその道が深く理解できるようになっています。今まで使 ってこなかった身体の使い方、頭の使い方が出来るようになるので当然かもしれません が、「当たり前のことを当たり前にする」とはこういうことかもしれません。 今までは一つしか知らなかった使い方が、裏と表の両方揃うのですから、色々なヒントや 答えの宝庫になっているのです。 もしかしたら、達人と呼ばれる人達はBLMを自然に使いこなしている人達なのかもしれま せん。私たちは人である以上、全ての人が達人になれる可能性を持っているはずです。人 間の可能性の忘れられている側面がBLMにあるように思えてなりません。 何かに秀でている人達は必ず姿勢が美しいものです。どんな困難に出会っても美しさを失 うことはないものです。

私はBLMを実践する人達に英雄のような人物になってほしいと願っています。 英雄とは[人間の達人]のことです。何か特別な技術の達人ではなくて、人生の達人でもな くて、単なる人間として達人であることです。英雄とはこの[人間の達人]のことです。 「私を見てごらん、私もあなたも同じ人間だよ」と言葉を使わずに佇まいで[何か]を伝え る人です。 奇をてらった目立ちたがり屋のヒーローは要りません。 私もあなたも英雄の一人なんだ!と気付かせてくれる英雄が必要です。 大きなことをする必要はないし、何かを成し遂げる必要もありません。 人の達人、自分の形の達人というただそれだけで社会は変わるのです。 ペンでもなく、剣でもなく、姿勢で社会を治めること! それがBLMの使命です。それがBLMの英雄たちです。

自立

BLMは効果の高い整体術になります。しかし私はひとつの疑問を持っていました。 それは「整体はプロのところへ行ってやってもらうもの」という考えです。 自分の健康や美容という命の一部を他人任せにすることに納得がいきませんでした。

他力本願ではなく、自分でやることの尊さを知ってほしかったのです。 また、健康を得る替わりに、精神を犠牲にしたり、美容を得る替わりに健康を犠牲にした りするものが決して少なくありません。

依存や犠牲ではなく[自立]という精神をこの技術によって学んでいただけるように工 夫しました。 身体だけでなく、尚且つ[心も高まる]ものなるように研究しました。 精神の向上が得られる[道]と出会っていただけるものだと自信をもっております。 人生や命というものの本質と出会えるきっかけになるものなのです。 姿勢が美しくなり、動きが美しくなり、健康になるものなのです。 単なる整体や健康法・美容法ではなく[教え][学び]という[道]があるもの 美容と健康と精神性が高まる・深まる・広がるもの そんな贅沢なものがあるのでしょうか? ここにあるのです。 それがBLMです。

水分質な身体

BLMの実践者がよくいうことですが、『身体が柔らかくなってきた!』ということで す。 ヨガ教室に通っていたけれど、ヨガ仲間とうまくいかなくてしばらくヨガ教室に通うのを やめていたにもかかわらず、BLMをやり続けていたら自然に身体が柔らかくなりヨガのポ ーズがうまく出来るようになっていた!

「BLMで身体が柔軟になるなんて・・・?」

身体の柔らかさとは一体どういうものなのでしょうか? 化学の世界では「物質は3つの状態がある」としています。 「固体」・「液体」・「気体」というものです。 人体は固体なのでしょうか? 70パーセントが水分だといわれています。 しかし、この70パーセントという数値は骨も含まれているはずです。 骨以外の部分、筋肉や内臓などは70パーセント以上が水分だと言えます。 ほとんど水分なのです。 ただ、液体ではなく固体に近いからわからないのですが、[氷]と[流れる水]の違いのよう なものです。 固体を捏ねて(こねて)柔らかく[する]ことではなく、液体化させることで結果として柔 らかく[なる]ことも可能です。[なる]と[する]の違いは大きいものです。 身体を柔軟にするにはストレッチ的なことをする以外に方法はないと早合点するのではな く、本来の70パーセント以上の水分の流動状態に戻すことが「本来の」という意味では ないでしょうか?

若返りの正体はこの「水分質」にあるような気がしませんか? 高齢者になると水分が60パーセントくらいになる事が言われています。 また赤ちゃんは80パーセントくらいであるそうです。という事は、水分が多いことが若 いことに関係していると考えられます。 水分量だけでなく、流動質を高めることで大人としての若々しさを高めることが出来ると 言えます。 氷のような水分では硬く、壊れやすいものですが、流れ動く水分は何か清清しいものを感 じます。

例え80パーセントの水分であっても、硬い氷よりの80パーセントより流動的な清清 しい60パーセントの水分であるほうが自然で美しいものです。 BLMによって[コリ]が解けるようにほぐれていきます。ストレッチでもなく、揉み解すの でもなく、『自分がなる』という方法で、今までになかった柔軟さになってきます。 身体の中で骨が水の中で自由に揺らぐような感覚です。 関節の隙間に余裕ができて自由に稼動し始めます。 高齢者になると関節が磨り減ると言われていますが、関節の隙間に余裕があれば防げるの でないでしょうか? いつまでも若々しくいるとは、身体の流動質と水分質と仮説の余裕に秘密があるようで す。 BLMで身体が柔らかくなる・・・それは流れ動く水分という若返りの秘密です。

曲線美 あるデパートに日本刀が展示販売されています。 価格は1千万円です。その刀の名前は『長曽根之虎徹』(ナガソネノコテツ)といいま す。 新撰組の近藤勇も持っていたというもので、「幽霊とコテツは見たことがない」と言われ るほど数が少なく貴重なものです。 ガラスケースに入れて展示されていますが、本当に美しいもので、立ち止まってしばらく 見とれていました。 何が美しいのか?考えてみました。

形なんです。曲線美というものですね。 自宅に帰ってから紙に描いてみました、日本刀の絵を・・・・ しかし、不細工な日本刀しか描けないのです(私の腕前ではですが) 日本刀のなんともいえない曲線美が私には創れない、不可能だとわかりました。

それから数ヶ月後に講座のテキストの挿絵で使う女性の絵を描いていたのですが、また しても上手く描けないのです。ボディーラインが「一応、人であるとわかる」程度の不細 工な絵?でしかないのです。 しかしその上から腕や胸の豊かな膨らみという[曲線美]を意識して「修正」すると、隠れ ていた美しさがでてきました。「身体って曲線で出来ているんだ!」 人間って美しい! 元の曲線と微調整された曲線を比べると、その差はごくわずかなのです。0.1mmくらい なのです!たった0.1mmくらいで不細工と美しいの差がでるなんて! 曲線美とは0・1mmの違いで出来るもの。これは[美調整]だ!

試しに、自分の腕にヴィーナスタッチでBLMをしてみました。すると腕の膨らみやくびれ が微調整され何とも言えない美しさを醸(かも)しだしているではないですか。腕の表面 の微妙な凸凹がごくわずかに変化して自分でいうのも何ですが「美しい」のです。 今までは骨格という骨の並びで姿勢を創っていましたが、筋肉の曲線が[本来の曲線の状 態]に修正されることで、誰もが美しくあり得るのです。

[人は本来美しいもの] この本当の意味が、今私の目の前にあるのです。 わかった! 太っていても、小さくても、曲がっていても全く関係ない! [曲線の在り様]なのです。曲線を[美調整]すればいいだけ。

高級外国車の流れるようなボディーラインも、おそらく0・5ミリくらいの微妙な差が集 まってアートになっているのだと思います。

プロの努力ですよね? 直線と曲線のどちらに「美」を感じるでしょうか? [ものさし・定規][松の木][フェラーリのボディーライン]

人間は曲線に[美]を感じます。 そして、人間の身体のどこにも[直線]はありません。 全て[曲線]で出来ています。曲線の集まりです。 うまく使えば「美の集まり」になるのです。

0.1mmの努力 ここまでの話で何か気がつきませんか? どんな体形であれ、曲線で出来ているので、本来は美しいのです。 0・1ミリくらいの差でその[本来の美しさ]が引き出され、芸術(アート)になるので す。 大きいことに関心がある人もいます。 色がきれいなことに関心がある人もいます。 [美しいこと]とそれらは本来関係がないのです。 肌の色、きめ細かさと美しさとは違うものなのです。 清潔感とも違うものです。 しわがあって、黒くても、しみがあっても、それは美しさとは違うもので、肌の中身の形 の0.1mmの差が美しさを創っています。 骨格だけではなくて筋肉の緩み具合、締り具合で曲線ができています。 それを操作する能力やシステムを人間は皆平等に持っています。

聞いたことがないかもしれませんが、事実です。 どうやってその能力を使うのか? 身体に触れるだけでいいのです。 ちょっとした知識が必要になりますが、[撫で方]と[撫でる方向]の2つでいいのです。 ここをこうすると[緩む]ここをこうすると[引き締まる] これで骨格と筋肉を調整して曲線美を引き出せるのです。

自分の力で骨格の角度や筋肉の締り具合を0・1mm動かすことは出来ないですよね? 試しに指先を0・1mmだけ動かしてみてください。小さ過ぎて出来ません。 しかし、ビューティー・ラインを特殊なタッチ『ヴィーナス・タッチ』で撫でるとその微 調整(美調整)を自動的にやってくれるのです。 0・1mmという作業は職人芸です。しかし0・1mmなんて小さすぎて努力も要らない感じ もします。「努力の要らない職人芸」です。 『0・1mmの努力』というアートを自分の身体に行うことで[職人のアートな美しさ]を自 然に創る力を人間は持っているのです。

[自分の個性]と[自然な美しさ]が組み合わさって、日本刀やフェラーリのような職人 芸・アートを表現したボディーラインが登場します! しかも、美しくなるだけでなく、驚くような健康が手に入り、精神も磨かれるというおま けまでついています。 BLMはたくさんの方々が使っています。その効果はここに全て表せないほどのものであり ます。

もう一度いいます。私が30年以上かかって得た境地は、実は「0・1ミリの努力」で 手に入るものだったのです。

自画自賛的体験記・その1

BLMの運動(BL運動)で登山をすると、疲れをほとんど感じることなく登れます。 人生の頂上まで疲れることなく行けるような自信にもなります。 夏に京都の鞍馬山へ行ったことがあります。 気軽に登山できる山だと思っていたのですが、少し予想が外れていました。思ったよりも きつく、そんな心構えができていたわけではないので、途中で引き返すつもりで、登って いきました。 BLを意識しながら長い急な道を登っていくのですが、足がとても心地よく動くのです。ぶ れないというか?足に芯が出来てその芯が自然に足の軌道を整えて、楽に登れました。足 の筋肉のパワーで登るのではなく、全身の動きのパワーと言えばいいのでしょうか? 頑張って踏ん張ることをせずに、すごく自然に身体が進んでいくのです。 しかも、動きながら充電しているような感じで、体力が消耗するどころか、逆にどんどん 活気が溢れてくるのです。登れば登るほど芯が強く充実してきて、活気に溢れてきて、一 体いつ疲れてくるのだろう?他の登山客に申し訳ないな・・なんて言う考えが出るほどで した。 子供のころはトレーニングも兼ねてよく山登りをしましたが、そのときの疲労感覚とは全 く違うもので、逆にトレーニングにはならないくらいに清清しいのです。 一歩進むとその分の活気が蓄積されるなんて信じられないかもしれませんが、事実で す。BLで登山をした受講生も同じ体験を報告してくれています。中には生まれて初めての 登山で富士山に登った人がいます。つまずいたりすることがなく、しかも翌日に筋肉痛に ならなかったとのことです!

ハイブリッドカーというものがあります。走りながら充電しているので燃費がいいのです が、BLMを使うと、それが自分の身体に起こるのです。 [ハイブリッドな身体]になるのです。 エネルギーを消費する身体運動が足り前のようですが、エネルギーを生産する身体の使い 方があるのです。 消費社会に合わせて?身体も消費身体になっているのでしょうか? ならば人間がハイブリッド身体になれば消費社会を卒業できるのでは?なんていう夢も出 てきますよね? 近未来の「美容身体改造法」です。 車だけでなく、心も身体も社会もハイブリッドにするのがBLMの夢です。

 

ビーナスタッチダイエット

第2章ではBLMで使うヴィーナス・タッチで[触れる]ということから教えられる学びや気 付きなどをお話していきます。日常で無意識に[触れる]ということをしていますが、実は 非常に奥の深い行為であることを知っていただけたなら幸いです。

タッチ 「触れる」「撫でる」という言葉を聴くと何故か懐かしい感じがして子供のころを思い出 す人がたくさんいます。 子供のころは毎日のようにお母さんや周りの人々から「触れられて」「撫でられて」いた からではないでしょうか? 日常的に「触れられる」体験をしていたのです。子供は他人から「触れられる権利」をも っているのかもしれません。 触れられることで、五感の一つの「触覚」を通じて「自分の存在」を自分で体験して、安 心していたのです。 お母さんの子宮の中では、お母さんの体温と同じ温度の羊水に触れられていましたよね。 生まれてきた赤ちゃんも、体を適度に締め付ける「おくるみ」をすると安心して寝てくれ ます。適度な圧力、つまり「触れる/触れられる圧力」が人間にとって最も原始的な安心 を与えるようです。 それは「一人ではない、自分も他人も確かに存在している」ということで「孤独ではな い」という核心を得る感覚なのでしょう。

未熟児はお母さんと一緒に過ごすのではなく、無菌状態にされた無菌カプセルに隔離して いたことがあります。免疫力の弱い未熟児にとってはそのほうが感染症などからの危機か ら遠ざけることが出来るからだそうですが、何故か死亡率が上がり、無菌室ではなくお母 さんと一緒のベッドで過ごすことに戻すと死亡率が下がったということが報告されていま す。 [カンガルーケア]と呼ばれているものですが、お母さんに触れられることが「無菌室以 上」の何かを創っていたことがわかります。赤ちゃんや子供は触れられることである種の ホルモンを出したり、母親に抱かれることで母親の呼吸のリズムを学習して身につけると いわれています。 「母親の愛」という言葉で安易に終わらせるにはあまりにもったいない話ではないでしょ うか? 「母親の愛」とは具体的にはわが子に「触れて」「撫でる」ことではないのでしょうか?

生まれたばかりの赤ちゃんを抱いたことがある人はわかると思いますが、大人の力で抱く と壊れてしまうのでは・・・とちょっとした怖さを感じるものですよね? 神聖な存在に対する「畏怖・畏敬」のようなものを感じたことを覚えています。

私はマッサージ整体や介護術、武術の指導をしていますが、相手に触れるときは武術で あっても「赤ちゃんに触れるような気持ちで」「高貴な人に触れるような気持ちで」「無 礼な触れ方をすれば叱られると思って」と言っています。 一つにまとめると『敬意をもって触れる』という言葉で表現しています。

触らぬ神 触れるという行為はある種の神聖な儀式かもしれません。 神聖なものにむやみに触れることは戒められるものです。穢れた手で触れるからでしょう か? 私は整体やマッサージや介護の仕事をしていたことがあります。 そこで得た体験が[触れる]という行為を考えるきっかけでした。 介護ではグループホームという認知症のかたがたをお世話する施設で働く体験をしていま す。その施設には「触らぬ神」と職員から呼ばれている利用者の高齢者のかたがいまし た。 その人は普段は温和な人なのですが、着替えや何かで身体に触れると激しく抵抗して気性 が激しくなり、手がつけられないのです。職員泣かせなのですが、何もしないわけにはい きません。新米だった私は危険なので触れないようにいわれていましたが、その人に触れ る機会がきました。 他の職員が手を伸ばして触れようとするとすぐに怒りをあらわにして拒否するのですが、 私には何が嫌なのかわかっていました。触れようとする動きや姿勢が固いのです。わたし が「そっと」手を伸ばすと何も抵抗してきません。そのまま柔らかく包むようにするだけ でいいのです。 「あんたは触っていいよ、あんただけな・・」 私がいただいた「触らぬ神」からのプレゼントです。 [触れているつもり]であって、実は「触れていない」のです。 どこで触れるのでしょうか?手ですよね?手とはどこ? 謙虚に考える必要があります。 普通は指を中心(メイン)にして触れています。手の中心は指ではなく掌(てのひら)で す。そして圧力を偏らせることなく、均一にして触れている部分の形に合わせて包むよう にすればいいのです。 「触らぬ神にたたりなし」といいますが、実は「触れないから、たたりがある」のです。 「触れ方が悪いから」たたりがあるのです。 神聖なものに触れるには神聖な触れ方が必要です「丸いものは丸く扱う」ですね。 「無闇に触れる」の「無闇に」とは「無礼な」という意味ではないでしょうか? 無闇に触れると罰が当たるものに、ヴィーナスタッチで触れると何が当たるのでしょう か? 罰ではなく祝福が当たるのでは? 災いを福に逆転することがヴィーナスタッチで出来るかもしれません。

今まで触れることが出来なかったものに触れることが出来るようになるのです。 私は「触らぬ神」と呼ばれていた人の「福の神」に触れることが出来ました。

ヴィーナス・タッチ 母親の愛に敬意を示し「ヴィーナス・タッチ」と名前をつけています。 具体的には6つのテクニックがありますが、「敬意」や「心をこめる」という想いを具体 的な動きとしてわかるようにした技術だと自身を持っています。 ヴィーナス・タッチで自分に敬意を持って 真心をもって触れて 自分を大切にする、自分に敬意を示す。 まるで高貴なお人のように畏怖をもって自分に触れ合うことで、自分が変わり、他人への 触れかたも変わり・・・・ 「触れる」ということを大切な技術の一つとして創りました。 言葉を超えた、祈りのような動きです。

愛という言葉はよく聴きますが、言葉を変えると「敬意」かもしれません。 昔の武士達は敵と戦う時も「敬意」をもって挑んでいました。 「戦い」の中にも「愛」を見出すことが出来ることを私たちの先祖は「敬意」という言葉 で私たちに伝えようとしているように感じます。 また、負けて倒される「敵」も相手から敬意を感じながら、敬意を持って負るのです。 そこには「争い」は存在しません。 「敵ながら天晴れ」という言葉がそれですね。 「争うこと」と「戦うこと」の違いがここに見事に表現されています。

また、「敬意」を英語でいうと「リスペクト」(respect)ですが、これは「再び (re)・見る(spect)」という意味があります。 「再び見る」・・・もう一度見直して、更なる発展を望む行為だと感じてしまいます。

「触れる」ことが「愛のアート」になることを学んでいただければうれしいです。

行動的な愛情

敬意をもって繊細にタッチすると細胞がそれに答えてくれます。 泣いている子供に優しく触れることで子供は大切にされていることを身体(存在)で知 り、活き活きとして本来の姿を取り戻します。歪むことなく成長します。 それを自分に使ってもいいのではないでしょうか? 細胞の一つ一つの形を壊さないように敬意をもって触れることで細胞が大切にされている ことを知ります。活き活きとして、本来の姿を取り戻します。歪むことなく細胞は成長 し、正常な細胞分裂をします。 細胞の集まりがあなたです。細胞は大きな自分(あなた)ではなく、小さな自分(あな た)です。 小さな自分が生き生きとした正しい形に集まって、正しい自分(あなた)になって行きま す。 細胞の集まり具合が姿勢です。今は歪んでいても、敬意をもって触れれば、正しさをいつ でも取り戻せるのです。 人は本来美しいものです。誰もがいつでも美しさを取り戻せるのです。

自分で自分を我が子のように大切に育てるのがヴィーナスタッチです。 敬意をもって育てる。自分への敬意です。 誇りをもって自分に敬意を表し、誇り高い美しさを取り戻すことが出来ます。 言葉を使わず、行動でするのです。人生と同じですよね? 言葉は嘘をつけますが、行動は[実行]なので嘘が入り込めないのです。

心を込めた言葉より、心を込めた行動のほうが真実味がありませんか? 言葉よりも行動のほうが心の奥に届くものです。 敬意や誇りというものを具体的に行動にしたものがヴィーナスタッチです。

あるがままの存在感

ヴィーナス・タッチは超ソフトタッチで行います。ただ単に超ソフトタッチではなく、 身体の曲線をあるがままの形になぞることをします。 筋肉をほんの僅かにでも凹ませないように気を使って行うものです。 それは少しの狂いもなく、今のあるがままの自分の形を触れることなのです。

「触れる/触れられる」という刺激に[あるがまま]が加わり、それが脳や身体に伝わり[あ るがまま]を体感するのです。 あなた(私)は確かに存在している! こんな形で存在している! 正直(あるがまま)な現実を脳や身体が知ることで、確かに存在している確証を得ます。

リアルな存在感をきちんと知ることがどういう効果を得るのでしょうか? 自分で本当の自分を知るんです。 難しく言うと「存在が存在自身で存在を認識する」のです。「理屈」では自分が存在して いることを理解していますよね? 理屈ではなくて[存在そのもの]が存在していることを納得するのです。 写真や鏡、他人から話しかけられる等という自分以外のもので「自分は存在している」と いう認識をしているものなのですが、そうではなく自分自身が「私は存在している」と自 分の存在に目覚めるのです。 一人ぼっちだから寂しい、不安だ・・・ということから卒業して「自立」出来るのです。 今まで他人任せにして無視していた自分を体感出来るのです。 自信にもなりますよね? リアルな存在感が出てきます。それは「生きている」ということのエッセンスでもありま す。 理由も無く「活き活き」してくるのです。自分で自分を生きさせる生命力が湧いてきま す。存在でさえも他人に依存していた世界から抜け出て、自由・勇気・活力を得られるのです。

触れられる 触れるということは日常で当たり前のようにあることですよね? 1日に何回くらいあるのか?数えることをしたくないくらいにあります。 そういう当たり前の事ほど、奥が深いものなのです。 触れることを上手くなろうとは考えもしないはずです。触れて癒す「タッチ・ヒーリン グ」のプロも肉体的に触れる技術はまだまだです。

触れることが上手くなると、今度は[触れられる]ことが上手くなってきます。 触れてくる相手に「うまく触れられる」ようにこちらで修正・誘導できるのです。 誰にだって [触れられたくない]ことはありますよね? しかし「触れられたくない」のではなくて、[触れさせ方が下手]ということも事実です。 自分に責任を持ってくるのであればそういう捉え方もできます。 [触れる]ということを磨いていくと、どうすれば不快感なく触れるのか?が技術としてわ かってきます。 どうすれば不快感が出来るか?もわかってきます。 人生には絶対に遠ざけられない、触れなければならない嫌なことがあります。 逃げることも一つの方法ですが、上手く触れることも、触れられることも出来るのです。 逃げられなくなった場合にはこの技を使えばいいのです。

具体的にどのようにするのかと言うと、それはヴィーナス・タッチそのままです。 BLMそのものです。 圧力を均一にすることです。姿勢を僅かに修正・変化させていくことです。 変わらない自分を維持する0.1mmの努力です。 受け流すのではなく[触れること]と[触れられること]の両方が合わさって新しい次元 の[触れる]と出会うことができます。

触れ合い [触れること]と[触れられること]の両方が合わさって[触れ合う]になります。 言葉で言うのは簡単ですが、具体的にやってみて下さい。 手で足に触れてください。 足は手に触れられているだけではなくて、足で手に触れていることを感じてください。 それを両方同時に感じることです。

それだけではなくて、触れている手も同じく「触れている感覚」と「触れられている感 覚」を同時にしてください。 なかなか難しいものですが、ある程度出来るようになるとビックリすると想います。 『触れ合い』が起こるのです。 今まで何も触れていなかった!というくらいに感覚が違っています。 「感じる」という感覚ではなく「わかる」という感覚です。 昆虫の触角というアンテナはこういう感覚をもっているのでしょうか? おそらくそれ以上のものだと思いますが、あんなヒゲみたいなもので何がわかるのだろ う?と思っていたことがひっくり返りました。 「見える」とか「感じる」のではなく「わかる」のですね、「人間以上の何か」がわかる のでしょう。 触角で触れて人間が何を考えているのかわかるのかもしれません。 私はそこまでいかなくても、相手の「人情のようなもの」が自分のものとして何となくわ かります。 [そうだよな・・あなたはそう考えるよな、私は違うけれど、あなたならそうだよな] これが「相手に上手く触れられる」ということです。 「腹が立つけれど、あなたも同じく私に腹が立っているのですね。わかる・・・私と同じ くらい腹がたっているのですね・・・同情しちゃいます・・・・」 「触れ合う」ことで「分かち合う」ことになってくるのです。 だからといって怒りの感情がなくなるわけではありません。違う形で怒りが持てます。 人は皆、何かでつながっていて、同じ部分があることがわかります。 「触れ合う」ことは「つながる」ことでもあるのです。

自画自賛的体験記・2 BLMでスノーボードをすると?

生まれて初めてスノーボードを体験した時のことです。 妻も同じく始めてですが、妻はタイ人であり、雪を見るのも始めてでした。 初めて見る雪・・・どんな感動をするのか?と思っていると、なんと雪を食べていまし た。 まぁそうですよね?

さてスノーボードですが、私はこういうスポーツが好きではないのです。 得意でもありません。しかし、BLMがどのように機能を発揮できるのか?非常に楽しみで した。 1日目・・・・うまく滑れるようにはなりませんでしたが、それなりに楽しめる程度には なれました。妻は・・楽しくない、疲れるだけ・・と不満なようです。

2日目・・・・妻は足がひどい筋肉痛で、今日は見学している・・と少しご機嫌斜めで す。私は全く筋肉痛がありません。一緒に来ていた弟夫婦は毎年スノーボードに来ている ベテランですが、妻と同じく筋肉痛になっていました。

私の今日の実験は1日目とは逆で「BLMを使わない」でスノーボードを行うことです。

その結果・・・足が物凄く疲れることがわかりました。昨日はこんなにも足に負担がかか るなんて全く気がつかなかったのですが、本当に立てなくなる位に足がガクガクになって しまいました。それに、昨日とは違って上手く滑れないのです。すぐにバランスを崩して 倒れてしまいます。おまけに転倒して腰を打ってからはなぜか、ボードが右にばかり進ん でしまい左に曲がろうとしても右に進んでしまうという不思議な状態になり、まったく進 めないので、嫌になってボードを担いで降りることになりました。 妻は・・・昨日より上手になり楽しくてしょうがない様子です。 1日目より2日目のほうが上手くなるのは当たり前のことですが、私は全く逆になってい ました。つまりBLMが効果を発揮している証拠です。 2日目の下手な私がいつもの私なのです。 1日目の私はBLMで助けられていた私です。

翌日、私は猛烈な筋肉痛を体験していました。

 

姿勢ダイエット

第3章では『姿勢』についてお話していきます。「姿勢」とはいったい何なのか? なぜ大切なのか?姿勢から学べることは?40年近い研究の結果から得られた姿勢に秘め られた神秘な美しさの事実を「立つ」「歩く」から「生き様」までを通じて皆さんと分か ち合っていきます。

立つ責任 立つ 〔立つ〕という行為は日常生活で一体どれくらいの出番があるのでしょうか? 朝起きてから夜寝るまでどれくらいの時間を〔立つ〕という行為に使っているのか? 人によって、仕事によって違うでしょうが、大半が〔立つ〕時間で占められているはずで す。 人生の大半を〔立つ〕ことに使っているのです。 人生の主役といっても過言ではないものなのです。 呼吸や食事は生命を維持するために必要なものですが、〔立つ〕ことはその維持された生 命を成長させるためにあるのではないでしょうか?

赤ちゃんが生まれてきて、「這い這い」を始め、そして〔立つ〕ことが出来たとき、家 族からかなりの祝福を受けると思います。あの祝福は一体何に対するものなのか? 大いに時間をかけて、考えてみる価値はありそうです。 もしかしたら、「人になった」ということかもしれません。 動物のなかで直立して立つ存在は「人間だけ」です。 〔立つ〕ことで手が自由に使えるようになり、道具を使い始め、そして今の文明が出来 た、という説もあります。人間の能力を高めたのは〔立つ〕ことが出来たからではないで しょうか?

しかし一方で「はたして人間はきちんと立っているのか?」と考えさせられる事もあり ます。 まだまだ始まったばかりで、きちんと立っていないのに、これで完成だと気を抜いて〔立 つ〕ことを疎かにしてはいないでしょうか?

武術の世界では「立ち方3年」と言って、まず立ち方を教えられます。3年間〔立つ〕 ことを修練して初めて基礎ができるのです。 〔立つ〕ことを修練したことがある人は多くはないずです。

〔立つ〕という行為は非常に複雑なバランスが必要です。このバランスが〔姿勢〕とい うものを創っています。 姿勢が悪い人はバランスを保つ為に脳の大部分を使っていることがわかっています。 つまり姿勢の良い人は悪い人に比べて脳の余裕があるのです。立つことに忙しすぎて余裕 がない状態を知らずに生活しているのです。能力のほとんどを〈立つ〉ことに使っている のです。 〈歩く〉ことも〈立つ〉と同じく日常生活の大半を占めています。

地球上の全ての生命の頂点に立つ霊長類の責任でもあるような気がします。

未完の美 立つという行為の意味はなんなのでしょうか? 何が自分の内側で起こっているのでしょうか? 2本の足でしっかりと安定させようとしているのです。 右に傾いたら、左に寄せて、左に寄せすぎたら右に・・・・ 決して安定することがないのですが、安定する努力をしているのです。 重心は立っている限り、決して、決して安定しません。 一時も休まず、動き続けているのです。 安定しているのではなくて、安定させようと努力しているのが「立つ」という行為なんで す。 出来ないとわかっていることをやり続けているのです。 無駄な努力をしているのでしょうか?

決して完成しないパズルを完成させようと頑張っているのです。 その尊い努力が「立つ」という姿勢で現れているのです。 全ての姿勢はこの「尊い姿」です。 無限や永遠に真正面から挑む勇敢な姿ともいえます。 私にはそう見えます。

[未完の美]という言葉があります。 芸術の究極の姿だというアーティストもいます。 完成させる努力を人間はします。 完成させない努力はしません。 努力しないのではなく[完成させない努力]です。 言い方を変えると 「理解する努力」「答えを出す努力」ではなく 「理解しない努力」「答えを出さない努力」です。 無視したり、怠ける努力ではなく、今まで使ったことがない能力を使うことです。 意味がわからないかもしれませんが、姿勢とはそういう能力を自然に発揮しているので す。

私が主催する「特別6ヶ月コース」の卒業生に私はこういう言葉を送っています。

「本来は一人の師から次の世代を継ぐ新しい師になる人にだけ手渡される言葉で、次の世 代に伝えるときには自分の言葉で表現する。というルールがあります。私が師匠から送ら れた言葉を私なりの表現であなた達に送ります。私の代からは一人の新しい師だけにでは なく、卒業生全員に送ることにします。 今日でパズルの最後の1ピースがはまりました。パズルの完成です。あめでとう。 パズルをよく見なさい、どこか1ピースだけが真っ黒に変わっています。 おめでとう、これが本当のパズルの完成だよ。真っ黒なピースは捨てて、自分でその欠け た1ピースを創ってごらん。自分で創ったピースをはめると、またどこかが真っ黒にな り・・・捨てて自分で創って・・・また黒いピースが出てきて・・・・」

免許皆伝とは「わかったつもりなるな」という意味があります。 完成した途端にどこかが欠ける意地悪なパズルの完成です。 それは意地悪なパズルと一生付き合うのか、捨てるのか、全部を真っ黒に塗りつぶすの か? どれも自由な正解の始まりです。 本当の自由や正解というものは[未完の美]という厳しさを持っています。 「自分が正しい」と思わなくなる正しさでもあります。 私の師匠が厳しい修行を通じて何を伝えたかったのか? それは技や能力ではなく、このパズルだったのかもしれません。

立つということはこれと同じなのです。

いつでも、どこでも、だれでも 慣れてくるとBLへの直接のタッチをしなくても[意識するだけ]で同じ効果がだせるよう になります。

するとどうなるのか?ちょっとイメージしてみてください。

わざわざ触れなくてもいいのです。撫ぜるという行為をしなくてもいいのですから、何か をしながら、ちょっと意識をBLに向けるだけで心身が美しく変わっていけるのです。 [撫でるだけの美容]が[意識するだけの美容]に進化するのです。 わざわざBLMに時間や労力を使わずに済みます。何かをしながら出来る、という魔法のよ うなことが出来るのです。 他の事をしながらなので日常生活がそのまま努力なしに利用できますよね?自分で出来る のでお金がかかりませんが、それに加えて時間も労力もかからない、BLMをやっている事 にさえ誰も気が付きません! 掃除をしながら・車を運転しながら・買い物をしながら・友人とお茶を飲みながら・デー トしながら・・・・ついでに[その動き]が美しくなります。 これが『いつでも・どこでも』という意味です。

ラインを覚えるだけで出来るので、勉強も必要ありません。訓練もほとんど要りませ ん。つまり[誰でも出来る]のです! すばらしいリラクゼーション効果もあるので、マッサージをしてもらいに行く必要もあり ません。 元気になるので、睡眠時間が減り、自分の自由な時間が増えます。これだけでもかなりの 経済効果があります。 BLMでエコな人生が揃います。

0.1mmの舞い 姿勢の連続が[動き]です。止まっている姿勢であっても実は微妙に動いてバランスをとっ ていますよね?完全に静止することはありえないのです。 [止まっているけれど動いてもいる]というものです。 「動中求静」という言葉があります。 「動いている最中でも静かに(落ち着く)する」という感じの意味ですが、逆の「静中求 動」という言葉もあります。 「止まっていても動いていないと本当の静はありえない」のです。 生きている限り動いています。眠っていても心臓は動いています。血管もピクピク動いて います。じっと立っているときも、微妙に動いています。微妙にバランスが変化している ので見えないくらいですが動いています。

私は「0・1mmの舞い」と呼んでいます。 [立つ]という形を持するために、ごくわずかですが舞っているのです。 身体を硬くして、じっと立つと舞いは起こりませんよね? [舞う様に立つ]から絶妙な優雅さが表現出来るのです。 その舞いは[自由の舞い]です。 0・1mmの自由を舞っているのです! 身体を硬くして立つと、たった0・1mmの自由でさえ手に入っていないのです。 自分を硬く固定して「0・1mmも動いてはならない」と自由を奪う努力をしているので す。 0・1mmも開放されないのです。「開放されてはいけないルール」を自分で創っているの です。 そんな生き方したくないですよね? 0・1mmの自由でさえ許さないルールを持つと人はイメージの中で自由を描き出します。 「私は自由だ」とイメージで自分に言い聞かせて、思い込んで、それで満足してしまうの です。 [自由になってはいけないルール]と[私は自由だというイメージ]という相反するものが喧 嘩を始めます。コンクリートで水を創るようなものです。 そんな生き方になってしまいます。 現実は身体が創り出します。たったこれだけのことで[舞うような生き様]か?[つじつま の合わない生き様]か?が決まってしまうのです。 BLMで自由な生き様を舞って下さい。

姿勢は生き様の形 [生き様]が姿勢に表れるのです。私は「姿勢とは生き様である」と想っています。 まず間違いないと信じています。 何があっても姿勢を崩さない人は理屈抜きで「信頼」できますよね? ちょっとしたことで姿勢がすぐに崩れる人は「頼りない」のではないでしょうか?

私が今まで出会ってきた「美しい・かっこいい人達」は皆「美しい・かっこいい姿勢」を しています。何が「美しい・かっこいい」と感じさせるのでしょうか?「生き様」ですよ ね? 「姿勢・人・生き様」この3つは同じだということです。 どれくらい「美しい・かっこいい」を維持しているか?という持続時間の問題でもあるの です。身に付いているのです。[身に付いている]とは[生き様]のことですよね? 「自分」というものの中で[身に付いている]ものは何でしょう? 文字通り「身体」です。 身体とは命です。人生そのものであります。 だから「姿勢は生き様」なのです。 言葉だけではなく、身(体)をもって生きている瞬間が「生きている」時間なのです。 心が失われた時代だといわれていますが、心だけではなく身体も失われているようです。 心が生き様を創っているのと同じく「身体の形(姿勢)が人生の有り様(生き様)」なの です。 文字通り「姿勢は生き様」なのです。 「私は私が食べた物で出来ている」という考え方がありますが、もっと大きな(マク ロ)、身近な(ミクロ)考え方は 「私は私の命の形で出来ている」ではないでしょうか?

姿勢が与える影響 姿勢が他人に与える心象を掲載してみました。 A・「姿勢が崩れている」 B・「姿勢が平常身」(BLM) C・「腑抜け」(間違った脱力) と表現しました。 BがBLMの姿勢で与える印象です。

1・あやまる(ごめんなさい) A・・・もうこいつには頼まない!頼りない! B・・・誠実で自信も感じる、またお願いしてみたい! C・・・反省していない、へらへら抜けているだけだ!

2・痛い!

A・姿勢が崩れて、痛々しそう、軟弱、大げさ B・痛いけど負けていない、心が強い、弱い人の気持ちもわかってくれそう C・感覚が鈍いだけ、人間ぽくなくて気味が悪い、人の気持ちをわかってくれなそう

3・悲しい人と出会って共感する

A・同情しているだけ B・自分の悲しみより他人の悲しみを大切にしてくれそう C・自分の感情を丸出しにして満足しているみたい

4・喧嘩(負ける)

A・見苦しい B・慈しみ、頼もしさもある、負けても強い! C・負け犬

崩れても、無視しても[美]が遠ざかるのです!

歩く

「歩く」という行為は「立つ」と同じく日常の大半を占めています。それを自分を高める為 に使えたなら、どんなにいいでしょうか?

人は何故歩くのか?そんなことをテーマにしてもいいです。 何事にも上手い下手がありますが、「歩く」「立つ」ことが上手になりたいとは考えません。 何故でしょうか? 当たり前すぎて見えていないからです。 無いにも等しいくらい価値の無いものだから・・・・

「当たり前のことを当たり前にする」という格言があります。 「歩く練習をするために歩く」ということをやってはいかがでしょうか? 人類は本当に「歩いて」いるのでしょうか? 実は未だ、進化の途中なんです。 出来ているつもりになっているのです。 もっとも基本的な行動がまだまだ課題だらけなのに、それ以上のことをしているから何を やっても中途半端なのです。 歩くことを極めるくらいのことをしないと、次のステップに進めないのです。 いえ、「立つ」ことさえ出来ていません。

人間レベルとして出来ていません。人類は立つことに関しては「獣並み」です。 霊長類は二本足で立って歩く特権が与えられています。 その特権を霊長類は完成させていないのです。

霊長類としての責任がここに無視されているのです。 人間が霊長類になる日は、立って歩くことに本気で取り組む日です。 人間の可能性はまだまだある、ともいえます。 「歩く」ことを高めれば、霊長類としての本質能力も当然高まります。 人は何故歩くのか? 歩きましょう!

素敵に歪む 「素敵に歪む」私の大好きな言葉です。私の座右の銘でもあります。 これは私の武道の師匠からいただいた言葉です。私のことを「素敵に歪んだ人」と言って くださったのです。

中学生の時です。私はかなり個性的?というよりも他人を困らせるくらいに常識が通用 しない少年だったのでしょう、良かれと思ってやったことが逆に他人の怒りを買ってしま うことが多く「自分がそんなことをされてうれしいのか!?」と叱られるのですが、馬鹿 正直に「うれしいからやったんです、ぼくはされたらうれしいです」と威風堂々と変人ぶ りを発揮していました。 ある武道の演武会で私たちのチームはちょっと新しいものを取り入れて演武したことがあ りました。 私のアイデアですが、お偉方には不評で「伝統をなんだとおもっているのか!」と怒りを 買い、責任者?である師匠が私の代わりにお叱りを受けるはめになりました。

今考えても、お叱りを受けるようなことではないと思っていますが、師匠から叱られる な・・・と覚悟して「ご免なさい先生」と謝ったところ、師匠は私を見てニコッと微笑み ながら「あなたは歪んでいる、素敵に歪んでいる」と言いました。

どういう意味かはわかりませんが、今でもこの言葉を私は大切にしています。 「歪む」とは「不・正」と書きますが、歪んでいても正しいものはたくさんあります。 「曲がり松」というものがあります。真っ直ぐではなくて曲がっている松のことですが、そ の松はその松なりに真っ直ぐなのです。逆に真っ直ぐなことは松としては曲がっているの です。

「曲がり松 曲がっているから 美しい」 「素敵に歪む」とは[曲線美]のことなのではないでしょうか? BLMで素敵に歪む個性を楽しんでみませんか?

ハイヒールの健康

女性のハイヒール姿って何ともいえない魅力がありますよね? 誰が考えたのでしょうか? でも歩きにくいので、歩く姿勢が崩れてせっかくの魅力が台無しになっている人をよく見 かけます。 ハイヒールは女性の立ち姿を美しくするもので、本当に魅力的なファッション・ツールだ と思いますが、歩くと逆に魅力を壊すツールになっているのが非常に残念です。

だから、1つ秘密の技を紹介します。

足の親指から足を出すようにして歩くことです。 特にハイヒールを履くと「太ももを上げる動作」で歩こうとしています。 足の内股部分にBLの一つがあります。足の親指から前に進む感覚で歩くと、このBLが働き 出してハイヒールの魅力を十分に引き出し、エレガントな歩き方が出来ます。 バランスもよくなります。そして、もう一つの効果は[ハイヒールは身体に悪い]と言われ ていますが、それが逆に[ハイヒールが身体にいい]に逆転することです。

何故か?難しい理論はここでは言いませんが、簡単に言うと「ハイヒールが悪いのではな く、歩き方、身体の使い方が悪いから」です。 身体に悪い身体の使い方をしているだけなのです。 かかとが上がっているから普段の歩き方でいいわけがありません。 『普段とは違うから普段とは違うことをする』という当たり前のことを見逃しているので す。 [毒は薬にもなる]といいますよね。 「ハイヒールが腰を痛める」のではなく「ハイヒールを履くと腰を痛める歩き方をしてい る」と謙虚に[あるがまま]を認め[ハイヒールが身体にいい歩き方]を研究・工夫すればい いのではないでしょうか?

[自分を変えれば周りも変わる] BLMはそういった考え方の姿勢、生きる姿勢も正してくれるものです。

みだしなみ 『身嗜み』(みだしなみ)という言葉を辞書で調べると「容姿や見た目、ファッションな どを良くしようという心がけ、又はそうしたマナー」とあります。

『ファッション』は自分の好みを演出して個性を出すことで、「みだしなみ」とはまっ たく違う質のものです。

どんな時でも自分の個性を出していいわけではありません。公衆エチケットというものが 大切になってきます。結婚式に花嫁や花婿より目立つ服装は礼儀に反しますし、お葬式に 赤い衣装を着ることもしません。その場に応じて、周囲の人に気を使うことも「身嗜み」 です。 「ファッション」や「おしゃれ」というとアクセサリーや衣装などを思い浮かべますが、 『姿勢』もファッションとして使えるものなんです。 「素敵な笑顔」をアクセサリーとして持っている人がいます。羨ましいことです。 「凛とした佇まい」もファッションです。 どこかで買えるものではなくて、自分の内側がにじみ出た、誰にも真似できないもので す。 人柄が表れたものなんです。生き様が現れたものなんです。 名前や職業という自己紹介ではなく、姿勢という自己紹介、生き様紹介になっているので す。 体というものは正直であり、今までの人生、生き様がそのまま蓄積された場所です。 自分の過去という生き様が[ありのまま]にある場所です。 生き様を[苦労]というデザインとして紹介するのか、[冒険]というデザインとして紹介す るのか?

私はずっと辛い人生を送ってきていました、人生障害者ともいえるものでしたが、それ が今では輝かしい勲章になっています。 心の傷も勲章に変わりました。それどころか心は傷がつくことはないこともわかりまし た。 形のない心がいったいどうやって傷がつくのでしょうか?形のある身体がありのままの形 からずれたとき、つまり「ぎゅっと縮んだり、ぴくっとなって崩れたりして」ありのまま でなくなったことを[傷つく]と感じているだけです。

[傷ついた](放置)とするのか[勲章](変化)とするのかは姿勢で決められます。 生き様のデザインは[姿勢]というもので「今、ここ」で創れるものなんです。

BLMで扱う<良い姿勢>とは、一つのものではなく、その場に応じて変化出来るもので す。 「私はこれが好きだ」という個性の主張だけではなくて、社会の一つの歯車ということも 尊重します。 隣の歯車とうまく噛み合うことが出来ないと、歯車の意味はありません。 大き過ぎず、小さ過ぎず、調度いいもの。時には控えめにすることも[身嗜み]のうちで す。 BLMは大人の身嗜みです。

姿勢という一張羅 姿勢ということでこんな思い出があります。

ある立派な先生の誕生日の招待状が私に届きました。 有名な人もたくさん来ることは予想できます。それなりの正装でいくことが礼儀です。 しかし私はそういう服をもっていませんでした。着ていく服がないのです。

今から買い揃える?そんな高い買い物が出来ない生活をしていました。 しかし、行きたい・・・・ 笑われてもいいからセーター姿で行こうか?人は外見じゃないし・・なんて言い訳も考え 始めました。 「ボロは着てても心は錦!」 心だ!・・とはいえ「錦の心」って一体どういうものなのか私にはわかりません。 間違っても私は人格者などでもあり得ません。 粋な先生だったので、私は一張羅をあつらえることにしました。 世界で一番粋な一張羅です。 中身で勝負です。 いいわけでもありますが、中身で勝負。自信があるわけではありません。 しかし私にはこれしかないのです。場にふさわしい服がないのです! 先生のお気に召す姿勢を創ることに1ヶ月くらい努力を集中しました。

場にふさわしい自分に仕立てる、姿勢もある意味外見です。服と同じです。 ある意味ジョークですが、これが通用するかどうか?誰にもわかりません。

誕生日当日、私を見た先生が「久しぶり、よく来てくれた、中身がいいと何を着 ても一張羅に見えるな、がっはっは・・・」「君の成長した姿が一番のプレゼントだ!」 そして、私の耳元で「あいつら見てごらん、俺よりいい服着て、無礼者だよな」

私の気持ちが姿勢で伝わったのですね。というより先生の大きな器に私が包まれて一命 を取り留めた・・・といえば大げさかもしれませんが、私も大きなプレゼントをもらいま した。

美しい寝姿

BLMで得られる[姿勢]は一般に言われる[いい姿勢]とは質が全く違うものです。 活力を得て・思考がすっきりして・気高い精神を得るものです。 また、大切な事ですので、本書で何度も話題にしていますが「静止した姿勢(ポーズ)の 連続が[動き]です」連続写真のようなものです。 背筋を伸ばし、胸を張っても少し動くと・・・どうでしょうか?例えば、かばんの中の携 帯電話を取り出そうと手が動き始めたとたん、肩は上がり、腰は歪み背中は丸くな り・・・ではないでしょうか?

BLMでは[動き]も美しくします。どこで「ストップ!」をかけて、一瞬一瞬が美しい静止 画の1コマであれるのです。

エレガントな静止画(姿勢)の連続が美しい[動き]を創っているのです。 じっと立っているときは美しいけれど、動くと・・・崩れてしまう。 形だけはいい、写真のようにストップモーション それとも、映画のようにあるがまま、すべての瞬間に自信をもって どちらを選びますか?

寝姿はどうでしょうか? 本当の美しい姿勢を身につけた人は寝姿も美しいものなのです。 BLMの講座でも時々行いますが、だらりと寝そべっている寝姿ではなく、凛とした寝姿に 変わってしまいます。いつ人に見られても自慢できる人生の瞬間のなかを生きて、寝て過 ごせるのです。 つまずいてこけるときも美しいものです。 華麗なる失敗というのでしょうか? まるで、舞っているかのような動きになります。日常生活を舞うように生きる。 BLMで舞うような生き様を身に付けることが誰にでも出来るのです。

脇役の姿勢

ファッションモデルの姿勢を模った姿勢が「いい姿勢」だと思われているようです が、BLMはそういったものとは全く違ったものです。 腰を反って、胸を張って・・足の組み方はこうで・・・ 胸を張ると背中が窮屈になりませんか?それを「肩甲骨を寄せる・・・」といってごまか しています。窮屈で呼吸がしにくくなります。 身体を外側から操作して姿勢を当てはめているのです。外側に分度器を当てて角度を修正 しているのと同じです。[自然]や[個性]とは外側の分度器のこと?と言たくなってしまい ます。 そういった方法で作った姿勢は見栄えこそするものの[気高さ]がありません。 何か「上から目線的」な姿勢に感じるのではないでしょうか?

モデルは飽くまでモデルであり、服やアクセサリーの人気度を上げたり、購買意欲をそ そる為の姿勢なのです。ファッションの価値を上げる為にファッションに合わせた姿勢と 言ってもいいものですよね?

姿勢を正しく、美しくしようという心がけは素晴らしいものですが、ファッションに使 われる道具になってしまっては悲しいものを感じます。

誰が着ても素敵な服をデザインするのが本当のデザインではないでしょうか? 本来のファッションとは、その人の佇まいの美しさを引き立てるものであるはずが、自己 顕示欲を表現するものになっている様に感じさせられます。

[おしゃれ]とは自分の佇まいであるのに、逆に、自分が服やアクセサリーを引き立てる飾 りになっています。ファッションが主役で自分は飾り? ファッションの脇役になる為におしゃれをしている! そんな生き様はしたくないですよね? BLMはファッションのエッセンスです。

ファッション 服装やアクセサリーといったものを[ファッション]と呼んでいますが、自分の姿勢もファ ッションにしてはいかがでしょうか? BLMは心身の風水術です。 [環境](外側)を変えることで自分を変えるのではなく、自分を変えることで環境を変え るものです。 姿勢が変わると環境が変わります。 一番興味深いのは、身に付けている服やアクセサリーといったファッションが今まで以上 に輝きだすことです。 ファッションという外側のものが自分をより輝かせる力を持ってくるのです。 ごまかす為のファッションから輝かせる為のファッションという本物に変わります。 今までは似合わなかった服が似合うようになるのです。

人間関係に相性があるのと同じように、人間関係が上手く行くのと同じようにファッショ ンとの関係がいいものになります。まるで全てのファッションから愛されているかのよう に。ファッションから認められるかのように!

自分(姿勢)が変われば、外側(環境関係)も変わる。そして、環境そのものがファッ ションに変わります。 自分の背景にある景色が自分のファッションとして存在してきます。 これを「佇まい」と昔の人は言ったのでしょう。 周りの景色も自分の魅力になるなんて素敵ですよね?

どんなに美しいものと混ざり合っても負けない自分。 それが美しい精神力になります。

地球は、いえ、宇宙は私のアクセサリー 私は宇宙のアクセサリー BLMでそういう広大なセンスの「お洒落」が出来る日がいつか来ることを約束します。

自画自賛的体験談・その3 車の運転にBLMを使うとどうなるのか? 友人達と車で十津川峡にドライブに行った時のことです。 曲がりくねった山道を友人が先導する感じで、その後ろを私がついて走っていました。

2時間くらい曲がりくねった山道が続いていました。 途中で休憩したのですが、友人の車に乗っている全員が「曲がり道ばかりで疲れた、目が 回る、怖い」など言っています。 私の車に乗る全員は「曲がり道が楽しい、気持ちいい」です。

スピードは同じなので、車の性能でしょうか?

実は運転中にBLMでハンドルを操作していたのです。 せっかくのチャンスなので、ちょっと実験してみたのです。 腕のBL運動でハンドル操作して、ブレーキもアクセルも足のBL運動です。 運転している私も疲れることなく、むしろ気持ちいいのです。 山道のカーブの連続も美しい曲線に沿って走れるのです。 だからカーブでの車の揺れに無理・無駄がなく、ハンドルの操作も微妙な変化が自由に出 来るのです。 きついカーブで揺さぶりまくられて気分が悪くなるのではなく、逆に優しく揺り動かされ て癒されるマッサージのようなものになるのです。ヴィーナスタッチでハンドルに触れる ことで、地面の微妙な感覚がわかり、柔らかい絶妙な操作が自然とできます。

これほどの違いが出るとは思ってもいませんでした。

 

美しさを目指すのがダイエット

「美しい」とは一体どういうことなのか?をBLMや姿勢の観点でお話していきます。 誰かが作った流行に影響された「きれい」から自分だけにある自然な「美」へと気持ちが 変化していただければうれしいです。

美しいとは? BLMでいう[美しい]とは[きれい]とは違うものです。 [美しい]とは陰と陽が同時に現れていることです。 強くもあり、儚くもあり。 大胆かつ繊細であり、芯が通った柔らかさです。 男女共通していると感じませんか? 男性は女性に比べて繊細さに劣っていると信じられていますが、誰がそういったのでしょ うか?男性には男性特有の繊細さというものが当然あります。 なんだか矛盾しているかもしれませんが、矛盾が宇宙のバランスなんです。 この矛盾を『エレガント』と言います。 矛盾とは神秘です。 人智を超えるエレガントなバランスなのです。

「辻褄(つじつま)が合わない」ことと「矛盾」は全く違うものです。 これがBLMで言う[美しい]という定義です。

もうひとつあります。 それは『威風堂々』(いふうどうどう)です。 どんな形・方法・レベルでもいいので、それをそこで[自分として動く]ことです。 物事には残念ながらレベル(低度)というものがあります。 ビルに1階と2階・・・というように階層があります。1階がないビルなんてありませ ん。高い低いというものは確かにあるのですが、低いからといって行動しないのはレベル アップを放棄しています。 もちろん人の道に反するようなことはやってはなりませんが、低いからといって挑戦しな いのはいかがなものでしょうか? [威風堂々]と間違っていてもいいからやってみれば、それは美しいものです。 [本当の意味での程度が低い行為]とは姿勢が崩れている行為のことではないでしょうか? 威風堂々と矛盾できる美しさ・・それが全ての人の根源的な願望ではないでしょうか?

エレガントな億万長者になってもいいし、エレガントな清貧を生きてもいいし、エレガン トに幸せになってもいいし、エレガントに波乱万丈を生きてもいいのです。 エレガントを失わなければ、何になってもいいのです。 BLMで威風堂々というものが出来ます。 [正々堂々]なんて堅苦しい姿勢ではなくて、もっと優雅な[威風堂々]です。 例えボロボロの汚れた服を着ていても、揺ぎない自分への信頼と気高さがある[威風堂々] を身にまとうことができます。 それが「本来の自分」と言う姿ではないでしょうか? 職業や趣味とは違う、全ての人々に共通する本質的な「何をしたいのか?」という願望は 「矛盾の中で威風堂々と歩く生き様」なのです。 BLMは人間の根源的な願望実現にもなっているのです。

新しい美容

皆さんにとって[美容]とは何でしょうか? 色々な美容があります。肌がつるつる、シワを無くす、脂肪を落として細くなる、整形す ること、プロポーションのアップなど。 BLMでは[姿勢]を扱います。 ただ姿勢を良くするのではなくて、精神性の高い姿勢にするものです。見る人を魅了する ような姿勢です。 姿勢というものは背筋だけではなく、顔には顔の姿勢というものがあります。 目鼻立ちではなくて、トータルな顔の佇まいです。 そして胸の姿勢、腹の姿勢、手足の姿勢もあります。更には指にも姿勢があります。 それらを全部まとめて[全身]と言います。 どこかの部分が大きいとか小さいとかはまったく関係ないのです。また左右のバランスも ほとんど関係ありません。

例えば顔ですが、左右の目の大きさや鼻口のつき方は誰もが左右対称ではありません。 だからこそ魅力的だと思ってください。 左右が完全に対象であるとコンピューターグラフィックで合成したような人間の顔にな り、逆に違和感があります。 微妙にアンバランスだからこそ美しいのです。 今自分が持っている身体を活かして、自分で美しくするものがBLMです。 肩を下げる

美しさを支える身体の部分で私が一番お勧めする部分は「肩」です。 肩と心の関係は色々な深い理由があるのですが、簡単に言うと[恐れ]が極端に現れる部 分です。 何かしようとするとすぐに肩が上がります。 手を動かそうとしただけで肩が上がります。 立ち上がろうとしただけでも肩が上がります。これが肩こりの原因なのです。

[重荷を背負う]と言いますが、肩が上がる状態のことなのです。 何も背負っていないのに自分で何かを背負っている状態を身体に創っているのです。 [恐れ]を身体で表現しているなんて[エレガント]ではないですよね? 肩が下がると身体が美しく使える準備ができます。

ちょっとやってみましょう。肩を上げてみてください。 肩が上がることで首を締め付けていることがわかると思います。 脳から身体への神経の伝達を首の部分でブロックしている状態です。 首より下は鈍くなるのです。行動したくてもできない、頭で考えてばかりで「頭でっか ち」になります。

肩の筋肉は僧房筋(そうぼうきん)といいますが、ここは首の筋肉でもあります。 つまり肩と首は同じ筋肉なのです。 肩が上がるとは首を絞めることなのです。苦しく鈍く、怖いですよね。 肩を下げると首がすっときれい伸びて、正々堂々とした姿勢になります。

もう一つ大切なことがあります。 「重荷を背負う?」といいますが、私は「その重荷は具体的に何キロくらいあるのです か?」と聞きます。 0グラムではないのですか?重荷ではなくて[軽荷]ですよ(笑) 私なら、いくらでも背負えます。他人の分まで背負えます、だって0グラムですから (笑)

肩が下がることが身に着くと、他人の重荷を背負う余裕が出来ます。 苦を分かち合える強さが出ます。芯のある優しさも美しさの一つです。 BLMで大切な人と苦楽を分かち合える身体になりませんか?

ポジティブな身体 肩が上がることのもう一つの理由は身体の不快感です。 顔から下の身体です。 試しに顔をつねってみて下さい。 次に顔から下の手や足といった部分をつねってみて下さい。 痛みを感じると肩があがりますよね?顔をつねると、さほど肩が上がりませんが、顔から 下の部分はかなり肩が上がります。

これは痛みという感覚が脳へ伝わることを首を絞めてブロックしているからです。 顔から下の身体が痛みとまではいかなくても不快感があると肩があがります。 首が絞まることで脳の血流が悪くなります。思考も意識も低下します。身体の不快感が精 神に影響を与える仕組みがこれです。 「真綿で首を絞める」という表現がありますが、現代人のほとんどはこういう状態で生活 しています。 半分意識を失った状態で生きているのかもしれません。

感情は脳が支配しているものですが、首が絞められている状態でうまく感情がコントロー ル出来るはずはありませんよね?すぐにネガティブな方向になるのは当然なのです。

やる気がおきない・・・というのも同じで意識や思考が低下しているからです。 全部「肩が上がることで首を絞められている」からです。 そして首を絞めているのは他ならない[自分]だったのです。 [現実は自分で創っている]の正体はここにあったのです。 いくらポジティブな思考を頭(脳)でしても、脳が低下していては[低下した思考]しか出 来ません。身体がポジティブでないと現実もポジティブにはならないのです。

BLMは非常に質のいいリラクゼーション効果を持っています。 こりを溶かすような感じです。それだけではなくて、姿勢の効果も加わって『ポジティブ な身体』と『ポジティブな姿勢』を生み出します。

ウエストの都市伝説

姿勢を正すだけでウエストが数センチも変わります。 ウエストの部分に脂肪がたくさんついていると思われていますが、都市伝説のようなもの です。

実は・・・ウエストの部分が縮んでそれによって脂肪がはみ出してくると考えて下さ い。 ウエストを引き伸ばせばいいのです。ウエストの姿勢を正すのです。 腰を反らせるようにするのですが、普段はその逆の「バナナ腰」になっている人が多いよ うです。バナナ腰になるとウエスト部分の脂肪がたるんではみ出すような感じになりま す。脂肪の形が悪いのです。脂肪に姿勢を正せというのはちょっと可愛そうなので、ウエ ストを正します。 「腰を反る」と言っても一般にしているような「反る」をすると腰椎(腰の背骨)を痛め てしまいます。腰椎の形(曲線)に沿って引き伸ばすのが正しい「反る」です。 BLMで自然にそれが出来ます。 詳しく説明すると、ウエスト部分には「外斜腹筋」という筋肉で出来ています。 いわゆる腹筋というものの両側(外側)にある腹筋です。 この筋肉は動かすことが難しく硬く縮んでしまっています。 それによって、ウエストが短くなっているような感じです。 ストレッチで伸ばせますが、左右両方を同時にすることは無理ですね。 でも、腰椎に沿って上下に気持ちよく伸ばすと前後左右が均等に同時に伸ばされます。 このときの姿勢が「正しく腰を反る」形になっています。 これで引き締まったウエストができます。縮んでいるものが伸びるのです。それだけでは なく、力強く安定した腰にもなります。丹田やハートも強くなります。 そしてこのウエスト部分には丹田とハートを繋ぐ重要な役目もあるのですが、ここが縮ん でいると繋ぐどころか逆に遮る役目をしてしまいます。 これは感性と行動が一致しないことを表します。「感じたままに行動する」が出来なくな るのです。 威風堂々に自分の思うがままに生きることが難しくなります。 自信のなさにもつながります。 また、ウエストの後ろ部分は不満が溜まる場所でもあります。不満を感じると、ぎゅっと 硬くなる場所です。臆病を現す場所でもあり、「腰が引ける」というのはここがぎゅっと 縮んだ状態のことなのです。 ウエストは魅力的な姿勢を引き立てるだけでなく、ハートの線路のようなものです。 優しさと勇気を現す大切な部分です。 BLMで身体から優しさや勇気を引き出すことが出来ます。

職人の魅力

私のひとつの思い出として、料理の修業をしていた頃に親方から教えていただいたこと があります。 私はいつも叱られてばかりいて、周りの人が私を気の毒に思う程厳しい親方でした。 教えてくれることは料理のことではなく「姿勢が悪い」「動きが汚い」そればかりでし た。 親方にハラを立てたことは不思議と一度もありません、自分は料理を学べるレベルではな く、まず姿勢や動き程度のレベルなんだ・・・武道をしっかりやってきたのに恥ずかしい な。と感じていました。

私の仕事は、注文があった料理のお皿にサラダの盛り付けをすることです。 その盛り付けをしたお皿を親方のところに持っていくのですが、ある日「持ってくればい いのではない!きちんと置け!」といって、私が置いたその皿を数ミリだけ動かしたので す。 私は偉大なものを得て「はい、わかりました!」と笑顔いっぱいになりました。 普段は笑顔を見せない親方も、私が何かを得たことを感じ、珍しく笑顔を見せていました 周りの人は「そんな意地悪しなくてもいいのに」と私を後で慰めてくれましたが、私は大 きなものを得ていました。

料理とはそれほどまでに繊細なのか!私が持っていくお皿を置く角度まで料理になるの か! 口に入るものだけが料理ではなく、料理を創る作業の数ミリの差までもが料理であったな んて・・・ 親方の機嫌を悪くすることも料理の出来栄えに影響します。 親方の機嫌を良くすることが、料理の味をよくすることになり、それが私の料理人として の腕になる。 チームワークとはこういうものだったのです。一見、親方のご機嫌を取るなんていうこと は愚かな低俗なことのように見えますが、プロの目からすると、それは尊いチームワーク だったのです。

人間も全く同じです。 基本は[姿勢][動き]です。[動き]とは[姿勢]の連続ではないでしょうか? だた行動すればいい。ただ生きればいい。ではなく[きちんと行動する]

[きちんと]の部分があるから[プロ]であれるのです。プロとして尊敬もされるので す。 人間のプロであるためには基本が大切。 その基本である姿勢は、わずか数ミリの差で大きな違いがでるものです。 数ミリの差が[プロの人間]か、[アルバイト感覚の人間か]になります。

人間はいくつもの部分で出来ています。肉体・心・感覚・思考などがあります。 肉体だけでもたくさんの部分で出来ています。どこかの具合が悪いと、健康ではありませ ん。一人の人間の中でもチームワークというものが存在しているのです。人間として生き るという目的のために、全ての部分が一団となって作業しています。

姿勢を大切にする人は一流だと言えます。もちろん他人に押し付けるようなことはしま せん。 しかし、自分の姿勢で示すことはします。

私は[姿勢とは生き様の形]だと思っています。 親方の料理に対する姿勢は親方の生き様です。 一体どんな世界を見ているのか?知りたくなりませんか? 人間としての魅力でもありますよね。

わずか数ミリの差を大切にするか、しないか?で魅力があるか、ないか?変わってしまう のです。 身体の骨格の角度の数ミリの差で美しい、アートになるか、ならないか? 数ミリなら誰にでも出来る努力ではないでしょうか? 厳しい修行はいりません。 体重を10キロ減らすことと、角度を数ミリ変えること、どちらが厳しいでしょうか? 100万円払って胸を大きくすることと、きちんと美しく胸を張って生きること、どちら が精神に良い結果をだすのでしょうか? どちらが人間の魅力を引き出しているのでしょうか?

自分の在り様 「身体に悪い身体の使い方?」おかしな言葉ですが、日常に溢れているものだと思ってく ださい。健康に害を与えるような身体の使い方をしているならば、どんなに身体にいい食 事をとっても、意味はないですよね? それどころか[生きること自体が不健康]という笑えないジョークになってしまいます。

使えば使うほど磨かれ、健康になり美しくなっていく様な身体の使い方があるはずです。 実際、そういう人もいます。 健康や美容の秘訣は「自分の在り様」ではないでしょうか? 「自分の在り様」とは具体的に言うと「身体の在り様」つまり「どう使っているか?」と いう「使い方」のことです。 「考え方」ではなくて「使い方」という行動なのです。 [姿勢]も同じく[自分の在り様]ですよね? 「健康で美しくエレガントに生きたい」ならば「健康で美しくエレガントな姿勢」で在れ ばいいのです。 言葉そのまま、ありのままです。シンプルなんです。 「そう在って」(姿勢)そして[そうする](動作)だけで「そう在れる」(現実)とい うことです。

「思えば叶う、引き寄せる」と言いますが、何か足りないと感じる人が多いようです。思 うだけで「在り様」がないのです。 [想い]という形のないものに形を与えるのが身体であり、想いや心、在り様が形になっ たものが[姿勢]です。 [生きること自体が不健康]というありのままの事実から「生きること自体が長寿であり、 美容であり、自分である」そんな[ありのままに]に変えてみませんか? 身体で行う願望実現がBLMです。

美しい [美しい]とか[格好良い]というものは欲やエゴだと思われていますが、欲やエゴが悪しき ものだと誰が決めたのでしょうか? 自分で決めたのですよね? 「陰極まれば陽となる」と言います。 私は「欲を捨てることも大切だが、持つことも同じく大切である。欲を持つなら大欲を持 ちなさい」と言いたいです。 [美しさ]や[格好良さ]に憧れる事は「憧れるだけ」ならば「道を歩く邪魔」にしかなりま せんが、「美しいものには神が宿る」ということを身をもって顕すならば大欲です。

[威風堂々]と[美しく][格好良く]を探求するならば、それは大きな道を歩くこと「大道」 であります。どうせ歩くならば大きな道の真ん中を[威風堂々]と[美しく][格好良く]歩こ うではありませんか!大道にはゴールなんてものはありません、そして同時にスタートも ありません。

「大人は大道を行く、小人は路を行く、これ我が道なり、我この道を行く。」

本物の自画自賛

冬に京都へ観光に行ったことがありました。あちこちを歩いてまわりながらBLMウォー ク(BLM運動で歩く)をしながらの観光です。せっかく歩くのだからBLMのトレーニングも 兼ねて・・・ですが、私の日常の光景でもあります。 歩けば歩くほどエレガントになってくるものです。京都ですからどこに行ってもたくさん の観光客であふれています。 いい記念写真を撮ろうと、写真スポットを探しに気持ちを働かせる観光客。その傍らひた すらBLMに気持ちを向ける私。一体どういう違いが出るのでしょうか? 私は風景や雰囲気を十分に堪能出来たと感じました。全身でその場所の匂いを感じたとい うのでしょうか?カメラに記憶した京都ではなく身体に浴びた京都の匂いがたまらなく充 実していました。 宿泊しているホテルがある祇園の町を歩いているとき、ふと、「その場に佇んでみたい」 と感じたのです。土産物屋の前でそっと佇んでみました。もちろんBLMを使ってです。 古き良き時代の京都の人々の生活感や意気込み、誇りといったものがダイレクトに感じら れ、今まで感じたことがない凄く華やかで煌(きら)びやかな感覚を体験したことを覚え ています。「雅」(みやび)とはこういう感覚なのでは? その「雅」の感覚を感じながらBLMで歩いてみました。 しばらく歩いていると、大きなショーウィンドウのガラスになんともいえない素敵な紳士 が映っているのです。 ロングコートを着て、なんともいえない優雅な立ち姿、ショーウィンドウなので顔がはっ きり見えない、一体誰だろう?只者ではない!と後ろを振り返ると、誰もいないのです。 あれっ?と再びショーウィンドウを見てみると、素敵な紳士が映っているではないです か。振り返るとまた誰もいない?!

その素敵な紳士が自分自身であることに気が付くのにちょっと時間がかかってしまいま した。 自画自賛とはこのことだな・・・と一人で笑っていましたが、本気で自画自賛を体験でき たことは一生の宝です。

BLMで夜の祇園 夜の祇園の町を歩いて見ました。もちろんBLウォークです。 祇園の夜には独特の雰囲気があります。和服を着て歩いてみたいと思わせるような何かが あります。 いつか、たくさんのBLMユーザーの皆さんと和服を着て、この町を歩いてみたい・・そん な夢が浮かんだりもしました。 BLMは立ち姿のシルエットが特に美しく浮かび上がるので夜の町にはぴったりです。昼間 とは違って[雰囲気]で勝負です。

昔ながらの建物が並ぶ小路を楽しんで歩きました。少し外れた小路へ入ると、そこはス ナックやバーが並ぶ場所でした。客引きの女性が沢山いました。通る人にしつこく声をか けていました。 私は酒が大好きですが、外で飲むことは趣味ではないので、雰囲気を楽しむことにして歩 いていたのですが、客引きに出会わずに通り過ぎることは不可能のようです。

が・・私には声をかけてくれないのです。 よかったような、寂しいような? 私に何か問題があるのでは?服装がおかしいのかな?におい? ちょっと心配になりました。 すると一人の女性がようやく声をかけてくれました。 ものすごく上品な感じの和服姿の女性達のグループです。 話し方も物腰も他の客引きとは違うもので、お店も上品な感じでした。

もしかしたら、むこうもお客を選んでいるのかな?

お店に似合うお客にだけ声をかけているのでしょうか・ 「お酒は飲めない」・・と断りを言って立ち去りましたが、後ろを振り返ってみると、他 の通行人には私が見る限りは声をかけていませんでした。

私は確かに選ばれていた。 BLMは客引きを寄せ付けません。

雨でもいい天気

雨の日は[傘]がアクセサリーになります。 雨の中で傘をさすと、身体の自由度が無くなり、どうしても窮屈になってしまいます。何 か寂しい姿勢になり、暗い気分になるのでしょうか? だから雨の日は嫌われるのでしょうか?

私は雨の日も好きです。雨が降ると、外に出て傘をさして散歩を楽しみます。 傘に落ちる雨の音や響きを全身で感じて[風流]に浸ります。 傘があるから雨の中で雨の味を更に楽しませてくれる。 傘で雨を全身で受け止め、雨と一体になって佇める。 傘がスピーカーになって頭の上で雨の大合唱です。 なんという風流でしょうか! 雨ごときで気分が湿っぽくなる「軟弱風流」ではなく、大自然の合唱を独り占めしている という広大なスケールで心地よく晴れ晴れとしてきます。 「今日もいい天気だ、雨が降っている」なんて言いたくなります。

一体どんな佇まいなのでしょうか?見たことはありませんが、自画自賛ながらきっと風 流な姿なのでしょう。

日本語には[佇まい]を飾る言葉として色々なものがあります。 [粋](いき)・[雅](みやび)・[風流](ふうりゅう)・[静寂](せいじゃく)・・・ど れも日本を感じさせる言葉ですね。 BLMで創る姿勢は、[日本人]という形です。和服が最も似合う姿勢になっています。 日本人という形を身を持って体験していただくものでもあります。 「洋服を着ていても、中身は日本人」という心を大切にしています。 BLMを世界中に広げて、すべての人に「和」の精神を身体で伝えて、「和み」ある世界に 変える・・・ 粋な侵略でしょ?

姿勢と心の関係

「心が折れる」や「凹む」という言葉があります。 どちらも「心」の状態を表していると思われていますが、本当にそうなのでしょうか? 「心が折れている」時、自分の身体をよく観察してみて下さい。 [姿勢]が崩れています。 心が折れているのに姿勢が整っていることは無いとは思いませんか? 「折れる」様に姿勢が崩れているのです。 「凹む」ように姿勢が崩れています。 首や胸や腰が折れています。胸や腹が凹んでいます。 姿勢は心と同じく非常に繊細で外側からの刺激によって簡単に折れたり凹んだりしていま す。 BLMで創った[姿勢]を維持することだけに集中してみてみると、心の状態が維持できま す。 これを『平常身』と呼びましょうか?

身体の形である[姿勢]を平常にすると、心もそれについて来ます。 心の強さとは平常身という姿勢を維持する力のことであることがわかってきます。

プラス思考で考え方を変えたとしても、身体まで届いていなければ行動に変化を与えるこ とはありません。何故ならば、行動とは身体で行うからです。

姿勢とは行動です。数ミリの変化、調整という行動です。 たった数ミリで心の状態が修正できるのです。 その修正はBLというものをほんの少し意識するだけで起こります。 威風堂々、不動心とはやせ我慢で行うものではなくて、姿勢で行うものなのです。 そして、その姿勢は必ず美しいものです。 見る人に信頼感を与えます。 頼りがいのある美しさにかわります。 いくら容姿がきれいでもすぐに壊れてしまうのであれば「エレガント」とは言えません。 奥深いところに在る[芯]が強くなければ自分の生き様を貫くことは出来ません。 BLMでいう[エレガントな美]とはそういうものです。

肉体のスピリチュアリティ

美しさの秘密は何度もお話しているように「曲線美」と「姿勢」です。 それは男性にも女性にも共通しているもので、「きれい」とは全く違う質があるもので す。 男性でいうなら「かっこいい」ですね。中国語で表すならば[好漢]。今風に言うなら「い けてる」がぴったりかもしれません。

男性から惚れられるような男性 女性から惚れられるような女性のことです。 ヒーローやヒロインのような「挫けない・錆びない・凹まない勇気や優しさ、人情を大切 にする寛大さ」も「美しい」ものです。

「健全な肉体に健全な精神は宿る」といいます。[身体から入る精神性]というものがある のです。それをBLMは具体的な方法にしました。

身体が「挫けない・錆びない・凹まない勇気や優しさ、人情を大切にする寛大さ」があ れば心もそうなります。

目鼻立ちの美しさ、プロポーションの良さも確かに憧れであり、輝いて光っていますが、 自分という人生や個性を貫く姿勢が的確に表れた「生き様を表す」目鼻立ちや姿勢は[黒光 り・底光り]しているのではないでしょうか?いや、[そうだ!]と私は断言します。 華やかさとは違う美しさですね。 いっそのこと「美しい」という言葉も捨ててもいいでは?とも想っています。 [佇まい]という言葉だけでいいのかもしれません。 [佇まい]には「美しさ」だけではなく「風流」「生き様」「エレガント」「高貴さ」「尊 さ」「格好良さ」そういうものが全て含まれていると私は感じます。

「佇まい」という身嗜み(みだしなみ)を学ぶ、身に付ける、そんな人が増えれば社会 は必ず変わります。 そんな思いから [消費する為の美容]ではなくて[人格や生き様を磨くための美容]を歴史 上初めて創りました!

それだけではなく、神に恩返しできるとも想っています。 身体は神からの借り物だという人がいます。ならば借りたときよりに美しくして返すのが 日本人の美徳ではないでしょうか?

あの世に行って身体を神に返すときに「人間とはここまで輝くことが出来る!」と自慢 して肉体を神に返したいですよね。 姿勢とは、自分の中で一瞬たりとも自分から離れることにないものです。 そこに「本当の自分」というものの存在を見出してもいいのです。そして、[生きる姿勢] (生き様)とは、あの世に持っていけるものではないでしょうか? 何故ならば「魂の誇り」として一緒に肉体を過ごしてきたからです。 魂と共に一生(肉体)を通じて[正され]・[磨かれ]・[輝く]もの、それが[姿勢]です。

一部のスピリチュアルな思想では「身体は穢れたもの」「不自由なもの」「邪魔にな る」と言っているそうですが、それこそ「スピリチュアル」対する冒涜ではないでしょう か?

身体をスピリチュアル的に説明するならば、私はこう言います。 肉体にも霊性はあります。言葉に[言霊]があるのならば、身体には[身霊](みたま)があるはずです。霊性(スピリチュアリティ)の高い身体に磨きあがることが神や宇宙を楽し ませ、華やかにすることになるのではないでしょうか? [霊性の高い姿勢]もあります。それは「美しい」という言霊を身体でそのまま表現した宇 宙的エレガントです。 [霊性の高い美しさ]もあります。それは「美しくなろう」という低俗な「欲」ではなく、 与えられた可能性を全うしようという使命感(ミッション)からでた努力です。 その努力は人智を超える貴いものです。 誇り高い英雄の姿ではないでしょうか? BLMは英雄の身嗜みです。

自画自賛的体験談・その4

友人の田んぼに田植えを手伝いにいったことがあります。 学生の時にレタスの収穫のアルバイトを体験していたので、農作業の腰の痛さは知ってい ました。 田植えもすっと中腰で作業です。BLMがどの位それに耐えられるのか?試すチ ャンスです! たくさんの友人たちが手伝いに来ていました。作業が始まるとすぐに誰かが「腰が痛い」 と絶句し始めました。 私はBLを意識しながら田植えです。BL田植え術です。 なんと、腰が痛まないのです! さらに作業のスピードが一番速く、周りが「そんなに頑張らなくてもいいよ」と気を使っ てくれる位でした。 「ぜんぜん頑張っていないのに、悪いな・・・」 まわりは「腰が痛い」の合唱のような感じです。 休憩になると皆が顔を合わせて「腰が痛いですよね・・・」です。 私は全然痛くなりませんでした。何か手を抜いているような気がしたので、「痛いです ね」と皆に合わせて言っていましたが、痛くないのです。 痛くないし、疲れてもいないので、どんどんやると「そんなに無理しなくてもいいよ」が 始まります。おかしくなってしまいました。

ここまで違うとおもしろいものです。 作業が終わって友人の家に帰る道では皆腰が曲がっていました。 私は来たときよりも腰が伸びていて・・・・ 「さすがは武道家ですね・・」 違うんです、BLMのおかげなんです。

 

ダイエットは姿勢と心と身体を考える必要がある

第5章では姿勢と心と体の関係を話していきます。BLMによって解明された姿勢と身体と 心の驚くような関係を公開します。

心と身体の関係 心と身体の対応関係は「身体が楽になれば心も楽になる」という程度のものではありませ ん。 「対応関係」などというものではなくて「心も身体も区別は無い」のです。 そして驚くことに、身体の一つ一つの部分が感情を作り出したりコントロールをしている のです。 手は「執着」という精神状態と関係しています。 また「ハート」ともつながっています。 掌(てのひら)にも「ハート」があるのです。 悲しい時や怒っている時は掌のハートが閉じていたり、痛みが出たりします。

足の膝から上の大腿部は「恐れ」と非常に関係があります。 前部と後部で違いがありますが、共通しているのは「進むことへの恐れ」です。 前部分は「一歩踏み出せない」ときには硬くなってしまいます。 だから身体が前に出ないのです。心が身体に具体的にブレーキをかけるのです。 後ろ部分は「一歩退却」です。 退りたくなると、ここが硬くなります。痛みとして出ることもあります。

腹筋は「苦に対する弱さ」と関係があります。 背中は「イライラ」と対応しています。

このように考えてください。『心の弱い部分を姿勢で克服できるのです』 BLMでこれらの心の弱点を克服して、逆に広大な清々しい状態に変えることができるので す。

大切なことですので、もう一度、心と身体の関係をお話します。 「心と身体は関係がある」のではなく、実は[一つの同じもの]なのです。 子供のころは区別がなかったはずですが、社会で成長するにつれて「心」と「身体」を区 別することを教え込まれるのです。 私は何故かずっと「同じ」という感覚で育ってきましたから区別はしたくないのですが、 便宜上「心」と「身体」という言葉を使ってお話していきます。 正確に言うと「心」はハートにあるものではなく「脳」が創った「マインド」です。 思考の一部です。英語では心をマインドといいます。ハートとは区別しています。 ハートは感情ではなくて「感性」であって、感情は持っていません。 感情もマインド(思考)の一つの姿です。

ややこしくなってきたと想います。 ややこしいのではなくて実は、先に手に入れた情報を手放したくないだけなのです。 だから「ややこしい」という感情(マインド)を創って逃げるのです。 人情という感情(マインド)ですね?

話をもとに戻します「心」が「身体」に影響を与えるのか?「身体」が「心」に影響を 与えるのか?という疑問がでるかもしれません。 どちらが先か?という順番があるような薄っぺらなものではないのです。

「卵が先か、ひよこが先か?」という生命誕生の謎と同じです。 「同じだから順番はない」と解釈してください。だから身体を操作することで心を操作で きるのです。非常にシンプルでしょ?

感情の操作は非常に難しいものですよね? うまくコントロール出来なくて悩んでいる人が多いようです。 でも身体はコントロール出来ますよね、いつも普通にやっていますから。

怒っている時、悲しい時、ちょっとだけ勇気を持って、0・1mmの勇気を持って自分の 身体、姿勢を感じてみてください。 普段とどこかが違っています。 拳をぎゅっと握って、肩を上げて、腹筋に力を入れて、胸に力を入れて、猫背になってい るはずです。 深呼吸をして普段の状態・姿勢に戻してください。 かなり違うと想います。 嫌な感情が消えてしまう人もいると想います。 その普通の状態を保ったまま、もう一度怒りや悲しみを思い出してみて下さい。 身体の内側から「背中を曲げようとする力が起こってきませんか?」「腹や胸や肩に力を 入れて硬くしようとする何かが湧いてきませんか?」 その力に身体を委ねると「怒り・悲しみ」に戻ってしまいます。 BLに委ねると・・・「シューッ」と音を立てるかのようにその「硬い力」が消えてしまい ます。

勲章 BLMを知らなくても、ちょっと身体の状態、つまり姿勢を変えただけで感情をコントロー ルできるはずです。

心だけでなく、生き様が身体に表れます。 幸せな体験の積み重ねが身体に積みかねられて幸せな身体・姿勢になり、それが幸せな自 分になります。 辛い体験が積み重ねられて、辛い姿勢になり、辛い人生になります。悪いものばかり食べ ていると身体に毒が溜まるのと同じなのです。 「身体は過去で出来ている」という人もいます。しかし、自分でコントロールして変えて 行ける利点もあります。

私は幸せな人よりも辛い人のほうが好きです。たくさんの辛い想いを過ごして傷だらけで あっても、生きているならば、それは戦い抜いて勝ち続けている証拠です。 自分では気が付いていなのでしょうが勇敢な戦士です。 例え辛くて歪んだ姿勢であっても、それが勲章に見えます。 傷だらけでふらふらになっても歩き続ける姿・姿勢が私には一番貴く美しいものに感じま す。 本当に不幸な人生とは勲章で飾れない人生なのではないでしょうか? 「がんばらなくていい」なんて不粋なことは言いません。がんばる人全てに私は勲章を差 し上げます。

心の形 武道や茶道などの伝統芸能だけではなく、料理の世界でも姿勢は厳しく注意されます。 テレビで見るスターもコメディアンなど以外は姿勢を美しくすることに重点をおきます。 心の状態が即、姿勢であることを知っているからです。

整体の世界では「姿勢の良い不良はいないといいます。」 また、日本語には<身言葉>(みことば)というものがあります。 弱腰・胸が熱くなる・頭でっかち・苦手・・など心の状態が身体で現れていることを表現 したものです。

真っ直ぐな姿勢で歪んだ考えはでてこないものです。 身体の形が心の形になっているのです。 例えば、腰が引けた(後ろに下がった)姿勢で、優しい態度をとっていても、それは自分 の弱さを隠すため、自身がないから他人に優しくしているのだな・・・とわかります。 逆に腰が前にでた姿勢で優しい人は、例え自分が損をしても、傷ついても、自分が変わる わけではないから、他人に優しく出来るのだな・・とわかります。

腰が前に出ると、「一歩踏み出す」ことも楽に出来ます。 腰が前にあると<勇気>後ろにあると<臆病>という差が出るのです。数ミリの違いで す。 臆病な人には、お尻をたたきますよね、腰を前に出させる為なんです。

立つことが浄化 BLMでは外側から姿勢や体型を作るのではなく、内側から湧いてくる力で姿勢を創りま す。 その姿勢で[立つ]と、内側が上「下に伸び上がるような」感覚がでてきます。 腰を反って、胸を張って、背筋を伸ばして・・というような「そっくり返った」姿勢では 決して味わえないものです。 例えるなら「高くそびえ立つ山の頂上からどこまでも広大に広がる下界の景色を眺めてい る」感覚です。 BLMと他の美容姿勢の違いはこれです。 そっくり返って無理やり背骨の曲線を作るのではありません。 「背骨を上下に自然に引き伸ばす力を取り戻す」のです。 あるがままの背骨の形にそって「あるがまま」を取り戻すのです。

「曲線を作る為に曲げる」のではなく「曲線にそって解放する」のです。 [胸を張る]ということを普通は「前にせり出す」ことと勘違いしてやっていますが、 [胸]ではなく[肋骨]と考えを変えてみればいいのです。

BLMでは肋骨を立体的に開放する力をラインのタッチで自然に起こします。 胸は前だけでなくて後ろにも、左右にもそして上下にも解放されるべきものです。 この[上下]というのが非常に大切で、上下に肋骨を広げると[肋間筋]という肋骨と肋骨の 間の筋肉が引き伸ばされます。 この肋間筋は普通では上下に解放することが出来ません。 特に背中の部分は意識することさえも難しいのですが、それ(肋間筋の立体的な開放)が出来ると「高くそびえ立つ山の頂上からどこまでも広大に広がる下界の景色を眺めてい る」感覚になります。 肋骨の中にある眼に見えない部分である「ハート」が開放されるのです。 また、肋間筋には悲しみが蓄積されると言われています。そこが開放されるのです。 開放といっても悲しみがあふれ出て泣いた後にすっきり・・・というものではなくて「広 大な清々しさ」をその場ですぐに得るものです。

感情の開放をしよう・・というワークをよく聞きますが、感情をダイレクトに外に出し て、うっぷん晴らしでは美しさがありません。

どこの姿勢 姿勢とは一般には[背骨の具合]を言います。BLMでは顔の姿勢・胸の姿勢・腹の姿勢、掌 の姿勢・・・も含んでいます。足の裏の姿勢はどうでしょうか?全部ないと[全身]とはい えません。 心にも姿勢があります。現代人は心が病んでいるといいます。それどころか、考え方も感 じ方も病んでいるのではないでしょうか? 私には立ち方も病んで見えます。歩き方も病んでいます。これは[元気が無い]という意味 ではなく、自然の法則に従っていない、という意味です。 「不自然である」という簡単な言葉で見過ごせない位なので[病んでいる]とあえて表現し ます。身体の左右のバランスを整えることが重要だといわれていますが、私は違う!と自信を もっていいます。前後は?上下は? 特に上下は大切です。[へその姿勢]でそれを調整できます。 上下のバランスとは人間が忘れているもので、全く無視されてきたものですが、健康だけ でなく、人生に影響を与えます。上下のバランスは整体では絶対に不可能なもので、自分 で行うしか方法はありません。だから他力本願的な整体では研究されてこなかったので す。

自分軸

BLMによって身体の[中心軸]がはっきりと出来てきます。この[中心軸]は[正中 線]ともいいますが、身体だけではなく心の中心軸にもなっています。いわゆる[ぶれな い自分軸]というものです。 しかし一般に言われる[ぶれない自分軸]とは[中心軸]ではなくて[決意のようなも の]が方向を変えないで・・・という感じのもの・・・?で、かなり抽象的にとらえられ ています。 BLMの[中心軸]は、はっきりと体感できる具体性のあるものです。 そして「ぶれない」というのもちょっと間違った考えなのです。

実際には[中心軸]は[ぶれしろ]を持っていて、その[ぶれしろ]の範囲を余裕を持っ て、揺らぎながらバランスをとっています。 [ぶれている]のではなく、安定するためにしなやかに・揺らぎ・動いて自由なバランス を取っているのです。 聞いたことがあるかもしれませんが、「f分の1・ゆらぎ」という大自然の運動原理で す。回っているコマのようなものです。ぶれることを怖がって身心をがっしりと固める と[安定もどき]になってしまいます。 [軸がぶれる]という本当の意味は、短い軸が集まって1本の[軸もどき]になっている [バラバラ軸]のそれぞれが色々な方向に傾いたり、時には曲がったりしてまるで糸が絡 まってぐじゃぐじゃになっている状態のことなのです。

脱力が流行っているようですが、芯のないものが多いのではないでしょうか? 芯のない脱力は[腑抜け]ですよね? 芯があると、外側は緩んで、中心はしっかりになり ますが、[腑抜け]は外側をがっしり固めて姿勢を創り、中心は緩んでいるのです。 BLMによって中心軸が自然と出来ます。中心軸は身体の中心を上下に通るバランス・ライ ンのことですが、実は1本ではなく最低3本が必要です。[左右軸]といいます。 左右のそれぞれの足の中心から肩までを通るバランス・ラインです。 片足立ちになっても中心軸が必要だからです。 3本柱になっているのです。 左半分だけでも一人前、右半分だけでも一人前の能力が発揮できます。 半分だから半人前ではなくて、半分でも一人前なんて素敵だと想いませんか? 3本の自分軸があれば3人前になります。 3人前の自分に変われるのです。 3人分の人生を体験できて、3人分の重荷も背負うことが出来ます。なんて素敵なんでし ょう。 またこの3本の軸はものすごい勇気や自信を与えてくれます。想像してみてください、自 分の中に3人の強い味方がいる。孤独を感じることもありません。 外はゆるんで楽々・・内には強い芯が3つ BLMで強くて優しい心と身体が手に入ります。

ハートで立つ・歩く

二本足で立つようになって、両手が自由になったから人類の文明が生まれた・・という 説があります。 私は「両手が自由になったから人類にハートが出来た」と想っています。

上下のバランスというお話をしましたが、下半身の中心は下腹部の丹田という部分で す。上半身の中心も同じく丹田なのです。上下で仲良く共有していて、存在が濃いので 「身体の中心」と言われているのですが、「中心は一つ」という思い込みがありますよね?

胸も[中丹田]といって中心なのです。肋骨です。左右の両手の中心でもあります。 右手の中心であり、左手の中心でもあります。肋骨も腕の一部として働いています。

4つ足で歩くことをイメージしてみてください。 手を地面について体重を支えるためにしっかり安定した力が肋骨に入る必要があります。 胸をがっしりと固めるのです。それが二歩足になると手で支える必要がなくなります。 どんな感じがしますか? 胸を固める労働から解放されて手(腕)で何かを表現したくなったり、何かと何かをつな いでみたくなったりとクリエイティブな事をしたくなりますよね? 手(腕)が自由になってハート本来の働きができるようになります。 手(腕)の動きを美しくするには肩から先を腕として働かせるのではなく胸(肋骨)も腕 の一部だと考えて使ってみて下さい。 肋骨がマッサージされるように、動かせば動かす程胸が優しく緩んできます。 ハートが優しくマッサージされるのです。

次に、両腕の中心がハートだという感覚で立ってみて下さい。 それだけで優しさが湧き出してきませか?今度は両腕を優しく使って歩いてみて下さい。 腕を振ることがハートのマッサージになっていませんか? 腕はハートから生えているのだと実感できるはずです。

きちんと立って、きちんと歩くことがハートの開発になっているのです。 BLMを使って歩くとハートで歩いている感覚と出会います。 手を美しく使うからハートが出来た。 立つからハートが出来た。歩くからハートが出来た。 人間って粋ですよね? ハートで立つ。ハートで歩く。ハートで座る。ハートで生きる。 ハートと共に生活する。これがBLMの生き様です。

ささげる 『捧げる』という言葉の意味を考えたことがありますか? 「自分はどうなってもいい、得たものを全て失ってもいいから、得たもの全てを人々にあ げたい」という意味です。 何を一番失いたくありませんか? 私は自分の身体です。身体とは肉体の形のことです。 子供の頃から色々な修行を通して[身体]を磨いてきました。 そして今、私が[捧げたいもの]は、それは私の身体の形です。 私は失ってもいい、全ての人々にこの素晴らしさを捧げたい。

[姿勢]とは、生き様の形であると私は信じています。 今までの人生の全てがここ[身体]に集まっています。 その人生の全てを失ってもいいから、捧げたいものがあることが私の生き様であるなら、 それが私の道かもしれない。生き様を超えた[道]、それを歩くのも、それもいいか も。。。

整体と動き 日常生活では静止している時間と動いている時間のどちらが長いのか?考えるまでもない ですよね。 動くことは[疲れる]とインプットされています。しかしこれは現実でも事実でもありませ ん。 「生きることはしんどい」だから「楽」を求めるというのが人情ですが、自分の身体、つ まり存在は[不快]だと無意識に思っているのです。 だから「体は邪魔なもの」とか「単なる乗り物」という考えがもっともらしく聞こえるの です。 「邪魔でないように、単なる乗り物でないように上手く扱う」という発想はいけないもの なのでしょうか? 「できない」と思い込んでいるだけです。可能性を無視しているだけなんです。

囚われるから苦しむ・・・といいますが、果たして本当でしょうか? 何に囚われているのでしょうか? いろいろな言い訳をよく効きますが・・・全て言い訳なんです。 [囚われている]のではなく[可能性を無視]してるだけなんです。 何が苦しいのか? 体ですよね?心は神経がないので、何も感じません。傷もつきません。 感覚とは身体が感じたものです。それを神経が脳に伝えるもので、神経のない部分は何も 感じません。 身体が[快]であれば、神経は[快]を脳に伝えます。 「腹が立つけれど、気持ちいい」・・・・そんなことはありえない!と思っていません か? またここでも[可能性]を無視していますよね? 「腹が立つけれど、気持ちいい」・・・・愉快・痛快・豪快といいます。 怒りは悪いもの・・・・という考えもここでは通用しません。 感情によって動くのではなく、快なる自分とともに怒れるのです。 きちんと怒れる・・・そんな感じです。 きちんと妬む、きちんと恨む・・・そんなことも可能性としてあっていいのです。

『愉快』・『痛快』・『豪快』!まとめて『爽快』といいます。 BLMは ポジティブな身体を開発するものです。 自分の心身の在り方と行動と思考の[美調整]をリアルに行えるテクニックでもあります。

スタート地点の修正 姿勢というものを通じて自分の至らない部分と向き合っていっていくことができます。 姿勢を正すといいますが、やってみてください。 何に注意して、どこをどのように正したでしょうか? 何をどのように変えたのでしょうか? 「背筋を伸ばして・・・・」 「背筋とは何でしょうか?」 背骨なのでしょうか?だったら初めから[背骨]と言っているのではないでしょうか? 背骨とは違うものだから[背筋]と昔の人が呼んでいたのではないでしょうか? 昔の人が残そうとした[背筋]というものを自分勝手な解釈で変えてしまうことは先人や次 の世代の子供たちへの冒涜なのでなないでしょうか? 「伸ばすとはどうする?」「自分は、はたして本当に伸ばしているのか?」 [伸ばす]と[反らせる]は違うもの。 もしかしたら伸ばすべきもの「反らせる」という言葉に置き換えて全てを解釈してしまっ ているのかもしれない。 そのように謙虚に向き合っていくと、ボタンの掛け違いがどんどん見えてきます。 [スタート地点]という姿勢を修正できるのです。

「背筋を伸ばす」ということと向き合ってみて、具体的にわかっていないとした ら・・・・? それは「あいまいな何かよくわからないことを、あいまいにした」ことになります。 つまり[出来たつもり、わかっているつもり]だということなんです。 つまり、[やっていないことと同じ]なのです。 これが「わかったつもり」の怖さです。 わかったつもりであることに気が付けば、そこがスタートです。 具体的に自分を表現することが出来るきっかけになります。

立ち直る時間 正中線(中心軸)というものがあります。1つではなくて最低3つあります。 少し専門的な話になりますが、BLMでは正中線が持つ[3つの方向]と[3つの形態]という ものも見つけています。 [BLM]] によって正中線がある程度出来上がりますが、この線は「イメージで作るまっす ぐな線」ではなく[左右のバランス]と「前後のバランス」と[上下のバランス]の統合した点 が集まったものです。 つまり[3次元的な・立体的なバランス]をコントロールするものです。 一般にいわれている「バランス」とは[水平感覚]のことで、上下という[垂直感覚]がないこ とに気がついていないのです。立体的ではないのです。 2次元方向にしかバランスがないのに3次元という世界に生きているのです。 動き自体が2次元的で思考も2次元的です。人類はまだ3次元人になっていないともいえ ます。だから悩んだり傷ついたりするのでしょう。

立体的なバランスが身につくと、バランスを回復する時間が2次元的なバランスと比べ てかなり速いものになります。 例えば、何かにつまずいて「おっとっとっとっと・・」となりながら立ち直りますよね。 それが「おっ」で回復できるのです。 心のバランスも同じで「おっ」という間に回復して平常心になります。 「おっとっとっと」という回復に使う時間が長いだけ心は苦しみ、凹みます。 普通は2・3日かかる心の回復が「おっ」と瞬時に出来るのです。 バランスを崩している時間が長いだけ、それは記憶に長く残るものですよね? 「おっ」という間なら「おっ」という間に記憶から消えてしまい「あれ、何を悩もうとし ていたのかな?」「何かあったのかな?」という感じです。

私も人間ですから誰もが「悩む」ことをします。悩まない人は居ません。悩むことは悪い ことではありません。成長にとって必要な苦い薬です。私も一日に何回も悩みます。しか し、1回の時間は0.1秒くらいです。 「解決出来ないような問題は悩みにもならない」と私は想っていますが、「時間が悩みを 解決してくれる」ものです。 そっと静かに待てばいいのですが、「姿勢が悩みを解決してくれる」という技を身に付け れば「じっと待つ時間を楽しい時間」に使えます。 本当の意味でのプラス思考とはこういうものではないでしょうか?

爽健美 苦しいときでも、そこに爽快・健やかさ・美しさという<爽健美>を見出し自分に取り入 れることが可能になります。 天は必ずそのことに「心の姿勢・思想の姿勢」と言う『勲章』を授けてくれます。 それは言葉を超えた感性を通じて、周りの人々に影響を与えます。 <爽健美>というものは<楽しい>の正体のことだったのです。 何か楽しいことをするから<楽しい>というのでは辻褄(つじつま)が合わないと思いま せんか?

<楽しい>という<有り様>であれば、それはいつでも自分から離れることのない状態 です。 注意するべきポイントは「いつでも楽しい(爽健美)なわけではないことです。 人間ですから人情というものがあり、<楽しい>から離れることもあります。 しかし、[BLM]で瞬時に回復できます。 修正する時間が<速くなる><強くなる><正確になる>の3つが得られます。 それは<生きる力><生活する力>であり、<生き残る力>でもあります。

例えばピーマンが嫌いな子供はピーマンを食べたくないから食べません。 しかし、大人が「おいしい」と言って食べるので、「食べてみよう」という気持ちが芽生 える時期がやってくるものです。 「もしかしたら、自分もおいしいと感じるようになっているかもしれない!」それは少し 大人になった証拠でもあります。昨日までの自分を越えた瞬間でもあります。

「やっぱり、おいしくない」・・・でも明日はおいしいかもしれない・・その連続でやが て「おいしい」瞬間が来ます。まずい物を食べ続けた結果、おいしいもの(勲章)が1つ 増える。1つ豊か(勲章が増える)になったのです。これも<爽健美>ですよね。

BL運動

BLの流れにそった動きというものがあります。 BLムーブメント(BL運動)と言いますが、非常に美しい動きです。舞うような動きです。 普通の生活でしている動きがそのまま舞いになると思ってください。 「舞うような人生を生きて下さい」と私はよく言いますが、抽象的なことではなく、具体 的なことなのです。このBL運動がそのままBLMの効果を持っています。素敵だとは思いま せんか?美しい動きがそのまま美容になっているのです。

それだけではありません。「本当の自分」や「自分が本当にやりたいこと」と出会うス タートになっているのです。

BL運動によって[動きが細く・鋭く・柔らかく]なります。 [細い動き]とは、例えば足を1歩前に出すとき、足が通るコース(軌道)がありますが、 そのコースは無限にありますよね? 0.1mmの違いで無数にあります。 0.1mmの差を修正してくれるのです。0.1mmのずれがわかるようになってきます。 「今、ちょっとずれた、本当はもう少し右だった」「本当はもう少し・・・」 「本当は・・・」これが大切な気付きです。 歩くときの足を一歩だす動きでさえ「本当にやりたいこと」が含まれています。 コーヒーカップに手を伸ばす手の動きも「右カーブで出す」のか「左カーブ」で出すの か? 「本当に通りたい軌道」があることがわかります。 その、[本当にやりたいこと]と一致するとなんともいえない至福を感じます。

どの道を歩きたいのか?右足から出すのか、左足から出すのか?という選択ではなく、動 きの軌道の0.1mmの細いラインに一致したときに「本当にやりたいこと」という実感と出 会えるのです。

「本当にしたいこと」ケーキ屋さんかもしれませんが、「どういう動きをする」という 最も小さい行為がなければ大きな行為は無いのと同じです。

「動きは姿勢の連続」です。あらゆる瞬間が「本当にやりたいこと」で構成されていま す。「本当にやりたいこと」とはケーキ屋さんをゴールにして「毎瞬を美しく在る」とい うスタートにしたものではないでしょうか?

私は公園を散歩しながら時々これをします。BL運動で自分が本当にしたい軌道に動きま す。 ゆっくりベンチに「本当にしたい動きと軌道を感じながら座ります」うまく出来たときに は、本当の自分を[感じた]ような感じがします。

すごく高貴な自分がいる感じがします。 [本当の自分]や[本当にしたいこと]と出会うにはそれなりの身体が必要なんだと感じされ ます。

姿勢と願望実現

姿勢が崩れる大きな原因は何かを拒否したり執着があると、身体がぎゅっと縮むからで す。例え0.1mmでもぎゅっとなれば、それは[あるがまま]ではありません。 それは願望実現と関係があります。

例えばですが、[お金持ちな自分]をイメージすると「お金だけが幸せではないのに、他人 からどう見られるだろうか?」と考えてしまって「ぎゅっ」と縮みます。 つまり「お金持ちになることを拒否している」のです。「お金持ちになれないままの自 分」をイメージしても「ぎゅっ」となります。 「実現出来る」「実現出来ない」というこの二つのイメージは結局は同じなのです。

どちらも拒否や執着が起こります。正々堂々となれないのです。 ところが、BLMで緩めるべき部分を緩め、締めるべき部分を締めて姿勢を正すと正々堂々 とイメージ出来ます。遠慮なく出来るのです。 イメージに負けない自分になります。そして同時にイメージに沿った自分でもいられるこ とになります。

「正々堂々とすること」と「恐る恐るすること」どちらが「やり易い」でしょうか? 大切なことはイメージではなく、自分がどう在るか?ではないでしょうか?

頭でイメージすることよりも身体で実現することのほうが現実に近いものですよね?頭は ずる賢く、嘘をつけますが身体は正直です。 イメージでなったつもり、ではなくて身体で実現することがより大きな本物の力を生み出 します。 BLMで身体ごと実現出来ます。

願望実現・2

たくさんの素晴らしい[教え]がありますが、その素晴らしい教えの使い方が無視されて いるようです。身体の使い方を知らないからでしょうか?身体の美しい使い方を知れば、 脳も身体の一部ですから美しい頭の使い方を取り戻します。

素晴らしい教えを「至らない自分への言い訳」に使われていることが多いと聞きます。 他人の至らない部分を使って自分を高く見せるという自己満足にも使われているようで す。

「引き寄せの法則」が流行していましたが、全てをそれで説明出来るのでしょうか? 人生は他人も含めたものであり、複雑な人間関係で構成されています。 他人50パーセント、自分50パーセントです。 全て自分が引き寄せた?他人への感謝はどこへ行ってしまったのでしょうか? 不幸も自分が引き寄せた?詐欺にあったのは騙された人が全ての責任を負うのでしょう か?

自分が望んでいないことも必ず起こります。キリストも仏陀も信頼する弟子から裏切れ ています。キリストはそれがきっかけで不幸な死を遂げています。引き寄せたのでしょう か?「引き寄せた」という安易な説明で終わらせることが出来るのでしょうか? 「あなたの心の奥の潜在意識がそれを望んでいるからそうなったのよ」 素晴らしい教えを使って他人にそれを振りかざして相手を責めているのです。 「偶然はない」と言いますが、あります。2つでバランスをとるのが人生ゲームのルール です。 私たちに右と左がるように、全てに右と左という両方があります。 上と下もあり、前と後ろもあります。人は真ん中だけで出来ていません。 片手だけを使うと「片手落ち」といいます。使っていない方は働いていないのです。 食事をするとき、片手だけで食べるのと、両手を使うのとどちらが人間らしいでしょう か?どちらが美しいでしょうか? BLMで両方のバランスを知り、片手落ちの学びを正せます。

「自分が引き寄せている」「天の流れに任せる」まったく違う教えですよね? どちらか一つを自分の都合に合わせて言い訳しているのです。 両方が大切です。[運を自分で創るのか?]または[運を天の流れに任せるのか?] 運も50パーセントが自分の力(自分の流れ)残りの50パーセントが天運です。 どちらかを諦めると50パーセントしかもらえません。 正しく、美しくがんばると全部もらえます。 50パーセントでラッキーなことと出会って満足しても、100パーセントでないのだか ら本物ではありません。

いつも天からもらっていることばかりならば、それは自立ではなく他力本願です。 相反するものが合わさって「ありのまま」です。 「内側の姿勢」と「外側の姿勢」の二つがあります。「外側の姿勢」を学ぶことで「内側 の姿勢」の創り方がわかってきます。「内側の姿勢」を使って「内面を表現する努力」と いう行為が「外側の姿勢」です。それによって二つが合わさり「ありのまま」の現実を創 造します。BLMで現実が変わります。引き寄せるのではなく、創造するのです。

新しい肉体 筋肉ではなくBL(ビューティー・ライン)で動くのでしなやかで、細く力が使えるように なります。

えっ、筋肉以外で動くの?? 筋肉だけで動いていると思い込んでいるだけです。まだ他にあってもいいではないでしょ うか? ラインで動くので細く、しなやかになりますシャープでしなやかな身体の使い方が出来る のです。 体形のダイエットではなくて動き、動作のダイエットです。そういうものがあってもいい のではないでしょうか? 動きが細いのと太いのと?どちらが美しいでしょうか? いくら体形がシャープでも動作が太く荒ければ「がさつ感」という知性を感じさせないも ので美しさを壊す結果になってしまいます。

動きの中にも優しさ、知性、芯のある強さをもって自分を表現していたいものです。 BL(ビューティ・ライン)は優しさ、勇敢さ、知性、野生を持った身体の一部です。 ちょっと撫でるだけでそれらが開放されます!

BLMと脳の開発

私たちは脳の数パーセントあるいは数十パーセントしか使っていないと言われていま す。 「使っていない」のではなくて「使い方を知らない」のです。「使い方が1つのパター ン」だけなのです。

サイコロで言うならば6つある面のうちで、一つの面しか見えていないのです。 一つの面でとりあえず生活出来るからなのでしょうが、残りの5つの面は一生使うことな く、その存在も気にしないまま終わってしまいます。 「違う使い方」つまり「違う考え方」があるのです。それは身体に影響して「違う身体の 使い方」にもなります。わくわくしてきませんか?

今の自分の知らない自分が脳にはあるのです。知らない世界があるのです。 例えばサイコロを振って出た目の数字は何? 上に出た面の数字を答えますよね? 私はちょっと違う脳の使い方をするので、「1から6まで」と答えたくなります。

何かに従う社会とは違う世界が見えてきます。 1+1=2というルールの社会に住んでいますが、私はLMを実践するようになって違う世 界が見えてきました。 おにぎりを二つ合わせると1この大きなおにぎりができます。 1+1=1とも言えます。その他にも違う答えをたくさん出せます。

BLMで扱う姿勢は今まで使っていなかった身体の形の作り方なので、脳も今まで使ってい なかった部分を使い始めるのです。 筋肉で動くというパターンではなくビューティー・ラインで動くというパターンです。 その他、上下のバランスなど今まで考えても見なかった新しいパターンをふんだんに使っ ています。 古いものの延長にあるという新しさではなく、全く新しいものです。 パチンコ屋の新装開店のような「NEW」ではなく「NEO」(全く新しい)です。 NEOが本当の意味の個性です。1+1=2という答えは皆が揃っていう答えで個性があり ません。一つのパターンで創られた「くせ」です。

NEO感情 感情も脳が創るものなのでNEOに変化します。 「あの人の言っていることがわからない」と腹を立てるものですよね?これもパターンな のです。

「私には理解できないくらいに未知のことを言っている、この人は、私の知らない何を 知っているのか?」興味津々になりませんか? 「何故わかってあげられないのか?知恵が足りなくて申し訳ない」とも感じられるように なってきます。ほかにも違うパターンがたくさんあります。サイコロの目が1つの面だけ ではなくて全体がどんどん揃ってくるのです。

[わからないこと]に出会うとイライラするパターンではとりあえず答えを出すことでイラ イラを解決することをします。 答えを出すことがよい事というルールになって行きます。 答えが出ないのは悪いことにもなっていきます。 わからない事に答えを出すことがルールになっているのです。 もちろん答えを出すことは大切ですが、それだけでは片手落ちなのです。 脳の使っていない部分の使い方がわかってくると、答えを出さないことの大切がわかって きます。 また、一つのパターンでは辻褄があわなくなり、スランプという状態になりますが、新し い複数のパターンを持つとスランプというものがなくなるようです。 私はもう20年以上も毎日進化しています。 潜在能力や才能とはこういうものではないでしょうか? 脳力開発や潜在能力開発が美容によって出来るという新しい美容パターンがBLMによって 生まれました。

美しい身体で脳も美しくなる! 美しいという能力や才能が開きます。

自分の持ち腐れ

身体はいつも自分について回り、一瞬たりとも自分から離れることはありません。その 身体の形は[姿勢]として表れます。自分が学んだことを形にして表しているのです。 その学んだことの形の連続が動きとなり、[行為]となります。

人生を通じて何を学んだのか?ということを逆に自分の姿勢から学ぶことも出来るので す。姿勢が自分の先生になるのです。 私の師は子供の私にこう言ったことを今でも覚えています。 「私は自分以外な皆先生である!なんてセコイことは言いません。自分も含めた全てが先 生です」

今の私は更にこう付け加えたいです。 「その中で最もいい先生は自分です。自分は最高の先生です」 自分という教科書を1ページずつ丁寧に読むこと。特に身体は最高の教科書で あり教師でもあります。 全ての人々が皆、最高の教科書と教師を持っています。身近に持っています。身近に、身 近に・・・・一瞬も離れないほど身近に。「宝の持ち腐れ」ではなく「自分の持ち腐れ」 になってはいけません。

癖と個性

BLMを実践していくと姿勢や動作の[癖](くせ)が無くなっていきます。 癖がなくなると[個性]がでてきます。今までは個性だと想っていたものが実は癖だったと わかってきたりもします。 癖と個性は似ていますが、全く違うものです。 癖は魅力を低下させるものです。個性は魅力そのものですね。 癖が個性を邪魔しているのです。 癖を壊せば魅力がでるというシンプルなものなのです。 外側から姿勢を修正すると、それは癖で癖を修正していることになります。 新しい癖をつけているのと同じなのです。 内側から自然と湧いてくる美しいものが個性です。

洗濯物を干しているときに癖が出やすいものです。 洗濯物をかごから取り出し、物干し竿にかける動作や洗濯バサミで挟もうとする動作に突 然ストップモーションをかけて止まってみて下さい。 自分の姿勢を感じてみて下さい。美しいでしょうか? 色々なところが窮屈になっていませんか?だから疲れるし、美しくないのです。

BLを意識して行うと、のびのびとした姿勢で細かい動作が出来ます。 しかも、美しくです。 いつストップをかけても絵になる! 全ての動作がトータルに美しい! 舞うような洗濯物干しができます。 絵になるような人生がそこに実現します。 誰も真似の出来ない個性的な美しい洗濯物干しという絵になるアートです。 誰にも真似できない自分だけの考え方、使い方、すごし方が出来ます。 絵になる生き様です。 身も心も他人の真似ではなく真の自分になります。

上下の意識 人の身体は上下に長いものです。人間だけの特権です。人間以外の動物は水平になってい ます。 人間と植物は天と地を体感できるのです。 植物と動物が合わさったのが人間ともいえます。 しかし、この上下感覚がなくなってきていることに気が付いていますか? パソコンの文字は横書きです。 本も横書きが主流になりました。 都会では構想ビルで視界が遮られ、空を見ることも地面を見ることも少なくなりました。 探し物をしながら歩くので左右という水平しか見ません。 水平とは広がりです。 広げることばかりして、高い意識や深い洞察を忘れることと一致しています。

燃え広がる情熱 高い志 深い努力 この3つで上下左右前後に[爆発]していきます。 人間の成長の法則ですが、左右に広がる興味しかなくなってきています。 また、地面は汚いものとして扱われています。 地面に落ちたご飯は汚いので食べませんが、誰が汚い地面にしたのでしょうか? 下という意識や感覚が薄いから、汚していることに気がつかないのです。

片足で立ってみるとよくわかります。 バランスを取るために、両手を広げてしまうでしょう。 水平方向だけでバランスを取ることが当たり前だと思っているのです。 下の方向にバランスをとりながら、上の方向にもバランスを取る、というと意味がわから ないと思いますが、実は上下のバランスというものがあります。 姿勢というものは上下のバランスのエッセンスなのです。 胸を張って 腰を沿って 膝を伸ばして・・・ これで背筋を伸ばすことの代用にしています。 背骨は上下に伸びていないですよね? 前後に調整しているだけで、実際には上下には全く動いていないのです。 これでは[姿勢]とはいえません。

上下感覚が麻痺した人間の「天と地」という言葉の意味は「空とアスファルト」かもしれ ません。 きちんと[立つ]と[天]や[地]という感覚を実際に体験できます。 天地というものはどこに行っても自分について回る、絶対に自分から離れることのない、 いわば肉体のようなものなんです。 地面が汚れると空も汚れ、人の身体も汚染されます。 天地人は切り離せない関係があることがわかります。 きちんとした姿勢、美しい姿勢は自分を大切にしている証だけではなく、天や地も大切に している証でもあります。 地球を大切にすることは自分の姿勢をきちんとすることからはじめられると言えば間違っ ているでしょうか? 地面も空も間違いなく子供たちに引き継がれます。 大人達からのプレゼントでもあります。 汚いプレゼントを子供たちに渡したいと思う親はいないはずです。 何故、こんな汚染された地球になってしまったのか?

人間の姿勢が原因だと思うことは馬鹿げていると私には思えません。 [基本から正す]と大人達はいいますが、人間の基本は姿勢だと考えません。 なぜなら[基本]がないからです。 昔の日本の教育の基本は「姿勢を正して」であったことをどこかへ捨ててしまったのです。 美容整形やダイエットなどしなくても「佇まい」(たたづまい)があれば[人間の美しさ] があふれるくらいに表現できるものです。

無条件の愛

ある作家は「自分の文章」を求めて一生を捧げます。 レーサーは「自分の走り」を音楽化は「自分の音」役者は「自分の演技」を究極の目的と して一生を捧げます。 「本当の自分」も同じで、一生かかっても出会えないくらいに繊細なものだと私は想って います。

「本当の自分」のきっかけとして[姿勢]という[本当の自分の形]を一生捧げて探すのもい いものです。 一生かかっても出会えないかもしれない。 出会えないかもしれないけど、出会うことよ りも「努力してきた」「探求してきた」という体験のほうが尊いのではないでしょうか? 「自分の~」を求めて一生を捧げるのが「プロ・探求者」ならば「生きるプロ・探求 者」というものがあってもいいはずです。 夢を追う、叶えるといいますが、私はたくさんの夢を叶えてきました。 普通ならば一生かかって叶える夢をいくつも叶えてきたのですが、自慢にもならないこと です。 叶ってしまうと、終わってしまうのです。 どうせ挑戦するなら叶わない夢のほうがいいと本気で想っています。 そういう意味で私は「出来なくてもいい」と練習生に言います。 絶対に出来ないとわかっていることに、絶対にやり遂げてやる!と本気で向かう、矛盾し た生き様。そこに私は「無条件の愛」を感じます。 「出来ない」ことを愚かだと馬鹿にするのなら、私は世界一の愚か者です。 「出来ない」ことを無視して努力しないことのほうが私は愚かだと思います。 『出来ない』『わからない』でも『何か得るものがあった』ことがあればそれは尊いもの です。

そういう姿勢こそ[大人の美しさ]ではないでしょうか? BLMで矛盾したことに積極的に向かって行ける[姿勢]を私は学んでいます。

BLMのルール 一つは、BLMで学んだことを<自分>へも<他人>へも振りかざさないこと。

例えばですが「あの人は姿勢が悪い」というような判断で他人を見ないことです。 BLMのワークは自分を高めるものであって他人を判定するものではありません。 BLMを実践していない人達は出来なくて当たり前です。 他人が出来ないこと、知らないことを手にして、偉くなったと感じることは人情として当 然だと思います。私はBLMを手にした人には「英雄のような人物」になってほしいと思っ ています。謙虚になれとは言いませんが、『大きな力を得た責任』をいつも意識してくだ さい。

もう一つ、 うまく出来なくても凹まないでください。 「うまく出来る」ことに意味はないのです。 出来る/出来ないの世界観から脱却して「自由」に生きてください。 皆さんが幸せに生きていく為の私からのプレゼントを自分を責める武器として自分に振り かざすことは決してしないでください。武器ではなくプレゼントです。

仲間同士でも同じです。いつも美しい自分に取り組む必要はありません。 時には意識的に「やってはいけないこと」もする必要があります。 「やっていない時間」も必要です。 するもしないもその人の自由です。休憩も必要。逆のことも必要です。 BLMという「ものさし」で他人を計るのではなく、自分を高める道具として使ってくださ い。

もう一つ、 他人に教える場合は指導員としての訓練を受けて、認可された人にのみ許可しています。 中半端な指導で間違ったことを有料で教えている人達がいて、私のほうへ苦情がきている 次第です。講習を受けて、はい明日から先生です・・・というようインスタントのもので はありません。手間暇をかけて熟成した人でないと指導は出来ないものです。

感謝 「BLM」を世に出すにあたり、難しい用語を楽しく、エレガントで夢のある言葉に改良す る作業をチームで行いました。 「BLM」や「ヴィーナス・タッチ」など素敵な言葉のアイデアを下さった内藤大悟さん清 水麻巨さんも「BLM」の共同創始者であることをここで明言し、感謝の替わりとさせてい ただきます。

BLMを高く評価してくださった人物に大阪の上八坂神社の神主であられた猪瀬昌彦先生が おられます。おしくも急逝されてしまいましたが、生前は大変可愛がっていただきまし た。上八坂神社にて5日間のセミナーもさせていただき、その効果について人類の大きな 宝になると喜んでいただきました。当時は竜脈整体という名前で紹介しておりましたが、 今新しい仲間と共にBLMという名前で株式会社の事業に採用していただく栄誉もいただい ており、このことを猪瀬先生が知ったら、我が事のように喜んでいただけるものと思って おります。良き理解者を失ったことは、空に大きな穴が開いたような虚無感があります が、その穴を新しい仲間と事業として社会に貢献できる夢と希望で埋められることが出来 ました。この場をお借りして天国から私たちを見守られているであろう猪瀬先生にご報告 させていただきます。

オリジナルな人生

ここまで本書を読まれて、私が独特の考え方を持っていると感じられたと想います。 武道というものを通じて心と身体の関係を知り、身体という教科書を読み続けてきまし た。これがオリジナルな人生の始まりでした。

それまでは他人が書いた本を読み、話を聞いて自分が探している「何か」を求め続けて いました。でも他人の言葉や意見はその人のもので、私のものにはならなかったのです。 本を全く読まなくなりました。自分を参考にして研究を始めました。自分という本を読 み始めたのです。外側からの知識、情報を遮断して自分の裡(うち)の知性だけを信じる ことをしました。知識から知性へと変化したのです。断食ではなく断識です。 教えられてもいない色々なことが自然とわかるようになってきました。 他人から与えられた知識ではなく、自分の今までの体験がそのまま知性として「わかる」 ようになったのです。

もう誰かの真似をしなくてもいい。 もう誰かの弟子にならなくていい。誰かの先生になりたくもない。 自分以外の誰かになるなんて出来ない。わからないことは自分で考えて、創ればいい。 正しいとか間違っているとか関係なくなりました。 自分で創るアートであればいい。 0,1mmの狂いもなく自分であること。 そうやって生まれたものがBLMです

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